2012年11月12日月曜日

樋口久子(元プロゴルファー)      ・時代を作った女たち 2

樋口久子             時代を作った女たち 2  
2003年に世界ゴルフ殿堂入り  日本人で初めて入る  
1970年から、アメリカツアーを10年間行きました 日本では試合数は少なかった 3試合 
年間10試合を目標にアメリカで行ってきた(3か月間)  
通訳を雇って、移動は飛行機で、後はレンタカーで移動した 
コースの下調べは全て自分で行う    コインランドリーを知らなくて、ホテルでは洗濯したりしていた電気がま、おろし金を持って行って、ご飯、ソーメンを作ったりしていた 
しょうが等は売っていたのでおろし金でおろしたりしていた  
練習環境は日本に比べて、物凄く良かった   
ゴルフをやりたかったので、多少の犠牲はやむを得ないと思っていた

努力することは当たり前のこと  或る程度旨くなると練習が面白くなる 
150ヤードを狙うにも、真っ直ぐ打つ、フックで打つ、スライスで打つ、木を越して打つとか、いろいろ目標を作って正確に打つ、練習をする
32歳で全米で優勝する  27,8~32歳当りが一番油が乗ってくる((始めてから10年ぐらい)  (最近は5歳ぐらいから始めるので 20歳前後か)
生涯業績部門で認めて貰い入る   ニック・プライス  アニカ・ソレンスタム  
優勝回数の規定があり、それにクリアー 世界の投票権の有る人達から65%の得票を得ないといけない
日本ではほかに、岡本綾子、青木功、尾崎将司  の合計4人が入っている 
優勝して日本に帰国した時には、羽田に一杯記者が来ていて吃驚した
(それでも当時 10人位だった)
私達は1期生なので後輩が背中を見ているので、下手なことをしてはいけないなと、想っていた
アメリカでの経験で、結婚しても、ゴルフをやっていけるし、子供ができてもやっていける事を、目のあたりにして 結婚してもゴルフをやっていけると思った
結婚して、子供もできて ゴルフが続けられるか は主人の理解、助けが必要だと思う  
42歳のときに子供が授かり 2年間はゴルフはしなかった
又勝ってみたいと思うようになり、ゴルフを再開した  その後2勝する  
子供は今24歳になる  ゴルフをやらせた時期が有ったが、その後やらなくなった
ゴルフをやると、母親とは一緒に居られなくなるからと 小学校の5,6年の時に言われて、ぐさっときた
ゴルフは生涯スポーツ  14年間女子ゴルフ協会の会長を務める   
スポンサーの意向  費用対効果を考える  バブル崩壊でスポンサーは減ってしまって
これで最低だから、これからは良くなるだろうと、プラス思考なもので、そう考えた
当時はゴルフする人しか見に来なかった、
TVも見ないので、増やすにはどうしたらいいかと考えて、子供のゴルフ教室を開いて、遊んで貰う
子供だけでは、出来ないので 親とか祖父母が一緒に来るので、興味を持って貰う事になる  14年間で4000人の子供を対象に行った
ギャラリーも増えてきた   1試合の出る人数は決まっている  
選手全員を公平に参加することが難しくて、一緒くただった選手をトーナメントプレーヤーと インストラクターとに分けた   
実力主義と、指導者の育成、に分ける  
外部からの受け入れ 年間の出場資格を取り参加して貰う事になる  
宮里藍がアマで優勝する  1年間の出場資格を得られる  
そのようにして若い人達が増えてきて、新聞、週刊誌 TV等のマスコミにも取り上げられるようになった
ファンも増えて、ファン層も変わってきた  視聴率も上がって、ギャラリー動員数も増えた  
今、沖縄、九州の人が活躍している   ジュニアー育成がしっかりしている  
熊本は女子選手が多く出ている  坂田塾発祥の地 
韓国勢が強い 受け入れをオープンにしているので制限するわけにはいかない  
その中で日本選手が強くなっていかなくてはいけない
韓国はバックアップが良い  親がお金を出してプロに育てて貰う  
ナショナルチームに入ると今度は国が援助してくれる
親に速く楽をさせてやりたいとの想いがある(ハングリー精神がある)
これからはオリンピックの事もあるので、
(招致委員にもなっている)それに対抗しつつ、ゴルフも楽しみたい
も一度ゴルフと向き合いたいと思っている