2012年11月20日火曜日

藤田三保子(女優)       ・鳩子の海から38年 私の熱中人生



藤田三保子(女優)   鳩子の海から38年 私の熱中人生
46年3月高校卒業後 女優になりたいとひとり上京 卒業後 5日後の事 48年劇団文学座 
付属研究所に入り、49年の朝のTV小説 NHK 鳩子の海のヒロインに    TVドラマ等に活躍するうちに過労で疲れが溜まり、身体の調子がすっきりしませんでした 
そしてその原因が難病 膠原病でした   
私は負けないという気持ちを持ち、さまざまな試練を乗り越えてきました 
病と闘いながら、子育てをして 人生を切り開いてきました 

167cmデビュー当時あった 女優としては私が一番高かったと思います   
今は若い時みたいに調子はいいです
「鳩子の海」から38年になる   斉藤こずえ は40歳を超えている 当時6歳  
鳩子の大人時代(18歳から42歳)を演じることになる
13,4歳のころに女優への思いを思い立った 母が新派の女優をしていた 
母は2歳のときに離婚  兄と、私を女手一つで育ててくれた

6歳までは転々としていた  
旅館に住み込みだと1000円プラスになると言う事で旅館に住み込みで母は働いた
別のところに預けられて育った  
2年生になって直ぐに別の山奥の処に引っ越すことになる (母親の恋愛と関係してた様だ)  2年生の時から中学までそこで過ごす  言葉使いがちょっと違うと言う事でいじめられた 
父親がいないという事で白眼視された  
学校からも社会からもいじめられた  中学校1年の時に母が借金をして そこに居られなくて 夜逃げ同然に逃げた  兄が東京で働きながら高校に行っていた

私は借家で一人で家にいた(12歳)  母から電話がかかってきて、防府で住めるところが見つかったので、こちらに来るようにとの連絡が入る
引っ越し荷物を一人で作って、運送屋さんに迎えて来て貰い、防府に引っ越す 
ようやく母と一緒に暮らせると思ったら、又そこは家族の内でそこに預けられる事になる
母はホテルの住み込みとして働く そこでも又トラブルがあり 別の処に引っ越す  
母が店を持つことになり、ようやく母と住めるようになった
凄くうれしかったが3年しか住めなかった  防府高校を受験して入った  
入ったら親友を見つけたいと思った

防府での店が借金で手放すことになった  引っ越すと母が言うので私は嫌だと反対した 
高校は変わらなくて良いと言う事になって高校1年の時に引っ越しをした
湯田温泉から山陽本線に乗り換えて学校に通うようになる  防府高校には演劇部は無かった 図書館に行って演劇の本を探したが10冊ぐらいしかなかった
「俳優術」とか借りてきて読んだ  3年生になってアルバイトをしながら 行きの運賃位は稼ごうと稼いで、卒業後5日後に東京に出掛けた
兎に角 この土地から出たいと思った  見送りは親友と母だけだった  
母が泣きだして、不思議だなあと思った 死に別れでも無いのになんで泣くのだろうと思った
そして次の瞬間 ワーッと私が泣きだしてしまった
  
木更津に母の弟がいたので木更津に行った   
歌手の家に住むようになる  1年居たら文学座などを受験させるということだったが、どうもおかしいと思って マネージャーに話すと、絵を描く画家を紹介してくれた
その画家の人が良い人で アトリエの隣の小さな部屋にベッドが置いてあり そこに住んでもいいよと言ってくれた モデルをやって資金を稼げた
役者になりたくて上京した事を画家に話すと 受験してこいと言われた  
受験、その後の授業料は出世払いで良いからと言われて画然張り切った

文学座と雲 を受けて、発表の日を待った 劇団雲は補欠  文学座は夜の部が出来たので そこにいける事が出来た
昼間はアルバイトして資金を稼いだ  むしろ夜の部の方が良かった 昼間の部であると 夜 アルバイトをするのは働く場所が限定されてしまう(水商売とか)
浦野進さんが(NHK 鳩子の海のプロヂューサー)卒業公演を見に来てくれていて、オーディションを受けに来いと言われ、オーディションを受けに行った

鳩子の海を終了してからもう一度、研究生に成れと言われた 
2回目の時は中村雅俊さんが同期生だった
オーディションに応募したのが、1500人最初は有ったとの事  一次選考は写真 
劇団の人は第二次選考からだった  
鳩子の海 は山口県を舞台にしたもので それを聞いたときには電流が走った(受かる前) 
最高は取聴率50%を越えた時が有った
思ったほどは仕事が来なかった  紅白歌合戦の審査員の声は来なかった   
Gメン75 の紅一点の役を貰う   ハードスケジュールだった
あんな仕事は2度とない  朝から朝まで 朝から朝まで と言ったような感じだった 
終わってから半年間寝ていた