2012年11月14日水曜日

リヒテルズ・直子(主婦)       ・異文化から学んだ私の人生


リヒテルズ・直子(主婦)               異文化から学んだ私の人生
1981-83年、国際文化教育交流財団から報償奨学金を受け、マレーシア国立マラヤ大学に研究留学
オランダに16年 在住  その前の15年間 留学先のマレーシアで農業指導員のオランダ人と結婚 以後ケニア コスタリカ ボリビアと現地で農業指導する御主人と日本では体験できないような生活をしてきました  
自身を含め 日本人は自分の意見を相手にはっきりと伝える事が下手だとリヒテルズ・直子さんに 31年間 の海外生活から学んだことなどを伺います   「祖国よ、安心と幸せの国となれ」  

身近な家族はみんなオランダに 居るので(両親は亡くなってしまった) オランダに永住することを考えている
15年間  マレーシア ケニア コスタリカ ボリビア  学生の時にヨーロッパに行ってもっと面白いところは無いかなと思った  イギリス(余り元気が無かった、魅力を感じなかった)
マレーシアを選ぶ(タイとかも行きたかった)  中国人もインド人もいて 気になった  
英国の植民地だった ので英語が通じれば、何とかなると思った
父からは心配されて、世話をして貰う処などを紹介して貰った  
マレーシアのいなかに行って、宗教の事で真っ二つに分かれて行った
大きな原因は 開発援助資金が回ってくるが、どこにその資金を回すのか、宗教の問題(イスラム教)とも絡む

主人が稲作の灌漑用水路の仕事(国連の農業の専門家として入っていた)をしていた  
たまたま出会って、結婚することになる  (大反対にはあったが)
東海岸 で油田が見つかり 脚光を浴び始めた時だった 当時の東海岸は本当にいなかだった オランダは低い土地なので灌漑用水の技術は発達していた   
その後ケニアに行く 赤道が走っている 東側の方  動物王国   
ケニアでも農業指導を夫はしていた 遊牧民に農業を教えようとした  
川の流れがどういう方に行くか判らない様なので難しい(乾期、雨期が激しく)
ケニア 自分達で判断して動くので、マレーシアとの違いを感じて吃驚した   
灌漑用水を作ってもどうなるんだというような感じも持っていた(誇り高い人達だと思った)
トラクターを入れたりする、処も有ったが部品、ネジ一つ駄目になるとそのトラクターが使えなくなってしまう事がある

良かれとやっても、技術の限界みたいなものをつくづく ケニアでは感じた  
天候のなせる技は厳しいものがある
何をどう援助するかは難しい  私達が作り上げた技術はその土地にあうものを 作って来ていて その厳しさにはどうにもならないものがあるだろうし、厳しい国の人達が何で自分でやらないかと言うと 厳しいうえに 資金が無い 教育が受けてない、お金もない という地域が沢山ある  
コスタリカに5年半行く  中米の農業関係者が集まる機関があって、そこで仕事をする  
以前よりは文明的な環境で生活出来た 
軍隊を持たない、国中米の平和運動に貢献していた  
軍隊が無いと公共の事業にお金が回ってくる  (教育、医療)  
ヨーロッパで2回の戦争があり 戦争を止めましょうと言うのが ヨーロッパ連合の基本事項
コスタリカは治安は良かった 
南米のボリビア チチカカ湖のある国 世界で一番高い湖  4000m位の処に空港がある  
頭が痛かったり 吐き気がしたりした
コスタリカとはまったく違う  ボリビアはインディオ 昔からあまり違ってない生活をしている  
アドベイ 泥で練って作った壁で家に住んでいる

農業省での開発政策をアドバイスする役割  南米 スペインがやってきてキリスト教を布教しながら、搾取をして行った地域 インディオたちにはそれが染みついている
ズーッと持ち続けている  不満が有るんだろなあとは感じている  
昔ながらの道徳観が有るんですね  
ヨーロッパ人に対しては声を張り上げて話してはいけない と言うような 人に対する態度が丁寧(東洋人に対しても)  
エリートは皆アメリカの大学に行く   
エリートははっきり区別されている(学校、家等)  
昔無かった産業が最近は増えてきて、観光産業なども増え、インターネット等も普及してきて情報が入ってきて、段々中流階層が増えてきつつある

オランダに帰ってくる  子供達に対して学校が細かく対応してくれたので良かった(オランダ語が出来なかったので個人指導をしてくれた)
子供を大事にする そのことは人を大事にする  オランダは森林が少ない 教育の違い  
日本の教育は経済を発展させるための教育   国に役に立つ人材を確保   
戦後の欧州は 戦争で国を破壊されたし、差別が有った(ユダヤ人の迫害とか)  
そこから人を大切にしないと 不満を持っている人達が表れ、いろいろ悪いことをしたりとか、長い時間を掛けてしみじみ学んだと思う   
それが今の教育に行かされて、オランダなどはそれを意識してやっていると思う  
女性の仕事をする場がある  オランダでは主婦の地位が高かった
  
家の中をきちんと、片付けたり、子供達がどうするか主婦の権威が大きいだけど働き始めた 
 80年代 年金問題もあるし ワークシェアリング  週に2日、3日働く人でも 有給休暇が貰えるし、
産休は貰えるし、病気になったら休めるし、その代わり社会保障費も税金も貰いますよと言う事皆でちょっとずつ働いて、ちょっとずつ税金を払う そうすると女性も働きやすい  
生活をちゃんとやりながら、仕事もできる  税金は高いが 北欧ほどには、高くない  
デンマークは25%だが、一番良かったのは自分で国境を意識しなくなったこと(国境を意識することは争いの元 差別の元)、 人を見る目も何何人という見方はしなくなった
 
オランダで余り通じないこと 「思いやり」 人間のいたわりにも通じる大切なこと   
しかし、自分の感情を言葉にして表すということは学んだ(言わないと判らない事あり)
文化が違うので誤解されるので、誤解されないように言葉で話すことは大事  
日本人は外国に行ったらスイッチを切り替える必要があるのではないか