2013年12月24日火曜日

妹川幸二(水車大工)       ・3連水車を守り続けて

妹川幸二(水車大工)     3連水車を守り続けて
九州福岡県朝倉市は九州の最大の川、筑後川が流れる田園地帯にあります。 
やや高台にあることもあって江戸時代はよく干ばつに悩まされました。
そこで約200年前に、筑後川から灌漑用水をひき、そこに水車を作って田んぼに水を流すようになりました。
高台に水を上げる揚水のための水車は能率を上げるために2連、3連の物がありました。
朝倉地方のあちこちに作られた水車は現在も3つ残り、豊かな水を35ヘクタールの田んぼに水を供給しています。
地元で大工さんをしている妹川幸二さんは子供のころから3連の風景に親しんできましたが、若い頃から、水車の維持管理の仕事にかかわるようになり、56歳の今も水車を動かす春から水を止める秋まで、毎日の様に水車の手入れを続けています。
3連水車を守り続ける苦労と心意気を伺います。

大きな水車、家一軒ぐらいの大きさが三つ付いている。
中心にどうぎ 、自転車のスポークの部分に当たる、ひのあし その先に輪板 その先に柄杓があって、回転して水を汲むようになっている。
直径が5m、中が4.2m、その後ろが3.9mぐらい 柄杓の数 48個 44個 40個になっている。
柄杓自体は金釘を使うが、全体を組み立てるときには、竹の釘を使う。
3連水車の一番大きいので10秒で1回転する。
揚水用の水車として、実働で回っているのはここだけ。
堰を作って水が全部跳ね板に当たるようにして、柄杓に水が入る。
柄杓1個に7,8リットル入る。 
3連が1基、2連が2基あります。   220年前ぐらいから使われている。
誰が作ったとかは判っていない。

部品も手作業で作るので、最初に作った人は試行錯誤で大変苦労したものと思われる。
水切りがないと真下に水が落ちてしまうが、水切りがあると、横に水が流れて、うまく樋に入るようになっている。
板をひじきにさしこんで止めるので全体に力が分かれる。
27歳ぐらいから妹川紀男さんに弟子入りして、やっている。
30歳過ぎからは一人でやっている。
親も大工で3年妹川紀男さんにお世話になり、親と同じ経験をしたいと思って弟子入りした。
24歳で大工になる。   妹川さんは水車の作る名人だった。
紀男さんは自分で盗みなさいというような人だった。(口で教えてもらわなかった)

朝、ちょっと見て回って、緩みが出た処を見つけると、修理したりする。
柄杓が壊れたりすると予備の物と交換したり其他いろいろな部品の不具合があったら修理している。
ゲートがあって、筑後川に水を流して、水車を止める。
水車が止まるまで1時間掛かる。
9月中旬ぐらいから、水の量を少なくして、10月11日は全部干してしまう。(観光用にはそれまで回す)
台風でも水車自体には影響なかった。 水量は門とかで調整するので。
紀男さんの時からマスコミに脚光を浴びて、有名になった。
解体の時にもその状況をマスコミに情報を流して見てもらった。
国の文化財指定になっているし、観光的な事もあるし、私がいなくなって、誰もしなくなったら
電動式になるのではないか、そうすると大工事になるし、米を作れない時期が出てしまうのではないかと思う。

3連水車は200年ずーっと動いているが、5年動かすと6年目には作りかえる。
技術の伝承が難しくなった。  
全部が根気の居る仕事 3日も4日も同じ仕事をいなければいけない。
後継者 2人いる。  作るだけだったら出来るが、維持管理、修理したりすることが大変。
会社務めをしていると(大工ではあるが)、そういった時間を取ることが難しいところがある。
会社の理解が必要。 
水車で食っていければいいが、どちらかと言うとマイナス面がある。
いずれどちらかに継いでもらわないと、私も辞められないので。
一緒に組み立てをやってもらっているので、要領は掴んできている。
まだ作っていない部品はあるので、まだ習ってもらう事はある。
胴木は24角形にする、日の足を差し込む部分に穴をあけるとか、組み立ての部分も有るので、こういったところの感を掴んでもらいたいと思う。

ずーっと水車は保存していってもらいたいと思う。
後10年ぐらいでバトンタッチしたいと思っている。(重い作業などもあり)