川島みどり(日本赤十字看護大学名誉教授 ) 楽しくなければ介護じゃない
島根県生まれ 日本赤十字女子専門学校の学生寮に入り、戦後の日本の看護を担う生徒として学んできました
熱湯とタオルがあれば人を直すことが出来る との信念に60年間 看護師として患者と向き合い 看護の研究や若い看護師の指導に当たってきました
平成19年にはナイチンゲール徽章を受賞されています
まるまる本当の看護師としては20年です 基礎的な勉強がしたいと思って仕事を離れた
講演に来てほしいとか言われて、そういう方向に行ってしまった
いろんなところに飛んで回っている
講演、看護学校の学園祭 とか 大学の公開講座にとか 行っている
話す内容は前もって決めている
執筆の方は文献とか読まないといけないので 乗り物の中が書斎です
先輩から、卒業してからはどのように専門的な知識を吸収するかによって、ずーっと差が出来てしまうと言われて、毎日勉強しようと専門書を読んでいた
結婚後時間がないので、乗り物の中で読むようにした
昭和21年から高等看護学校を作って その4回生です
勉強は紙が無いので、教科書が無く、ノートだけで聞いて、書きこむだけだった
当時はとにかく物が無かった 工夫をしながらやりました
病院実習として看護師が足りなくて夜 勤務する そのハードトーレニングが役に立った
自分が犠牲になっても、看護しなければいけないとか、患者さんに対して平等でなくてはいけない 差別をしてはいけないと言われた
とことん叩き込まれた
事故を起こさないように、針の数が1本無くても叩き起こされてチェックされた
実践で身に付けさせられた
ベットはしわが無いのがベット 職業を選ぶということは 女性の職業は限られていた
今の女性は職業の選択が自由 今の女性は打たれ弱い最近特に強い
あの頃は先生がたが厳しかった 全寮制だった 寮を出ると言う事は退職願を出す事だった白衣とパジャマがあれば他にはいらないという事だった
社会性は無かった 白衣の天使は作られた虚像だった
食べ物が無くて、本当に大変だった
人間には回復力がある
医療の場合は外から 注射をしたり薬を与えて治すが、中に持っている直る力を引き出す
これが看護の原点(ナイチンゲールの話し)
あらゆる病気は回復過程である その回復過程を整えるのが看護である
新鮮な空気、暖かさ 規則正しい食事 光 そういったものをきちっと提供する
一人一人の持っている生命力を整えるのが看護だと言っている
生命に対して中から引き出す
明治時代から、医師の手伝いをする職業として始まる
看護の本来の業務 と 医師の診療の補助 の二つが仕事の内容
医療は物凄く進歩している 人間が生きて行くには欠かせない事がある
コミュニケーションを持つ 勉強、学習する これは自分がやらないと解決しない
病気、手術、幼い子、高齢者、自分で出来ない状態を、自分で出来るようにお手伝いするのが看護
免疫力を高める
(身体を拭く事によって副交感神経を高めて、免疫力を高める。
言葉かけをして気持ちよくしてあげる)
介護、看護、生活行動の援助、暮らし、食べる 、眠る 、トイレに行く等を主として生活のお手伝いするのが介護
本当は同じだと思う 高齢者が増えて看護師だけでは足りなくなり 平成12年 介護福祉法が出来て介護職が誕生する
ケアをするのは人間本来の営み それが進んで専門職が出来る
韓国で生まれて 韓国、中国を転々として 15歳までいた(父が銀行員だったので転勤が多かった) 敗戦のときは北京にいた (治安はさほど悪くは無かった)
6人兄弟だったので乳呑み子が居て、大変だった アメリカの船で先崎に着いた
島根県に帰ってきた(父の故郷)
お金が無かったので働かなくてはいけなかったので、お金が無くても勉強出来る道があると紹介してくれたのが、せいろか女専だった(行こうと思ったのは2人いた)
伯父が一人は日赤にしなさいと言われて、日赤にした
専門書はずーっと離さず持っていて勉強していた 大変だから続けてきた
最後のハードルを越えた(困難)のは自分の力 自分の喜び
診療の補助に偏ってしまって、本当の看護する場面が少ない
自然治癒力を高めて、患者さんの気持ちをやわらげてやる
脊髄腫瘍の子供が来た 仰向けに出来ない状態だった
お婆さんの様な顔をしていた(痛いよう 痛いようといって)
お湯を汲んで来て、脈を見たら 良くない(数えれれないほど早い) 足だけ洗いましょうねと言
て足だけ洗った
1週間かけて、徐々に身体全体を拭いてあげた
背中の一番怖いところをガーゼで拭いてあげたら、にっこり笑って ほっぺがピンク色で ありがとうと言って、看護婦さんお腹がすいたと言った
全然食べて無かったので、配膳室に行って、おかゆを作ってあげたら、美味しそうに食べた
脈が正常に成っていた
放っておいたら1週間で亡くなったと思うが、3か月以上少女らしい生活を病院で過ごした
ナイチンゲールの全訳本をその少女の看護をしてから、10年後に読んだ
安楽と言うものは、それまでのその人の生命を脅かしたもの、が取り除かれて、再び生命が生き生きと動き出した兆候だ と あっとそれを呼んで感じた
彼女の生命を脅かしていたのは 「おでき」ではなくて 「垢」なんだと
全身を覆っていた垢なんだと判った
気持ちがゆったりした感じに成って、副交感神経が刺激されて 消化器が働き、胃液が分泌されて、「お腹がすいた」と言う事に成って、同時に直る力が出てきて脈が回復したと思われる
これが私の看護の原点です