2012年11月22日木曜日

小林修三 (湘南鎌倉・副院長)  ・癒しの医療の原点はモーツアルト



小林修三(湘南鎌倉総合病院副院長)・癒しの医療の原点はモーツアルト
モーツアルトの曲に触発されて、10年前患者の人生に寄り添う、癒しの医療を考える会を立ち上げました  
若くして亡くなったモーツアルトの曲がどういう環境で作られたかを研究しているうちに、医者は患者の生き方にもっと敬意と愛情を持つべきだと思う様になったと言う事です  
音楽大学に進みたかった小林さんは、音楽は楽しむものという父の言う通り医者になってもこよなく音楽を愛し、医療にも役立てています

癒し系 はモーツアルトが一番多いと思いますが  癒し 落ちつきたい、 希望や勇気を貰いたい 悲しみは二つあると思う  絶望的で悲劇的な悲しさと勇気、希望があるような悲しさ   
モーツアルトはどちらかと言うと 悲しいんだけれど希望、勇気が貰えるように聞かせてくれる 
そういう曲を書く 悲しいと言う時は悲しい曲を聴いた方がいい  
元気な時は元気のある曲を聴いた方がいい  「同質の原理」
 
モーツアルトの手紙は沢山残っている 仕事を得るために沢山の手紙を書いた 
35歳で亡くなる 1791年12月5日 死因については殺されたとの一説も有るが、慢性腎臓病の最後のステージ 腎不全 と推定します
6歳のときに、お父さんが書く内容の手紙には 熱が出て、喉が痛い 脛に銅貨ほどの赤い発疹が出ている とある 溶連菌感染 溶連菌による感染症を患っていた (最初)  
 亡くなる前(2週間前) 魔笛のオペラを見ているがその時に倒れ、息苦しいがために寝ていられない様子が絵に有る

レクエム を書いている  絶筆する  鎮魂歌   
作曲している最後がベットに半座位になっており、起きあがって呼吸しなければならない  
心不全 肺に水がたまり息苦しくなる 起き上がると空気が上に行って息が出しやすい
基本的には急性腎炎が慢性腎炎になって10年20年経って、腎臓の働きが徐々に悪くなって、尿毒症になって 心不全になる
吐き気が出てきたり、息苦しさも、イライラ、貧血状態になる 食欲も無くなる  
晩年のモーツアルトはいろいろ辛い状況の中で作曲をして、かくも美しい曲を最後の最後まで書き続けたのだなあと思う 
  
今であったら、治療法があり、もっともっと長く生きられたと思う  
700曲以上作曲した  調子の悪い時、失恋した時 とかいろいろ有ったと思う  
母親が亡くなる時があり  ソナタ  母親を亡くした悲しみ思いが出てくる
音楽はその人の人生やいろんな中で自分の表現の一つとして五線譜の中に様々な思いを出してきた  
演奏家が又きちんと判ってその思いの中で演奏する
自宅ではクラシックを聴く環境は無かった 中学1年生になった時 ステレオを買って貰った 
 ベートーベンの運命 と交響曲8番のレコードを買って来て貰った
当時運動部でしごかれていたがその曲を聴くとよし という気持ちを持てた 
クラシックを聴くようになって モーツアルトを聴くようになり クラリネットをやるようになる

先輩に基本練習をしなさいと言われながら、高校時代 音楽をやりたいと言ったら、父親が音楽は楽しむもものだと言われて、そうかなあと思った
音楽家の選択肢は無くなったがクラリネットを続けた   
音楽と医療の共通項は  一番医療にとって大事なことは患者さんに安心感を与えること 
 命は半年後に無くなるかもしれない それでもほっとした 
先生に診てもらって良かったとある種の安心感は与えられる  
真剣にその人の生きざまに入っていかないといけない
すべての生きざまを頭の中に入って、ご苦労様でしたと、命は助けられないかも知れないけれども、貴方にいい医療を施したいと、その人の生きざまにシンクロナイズさせてを添い遂げてあげる生き方も有るけど死に方 と言う事を如何に最後を遂げるか、遂げさせてあげられるか  
こうしたことまで判って安心感を与えられる医療をやっている 
 
