川島みどり(日本赤十字看護大学名誉教授 ) 楽しくなければ介護じゃない
27歳で結婚 寮にいる限りは結婚できない 結婚する相手が当時は戦死して少なかった
昭和30年ころから結婚しても辞めないということが必要であると思った
寮から出る事に数人が実施した 外に出て初めて、如何に給料が安かったか、人間としての目覚めと結婚もして、保育所が必要と想い、院内保育所を物置を改造して、作った
結婚をすることは勿論、子供を産む事自体も嫌みを言われたりした
夫が癌で亡くなる 5年前 9か月間は在宅で過ごした
其の時感じたのは訪問看護ステーションと介護ヘルパーの人との間で、連係が取れて無くて
夫は舌を取ってしまったので、筆談なんです いつも両方の調整を夫がしていた
いろんなことを勉強した
働きながら、介護してゆくことは大変 ぎりぎりまではトイレに行けたのでその点はよかったが 食事は大切だと言っていたので 毎日ミキサー食 (数種類)
仕事が介護の逃避になれた 又介護が又逃避になれた
仕事をしないで介護をした方が楽だとおもわれるかもしれないが、介護だけでは厳しい
だけど1年が限界だった それより長くなるとどうにもならなくなっていたと思う
介護を受ける方 言葉、しぐさ、まなざし 優しさが一番 優しさの基本は二つある
介護の方法を熟知すること(自信が出来るから ゆとりを持ってケア出来る)
心身共に疲れていないこと(上手に手抜きする
大事な事と、大事ではない事の優先順位を付ける 完璧主義は駄目)
自分が兎に角マスターすること 息抜きをすること それが大事ですね
一人で悩まない事(陰で叫べばいい)
介護を受ける方も ありがとうとの感謝 自分から動きやすい様な動作を心がける
介護する方よりも介護される方が辛い
治る、自分が治りたいとか、治ると言う気持ちがあったら 治ってゆく
触れると言う事は重要なこと 看護師もディスプレイを見るようになり、手を使わなくなった
看護の基本から離れて行っている 手はいろいろと情報を提供してくれる
まなざし、ことば、ででも触れる事が出来る 人と人の触れ合い
肺がん末期患者 看護されるのを全部拒否していた人がいた しかめっ面をしていた
脈をとって、足を10分くらい さすっていた
そうしたら貴方の手は熱いから手を冷やしてからお願いします と言われ 手を冷たくして 再びさすってあげたら 少しして「お疲れですからもう結構です ありがとう 」 と言われた
相手がケアを提案してくれた 触れるということは大事だと思います
脈の取り方 手の甲を静かに柔らかくなでてやる そうするとコミュニケーションが出来る
認知症の介護 治るという立場を取っている(緩和)
寝かせたままではいけないので起こして しっかりと垂直に起こす (補助具を作った)
昔のことは覚えているので その中に治すヒントがあるので それをきかけに繰り返し繰り返し対応する
その人の一番大切にしていることとか 楽しい思い出をヒントにして対応しているうちに治った例が結構ある
根気がいる 3週間ぐらい毎日毎日 同じ事を繰り返す 直ぐには変化しない
何で私のこんなに対応してくれるのだろうと想ってくれることがいい方向に向かう一つのポイント 看護の歴史をしっかりと書き残しておきたい