2013年12月14日土曜日

上原一彦(水生生物センター・研究員) ・絶滅寸前の天然記念物を救った市民力

上原一彦(水生・研究員)       絶滅寸前の天然記念物を救った市民力
いたせんぱら 鯉科の淡水魚 小型の鮒に似た魚 大坂周辺の淀川水系、富山平野 濃尾平野の川に住む魚で国の天然記念物に指定されています。
のように平たい体形で、色やかな部をもつ魚」の意である。
今年10月10日、大阪市旭区でいたせんぱらの放流式が行われました。
関係者地元の小学生たちがバケツに入れられたいたせんぱらを一斉に放流しました。

絶滅危惧種に指定されていた。  2005年を最後に淀川から姿を消していた。
市民の力で野生の状態での繁殖が確認されました。
いたせんぱらの人工繁殖の研究を続けてきた環境農林水産総合研究所 水生生物センター 上原一彦さんに伺います。
幼いころから父親に連れられて淀川で遊んでいました。
宮崎大学に進んだ上原さんは卒業後1993年大阪府立淡水魚試験所(水生生物センター)に入所、魚類の研究に携わりながら、いたせんぱら保護の活動に加わってきました。
市民の力が淀川のいたせんぱらの危機を何度も救ってきたと云う上原さんに、いたせんぱらの不思議な生態や淀川の歴史と共にあった其営みについて伺いました。

市民に依るいたせんぱらの放流は初めて。
密猟にならないように非公開でやっていた。
淡い紫色、おなかが黒いが、オスは卵を産む時期に変わったきれいな色になる。
絶滅寸前だった。 レッドリスト 
外来魚の駆除作戦、放流作戦をやってきた。
ブラックバス、ブルーギル 肉食の魚でもともといた淀川の魚を食べてゆく。
いたせんぱらを飼育増やしているので平成21年23年に500匹を放流すると云う試みをやってきた。
放流したものが子供を産んで966匹今年の春に確認されている。(自然の中で)
命のサイクルが確認された。
今年の秋の放流で晴れて、公開放流となった。

淀川川岸に池の様なところがあるが、人間が河川改修で石を積んでいったものが残っている。
ここに天然記念物のいたせんぱらが住みついている。
習性、生きた二枚貝に卵を産みつける。
メスは銀色、産卵管を貝の体に容れて卵を押し込むが、1秒程度で行う。
オスは貝が吸い込む管のところに精子をかけると、水と共に吸い込まれて受精する。
貝は嫌がるが、卵は一つ一つが粘着性があり、ひっついて固まるので吐き出そうとするが出来ない。
半年以上という長期間を母貝内で過ごした後、表層水温が20 ℃を超える5-6月に後期仔魚が母貝から浮出する。
江戸時代の頃には淀川にはいなかったといわれる。
河川改修が始まるのが、明治時代から昭和初めの頃。
大きな蒸気船を通そうとして、河川改修を行った。
川の真ん中は流れが速くなって、周辺は堆積されて、池の様なよどみ部分が出来て、いたせんぱらの住みやすい環境ができた。

昭和44年生まれ 淀川のほとりで育った。  淀川は遊び場だった。
父親は川に入って行って網で魚を取るようなことをやっていた。(観賞用) 
一緒に父と取っていた。  
知識がないので図鑑を観て鑑賞していた。
高度経済成長期で大気汚染、川が汚染されていた。
50年ごろには淀川はそれほど汚くは無くなった。
1971年 川幅を広げる大改修をすると云う事建設省が発表する。
淀川の魚にとってはピンチと成る。
1969年に高校生がいたせんぱらを取ったという事で注目を集める。
それが元になって、魚を守ろうとの運動が高まり、いたせんぱらを天然記念物にできないかと、署名活動を行う。
魚で天然記念物は一種類もなかったが、1974年に初めて指定される。

わんど は市民活動の成果で残すことに成功した。(淡水魚の楽園)
1983年 河口堰ができる。 
水をせき止めて川の水位を人工的に調整するもの。
池の部分に泥がたまったりするので環境が悪くなる。
いたせんぱらとかにとっては生活しにくいが、外来魚にとっては問題ない環境でドンドン増えていった。
平成10年の中ごろからの調査では特に増えてゆく間に、淀川の在来魚は急に減ってゆく。
淡水魚試験センターの研究員が150匹取ってきて細々と飼育し始める。
人工繁殖も検討する。(人工授精)  
貝への繁殖ではないやり方の方法の研究。
冬を貝の中で過ごすので、一旦低温の時期を経験させることで、成長させる。(2006年成功)
いたせんぱらが2006年に絶滅危惧となる。
外来種ブラックバス、ブルーギルがいる状況では餌をやっているような状況なので、根こそぎ駆除作戦を検討する。

わんどでの外来魚の駆除 好んではいる穴があるが、罠を仕掛けて一度はいると出られないようなものを作るとか、砂利の所に卵を産む習性があるので、砂利を置いたバットを置いて、卵を産んだら其バットを取り上げる方法等で対処する。
予想していた程度に3割になり、2,3年続けたら日本の魚が20種類ぐらいに増えてきた。
いたせんぱらは復活しなかった。
予算が国からでなくなって、市民が動き始めて、声を連携させて、いたせんぱら保全ネットワークを立ち上げた。.

行政関係、会社関係、市民等が連携。
30mの地引網を引いて、そこにいる魚を全部とり、中の魚を調べて、外来魚は駆除する。
続けている。  
ようやく2012年 前年育てた魚が産んでくれて、子供が育った。
わんどで稚魚が発見され、増えた状況が確認された。

いろんな生き物が沢山いる事がいいことだという、生物多様性の重要性が認識されつつある。
モデルケースの形で守ってゆく事になれば嬉しいと思います。
淀川は自然が残されている。
沢山の生き物がいるという淀川になっていることを望みます。