琉球弧 亜熱帯域の島々 鹿児島県、沖縄県ではなくて、琉球弧の文化を発信できると思う
島では旧石器時代から住んでいる。
今に至るまで限られた島の資源を利用して生活してきている。
八重山、沖縄、徳之島、奄美大島ぜんぶそれぞれ旧石器に相当する遺跡がある。
島なので公益交流なので、外来の物を上手く島化にして、島の文化化をしている。
島化→島のしたたかさ 琉球弧の島々は独自性を持っている。 共同体としても生きている。
船一つとっても、島の周辺域の漁をすると云う事で、速度の速い船(先がとがっている船)、 安定性はあるが早くない船(先が平ったい船)、があるが北部に行くと合いの子ができ上る。
日本には漢字文化が入ってくるがひらがな、カタカナが出来てくるが、日本文化を縮小したものがそのまま残っている。
外からの影響を受けていても独自性、方言、節回し、曲の違いなどがある。
皆島にどっぷり漬かっているので島の良さが解らない。 島から一歩も出たことがない人がいる。
最近はTV、ラジオ、等で海外情報が入ってくるがやはり島がいいと思っている。(なんとなく)
一度島の外に出ると島の良さが判る。
私も学生時代に外に行って島にもどってきたが、島の良さが分かった。
先史時代からの人も同じだと思うが、外来文化の影響を受けて、島の良さが生かされる。
外来との交流を閉じてしまっていると、全く島の良さは生かされないし、島の良さが育たない。
(大島紬と言えば奄美、 奄美と言えば、大島紬 大島紬にかかわっている人が私の周りにもいます。 歌と声に感動しました。(こうすけさんの曲 「家路」) 投書より)
今取り組んでるのが、それぞれの歴史や文化を考え始めていて、解決すべき問題は沢山出たと思う。
奄美、琉球の自然遺産への取り組み。
田中一村も大陸から島に来て、19年間島で生きてきて、集落の中でなく、周辺の森の中からのぞく様な絵ですね。
自然とのかかわりの深い絵だと思う。
19歳の時に書いていた、同胞自然 彼はこれをずーっと求めていたのではないかと思う。
日本でも忘れかけられている、奄美に来るとそれが生きている、それを完遂させたものではないかと思う。
同胞自然 自然から全て学んでで自然の中で生きている。
島の資源利用は森から海に至るまで、垂直利用なんですね。
垂直利用の中には集落があり、集落の奥の森には妖怪が住んでいて、深い森にに入ってゆくときには妖怪におまじないする。
木の実、猪等を取りに行くときは恐れが生ずる。
恐れて敬ってそれを守って残すという事が、島の中の道徳みたいなものになっている。
我々は当たり前に思っているが、外から来た人からみると、自分の世界に求めたのはこれかなとか、芸術の世界で田中一村はそれを見つけたのではないかと思う。
けんむん 身近でなおかつ恐れるもの。 妖怪なので、お年寄りにけんむんの事を話してくださいというとそんなことは知らないと、話してはくれない
自然に対する怖さを持っている。
最近の日本では自然を我々が支配したという様な気持ちになってきている。
恐れるものを大切にする、ある程度親しみを持たせるが、キャラクター化すると恐れなくなる。
しかし恐れなくなるとしっぺ返しを食らう。(ハブにあたったり そういったいわれがある)
幽霊とけんむんは違う。 島ではまだ恐れがある。
だからけんむんは、島歌がいっぱいあるが、島歌では歌われない。
グローバルの視点は必要だはあるが、琉球弧のねっこは学ぶべきものが多いと思う。
どの島々を持っても、独自性はある。
島尾 敏雄さんが ヤポネシア(造語)作る。 言わんとするところは同じ ヤポネシアの尻尾の方。
日本列島の縮図 鹿児島から台湾まで、188の島があり、68島が有人島。
琉球弧は自然の回復力、生物多様性と言うのが注目されている。
自然とのかかわりが色濃く残っている。
奄美群島は日本にはいったり、琉球に入ったり、アメリカに入って日本に復帰と繰り返しやってきた。
多様な影響を受けているが、島々にはそれが生きている。
生きていてそれぞれの歴史がある。 多様な文化を戦争によって受けたり、侵略によって受けたりするが、歴史を正しく見ていかないといけない。
どのような影響で入ってきたのか、琉球、薩摩、その後の文化がどう変化してきたか、それを島の人達がどうとらえてきたか、そういう捉え方が必要だと思います。
奄美群島は良く理解できる。 したたかさを正しく理解する、そのためにはどういったものがあるか、それが奄美群島内には強く生きている。
群島内が博物館と或る意味では言える。
ようやく方向性が見えてきたのではないかと思う。
大宰府の出先機関の遺跡。
中世史を塗り替える様なものが発見されつつある。
我々はローカルですが、ローカルだから出来るものがある。
環境循環型 ローカルだったから最先端を行っている。 それを宝にする。
グローバルの視点でローカルから学ぶ、地方にはまだ愛が生きてるのではないか。