余り医療を過信しすぎない おごり 医学医療をおごってはいけない
所詮運命、生きる機関は決まっている  例え1年 生きる 生きざまをその人の最後をその人の良い方向に持って行ったら良いかを考えた時に 何もかも 医療、医学の力で長生きさせると言うようなおごりは良くない  
生命と言う者に対する奥深さや怖さ、偉大さを考えながら真剣に人の生きざまに対して寄り添って良い命を繋いで行かないといけない
 
アフリカの支援  命は平等であって誰もが助けられる物であるが しかし その国に行くとまだまだ命は不平等  最初に一度もやったこともない血液透析を数年前に行って 一例目を治療した  そのこと自体 地元メディア、厚生大臣が来て ありがとうございます 
我が国でも血液透析が出来るようになりましたと言った後 次には患者さんはどのように選びましょうか  次を助ける人を選ぶ この様な経験は一度も経験したことが無かった  
命は平等ではないと 絶句して、本当に深い 感激の後の現実の苦しみも聞かせてた貰った
日本においてはその様なことは無い 保険も100%持ってくれる  
年金、福祉の問題はあるが、この様な恵まれた国は無い

頼られたら精一杯対応する、常にしている  国によっては出来ない国がある 
経済の問題として 切実、だが現実としてある(お金がある人が優先される)
癒しの医療を考える会  NPO法人 7年になる  癒しと言う言葉は軽々しく感じてしまうが
余りにも人の、患者の気持ちを汲まない医療者の身勝手な医療があちこちに行われていたり、医療はこうだと一方的に従えみたいな 医療が行われている中で その人の生きざまを尊重した、何が大切かを考えながらやる医療が大切だと或る雑誌に投稿した 
其れを見たある患者が先生それは実行したほうがいいですよと 先生は音楽が好きなんだから 音楽なら大好きだと、音楽を通して医療や、生命の有り方を感じようと立ち上げて年2回音楽会をやりながら10年以上続いています
 
音楽療法ではなく モーツアルトやベートーベン そういう話、作曲家も病気をしていたけれどもこんな良い曲を作りましたよ だからめげずに生きて行きましょうね
と言うような そう言う勇気を得られるような音楽会を作っていきたかった
モーツアルトの病気をたどるなか、曲を聴くと言う中で 毎日毎日患者さんに追われ、教育 研究 救急診療外来 沢山の患者さんを見ながら、今だったら助けられる医学と医療がある  
多くの人を助けてあげたい  あの時代は亡くなってゆく しょうがないと言われても 治療して差し上げられたのではないかなあと思う  
引っかかりを感じながら いつも患者さんを診療しながら、常に音楽が重なり合って考えていた  
生きざま この人は何をなさってきた人なのか と いろいろの職業の人を想いながら 良い医療をしてあげたいと思っている

生きると言う事がなんなのかと どういう事が生きると言うことであってその人がそこまで来たかと それを考えざるを得ない
何とか医学を患者さんに役に立って貰いたいと思った時期(米国での研究時代)も有ったが、今、好きな音楽を聴きながら癒しの医療を考える会がある
医学は一つです  でも医療はいくつあってもいい  
医学は真理であり、原理原則であり 真実を求めつつ10年の医学は変わっているかもしれない
とにかく私達は真実を求めながら、医学研究をして医学は とやるわけです 
 
医療は医学という大きな土台の上に乗った治療で有り、診断方法である
そしてその人の個性 医学は一つだが 医療はいくつ有ってもいい   
同じ病気であっても アプローチの仕方、表現は違うわけです
同じ治療をやるにしてもアプローチが違う  どの段階でこの治療をするか多少ずれがあったりする、最終的には治療方法の選択、結果になってゆくわけです
そのためには医学をしっかり判って言う事が必要です  
医学をわかってても、どの様な良い結果を生むかはその人の個性です

よく医者は指揮者の様だと言われるが、違うと思う  
指揮者は自分達の演奏家を作曲家の意図を汲みながら演奏する
医者はもっとたくさんの仕事をしなければいけない  医者は主役で チームを動かさなくてはいけない シナリオも描かなくてはいけない (一人三役)
最後はハッピーエンドに出来れば最高  がん患者、認知症 高齢化社会 どうしたらいいか   
さまざまな高齢の方の任務にも付いていたので、私のできることは内科医として的確な診断を早くして、きちんとしたケアをきちんとして 最後の終末を如何に上手に満足した死を迎えられる事を手助け出来るか 大きな課題となります