2012年11月6日火曜日

菊池武夫(服装デザイナー73歳)    ・帰ってきたタケオキクチ

菊池武夫(服装デザイナー73歳)         帰ってきたタケオキクチ  
1970年にビーを立ち上げ 1984年にタケオキクチを立ち上げました  
今年5月再び自身のデザイナーとして復帰しました

おしゃれすること自体が好き 足にはスニーカーが一番優しい 疲れも違う  
8年ぶりに復活  自分のブランドから身を引いた
30代~35歳までの方が主なお客なので 同世代のデザイナーに引き継いで貰った  
構想を練って、40代からうえの世代のブランド作ってやっていた
年齢のギャップを感じていたので、一度身を引いた アウトサイドからは見ていた  
30代は賢くなった 情報が豊か 自分の生きる道をある程度決定してしまうような
考え方を持っているように感じた  
エネルギーを外に出すのが判らなくなってきているように感じた

生き方 時代として、文化みたいなものであるかなと思う 
我々の時代の事を改めて、知って貰おうと思ったのが復帰の一つ
賢くなれば、慎重に成ってしまうのが優先してしまうので、一旦とっぱらって、白紙の状態から物をみるという習慣がもう少しあってもいいのではないかと思っている
ファッションは前に有った物を少しずつ壊しながら前に進みと言う事をしている 
先へ進む時のエネルギーが人に伝わって表現されたものに賛同して頂ける
今のファッションは完成されたものが多い そうならば、未来が無い 
 もっと目を広げて、できないことでもやってみると言う姿勢が必要かなと思う
1960年代に仕事を始める  縫製のアトリエを作って注文を貰ったりしていた  
物を自分で作って売ると言うことはしていなかった

自分で作った物を試してみたくなった 欧州、米国を2カ月かかって見て回った 
 もっと自由に表現するものがある  エネルギーの強さを感じた
帰ってきて会社(メンズ ビー)をつくった 
周りには自分の作ったものが無くて、評価して貰い、事業も順調に推移した
音楽のイメージと共鳴する様なものを作っていた   
 メディアの中でしょうけん 傷だらけの天使 の洋服を担当していた 
今までのTV界の製作とは違う
新しいドラマ ショウケンが着ていたものが私のデザインだったので、洋服と言うより、一つの文化のもとみたいな形で普及して行ったので印象が強烈だったと思う

1984年にタケオククチを立ち上げた(2年前にパリで仕事をしていた  
日本会社がガタガタに成ってしまっていて、もう一度きちっと土台を作りなおそうと帰ってきた)  友人に頼んで社長に変わって貰い、自分はデザインに専念しようと思った 1981年自分が考えている新しいデザインを展開したら、復活した  
1970年代は文化的にも動乱の時代だった 新しいものにたいする息吹きが有った
自分がやっている事に確信が有るわけではない  
ファッションショーをやって、反応を見るが、それだけでも確信が出来るわけでもない
これしかないと自分自身を追いこむ  テンションを高める 
製作過程で間が空いてしまったりすると、テンションが上がった状態なので耐えられずに
どっかに行ってしまったりすることがある  
(車で長い事旅行に行ってしまったり  最高で2カ月間)

会社のやり方は自分自身が形を生み出さないといけないと思った   
いろいろな人達の都度出合いがあって、そのノウハウを参考にしたことはあると思う
ファッションは二極化している  ファーストファッションは 物凄く有る面即断をしないといけない  世界中にアンテナを張って中に取り込んでいかないとだめ,システム作りをしていかないと駄目 ユニクロはワールドワイドでやっている  ファッションはその範囲でしかできない  
成功しないと継続できない 複雑な問題を抱えている  価格は安いほう  
同じものでは悲しいものもある  違うものを求める その繰り返し
新しいこれからの未来の生きかたの洋服、ショップの有り方を作っていきたいなと言うのが、復帰のもとでもあったわけです
人にやさしい空間、出来るだけナチュラルのように、ショップとしてのデザイン、完全にリセットして再スタートしたいと思っている
来年の秋からが新しい服を提供できるかなと思っている