「菊池武夫の本」を出版 子供の頃あだ名が「青瓢箪」 5歳のときに大病をした
胸のところに有る膜に膿がたまって、死にそうになった
戦争中で、病院に入院することができなくて、自宅で手術を受けた(戦時中)
正常な形になるまで1年掛った
12人兄弟で私の前後は二人いなくなったが、自宅にて、空襲があると、庭に作った防空壕に入れて貰っていた
最初はカメラで何かを撮る、写真家になりたかった
ドイツのツアイスの蛇腹で出てくるカメラが有ったので、写真を撮っていた
子供の頃絵がうまいと言われていた
文化学院に行って、絵を習いに入ったが、デザイナーの始まりだと思う
高校辺りから、記憶する事の勉強が嫌いだったので、自由に発想する社会の方に行きたいと思った
絵書きには成れるとは思わなかったので、自然にデザインの方に行ったようだ
学校の単位取得義務が無かった
生徒が自由に授業さえ出れば卒業出来た
勉強らしい勉強はしなかった(本を読むとか音楽を聴くとか、絵を見るとかは自由にできたが) 自分に合った学校のように思えた
西村伊作院長 運動する科目が全くなかった
運動することは頭に取ってよくないと院長の考えが有った
棟方志功が学校に講議きてくれて、実演をしてくれた
集中力があって、版木絵を彫る時の姿勢は物凄く吃驚する 一挙手一投足を注視しながら、 授業をしていて、最後の5分ぐらい前に突然教室のドアが空いて、院長が入ってきて、その手にウイスキーの瓶を持って入ってきて、もうすぐ授業が終わるから、私の部屋で一杯飲みましょうと言って、出て行ったんですよ
大人としてのなんか、大人ってこうなのか、私の大人に対する常識を遥かに超えた、大人の知らない部分を見せられた
印象がほかの人と全く違った(他の人は全然それを覚えていなかった)
同窓会でしゃべることは勉強以外のことしか、喋れなかった 勉強の事は覚えていない
他の学校に行ったら、そんなことは学べなかったと思う
将来出来ることは何かと考えて、学院に行っている間に洋服に関することの実験みたいなんですが、 知り合いがデパートのコーナーを借りて 其のコーナーの中に、若手の学生が何を考えているかを具体的な洋服にしようじゃないかとの発想が有って 私と写真家になった大西公平にデザインをしてみないかとの誘いがあった
イメージを作ってデザインをした 1年近くやっていた 洋服が結構売れた
卒業の段階で洋服をデザインすることなのかなと思った
原のぶ子アカデミー 日本で初めて立体裁断をしていた そこに行くことにした
生地は絶対に無理やり扱うのは駄目だと言われた
旨く生地を扱えば形としてはきちっとしたものが出来る
立体で習ったのが僕の基本になった様に思う
原のぶ子デザインアカデミーには1年しかいなかった その間に2回ショーをやった
授業は出ないで洋服作りはやった ショーをみて当時の先生方が声を掛けてくれた
ルリ落合さんという人が卒業するときに声を掛けてくれた、そこにいくようにした
黒柳徹子の洋服を作っていた
行った当日に東映の佐久間良子さんの処にいって洋服を作るようにとの指示が有った
吃驚してしまったが、なんとかデザインした 物凄く怖くなって辞めた
卒業した時に結婚をしていたので、直ぐにはたらなければいけなかったので、マダムミキさんのところに入って、注文される服を自分でデザインして生地を選んで、全部自分で選んで、23歳の時期に大人に合った洋服をどうやって作るかの実感が無い時に、洋服を作ったので矢張り3か月しか持たなかった
プレッシャーもあったし、もっと勉強しないいけないかなあと思って、知り合いに紹介された、ミノザ 家庭的な良い店だったが、自分で全部やる事に違和感を矢張り感じた
それまで学生だったので現実の社会を知らないし、修行したかった
知識が少ない 実力がいっていないので 凄く不安だった
感性は有ったと思うかもしれないが、その間の経験は凄く濃密な時間だった
(1年間が10年分に相当する様な感覚だった)
その後、自宅で自分が満足する様な仕事をしたいと思って、親の援助も有って、アトリエを作った 知り合いを通じて、注文を受けたりして、仕事が段々出来るようになった
人の意見を聞く中での仕事だったので、疑問を抱くようになった
師と仰ぐ人が見当たらなかった
注文者が先生として、自分の技術がすこしずつ進化したと思う
交友関係も物凄く増えた 地道にやってきた人で大成した人は10指に満たないと思う
物をやっているのは人ですから最も人は大事だと思った
歩く事は子供時代から大好きだった
千代田区から、上野、池袋等に小学校の時代に歩いて行ったりしていた
ヘミングウエイが大好きだった 『春の奔流』 春風が吹く時にはうきうきしてくる
体感する風が良かった
ファションで興奮することは?
ありますね わくわくしますね
自分の中で考えたり、作ることは原点ですから、そこの部分に止まっていていいのかなと思う
してこなかったことが多分いくつかあると思う
自分がやってきた事がどれだけきちっと人の為に成ってきたかを、想い起こす意味で本を書いたのでその時に、自分がやってきたこと、を想い起こすんですが、やっぱりやっていないことが沢山ある
我々の仕事はやりっぱなしになるので、その時だけの仕事になるので、之はどういう意味が有って、どうなんだと言う事をやっぱりそれなりに判るようにして、自分がやってきたことが世の中に結びつけるものが何があるかどうかを考えている
毎日が生きてられて、ちゃんと出来ていればいいと思う
積み重ねで結果的に幾つまで生きられるか判らない、昔と今の変化をあまり感じないので
多分まだ出来るのではないかと思ってます