般若心経を一般の人に説法する 各地に出向いて30年になる 愛知県の商家の生れ
父が薬師寺の高田好胤さんと親交を持っていたために,東京の大学の法学部に学んでいた時に、高田さんに出会い、その人柄にひきこまれます
家族の反対を押し切って薬師寺に入りました
その後修行中の困難な修行に耐えているうちに般若心経を読むようになったと言います
短い経典の中に仏の心を感じ取り、以来心のささえとしています
般若心経は仏教のエッセンスが凝縮されていると言います
般若心経は多くの人に読まれている 釈迦様の基本的な教えが書いてあるのが般若心経
649年5月24日に玄奘三蔵が翻訳した
弟子の慈恩大師が 唯我唯識の教えを大成されてその後 教えが伝えられている
唯我唯識の教えを継いでいるのが、薬師寺
般若心経のほうさんも 神前においては宝のお経、仏前いては花のお経 家の為人の為には祈祷のお経 どこでもとなえるのが般若心経
写経 1文字書くと、仏一体を作るのと同じ
如何に生きたらいいかと言う事を学ぶ場所がこの御寺
大学時代 43年~47年 大学紛争が盛んな時代 アルバイトばっかりしているような時代
奈良に遊びに来た 父に奈良に行くと言ったら、父が高田好胤さんを知っているので、高田さんに会うように、言ってくれて会う事が出来た
伝統行事にお手伝いに来ないかと誘われて、4年間知らず知らずのうちに御縁が深まった
卒業するときに、商売もいいけれど、高田管長さんの姿に触れて、宝石屋も良いけれど、こちらも良いかなと薬師寺にきた
最初 断られた 外で見るのと内では違うと どうしても入りたいと言って、納得して貰った
両親に話したら、両親は反対した しかしもう決めてきたと言って納得させる
高田好胤さんは人にはとっても優しいが自分に対しては非常に厳しい人だった
学ぶの語源はまねる 写経 字が上手下手ではない
写した用紙を丸めて、薬師寺に納める
信念を貫かれた方が高田好胤さん
人が喜んで下さることならば、なんでもやればいいのかなと 思った
最初から出来ないと思ってやらないで、先ずやってみる
やってみて出来なかったら仕方ない
間違ったら素直に謝る 早く軌道修正をする心がけが必要
30歳の頃、病気になった 顔面神経麻痺になる
最初はどうぞ病気を治して下さい想っていたが、 何故病気が治らないのだろうと思ったが
私が病気になったお陰で正しい心の学び方を習ったなあと思います
「色即是空」 色=目に見えるものの姿 空=目に見えない心の姿
物と心の調和が大切 病気になったならば、先ずお医者様に正しい治療を受ける
病は気からと言われるが、病気を治そうと言う気持ちが無かったならば、病気は直せない
物と心の調和が大切なんだと言う事を教えてくれるのが 般若心経
あらすじ 多くのお弟子様がお釈迦さまを囲んで修行をしている
多くの弟子に観自在菩薩がご自身の修業の成果を舎利子様をはじめ多くの弟子に話す
般若の行によって静かな安らぎの境地を得ることが出来たと言う話
お釈迦さまによってその成果がとっても素晴らしいものであり、実践にすぐれたものである
それでは般若の実践を私達もしますという内容
仏教の真髄が込められている 幸せを追う為には何かと言うものが 書いてある
お釈迦様の教えと言うのは 必ず原因がある そして縁が働いて 結果が生れる
縁起の法というが この世は奇跡が起きない とお説きになったのがお釈迦様です
種があるとする そのままであったら花の種 花を咲かせるには撒いてあげないといけない 水を与えないといけない、太陽の光、熱 やっと芽が出て、それで花が咲くかというと、まだ育ててやらないといけない
縁と言うのは条件 種が有って (原因) 水や太陽というものがあり(条件) 縁を加えてやる事によって、花が咲く(結果) 縁がかけたら生れない
お釈迦様は「縁起の法」を発見した (2500年前)
現実をしっかり見なさいよと、 無,空とか否定のもののみかたをするがそうではない
腹が立ったときに、悩みをぶつけながら、書けばいい 許す心が大切
幸せを邪魔する心の鬼がいる 噸 (とん) しん 愚痴
むさぼり と 怒り と 物事の道理を知らない愚かさ 何でも欲しくなる 欲望
受け入れて貰い人は良い人、反対の事を言われたりすると悪い人
という之が怒り そういったものを繰り返して、繰り返して、繰り返すから私達は迷いの世界になる
迷いは消すことが出来ない 全部取り去ってしまうのではなく、それを乗り越えたときに悟り、
素晴らしい世界があるのだと、 決心することだと思う
ついつい決心は揺らいでしまう
冷静に判断して、何が正しいか 何が大切かという事を見極める この事が大切と思う
仏教系の大学に行って仏教の勉強をしたかった 知らない事が9割といっていい
知っていることはごくわずか 私が理解している事を違う角度から話してくれる
人間一番大切なのは初心に還る事 歳を取ってくると 看板を背負う
看板が大事なわけではなくて自分自身が大切
大震災 義援金届けた 被災地に出掛けると 一番たりないのはお線香と言われた
3000箱を届ける(半年後 物資も行きとどいた頃)
かたちあるものも必要だが、宗教に携わる者としては、被災された方が前向いて生きて行かないといけない 元気を差し上げると言うか
人生の案内者が私達でありますので、実践をして頂く 写経をして貰う
写経は心の洗濯機です 元気に成りました という感想が有ったので写経の実践をして貰った
其の時にいろんな話をさせて貰った
羯諦(ぎゃあてい)(行こう) 羯諦(ぎゃあてい) 波羅羯諦(皆で行こう)
物は分ければ細かく小さくなってしまう 幸せは分ければ広がる
被災者の御苦労を少しでも共有することで 苦しみを共有することで 日本で命を頂いたので 手分けをして 写経して頂き、話をして 手伝いをしてきた
お寺の復興(大槌町) お寺が焼けた 先ず釣鐘をつくろうと、いったが住職は本堂をと希望したが、行く年は「追悼の鐘」を 来る年は『復興の鐘」をということで 皆に突いて貰う
未来を担ってゆく子供たちが幸せに成ってゆくにはどうしたらいいか 考えて行かないといけない自分の目先の事だけを考えないで 何をすることが一番幸せを頂く事が出来るのか
そのことを考えながら毎日毎日 せい一杯生きること この事が大切なのだと思っています
それがお釈迦様、般若心経の真髄、 が書かれているのかなあと思います
出来る事を一つずつする それをすることが大事
菩薩 正しい事に向かって一生懸命努力する人
ほんの一時でもいいから菩薩をめざす(瞬間菩薩)