2013年12月15日日曜日

鑪(たたら)裕和(医師)      ・地域医療を支える

鑪(たたら)裕和(医師)       地域医療を支える
昭和30年生まれ 平成8年に当時勤務していた東京都老人医療センター(東京都健康長寿医療センター) の同僚と共に板橋区で診療所と、訪問看護、リハリビなどのサービスをセットしたつくしんぼ会を立ち上げました。
今日はその活動を伺います。

鑪の名字 親戚が近所にはいない。 古い時代からの名前  弥生時代からの名前と思う。
もののけ姫の映画の場面でタタラ場(モデルは、現在の島根県の踏鞴(たたら)製鉄の関連施設だとされる)でタタラ族が製鉄をしている場面が出てくるが、
おそらく大陸文化がやってきて、出雲地方でた踏鞴(たたら)製鉄という製鉄文化が繁栄して行ったものと思う。
島根半島は出ぱっているが、もともと島根半島は沖にポツンと島があって、たたら族が製鉄のために、森林を伐採して禿山となり、結果、土砂が崩れ落ちて半島ができ上ったといわれている。

東京の板橋区で地域医療をしている。
勤務先が老人医療だった。 退院しても生活機能が落ちてしまう。
病気だけを観て居るだけででいいのかと思っていて、家に戻っても元の生活ができるようにした方がいいと思っていたのが25年前ぐらい。
海外で実践しているところが既にあり、見学などして、考えが間違っていないないことを確信する。
同じように思っている人が周りにもいたので、呼びかけをして、つくしんぼ会を立ち上げた。
立ち上げてから19年になる。  最初メンバーは17,8人
板橋区は大きな病院に恵まれたところ。 国内でも非常に恵まれた地域と思う。
平成12年に介護保険が始まったが、私たちが立ち上げたのは平成8年ですから、公的にバックアップしてもらったので非常にやりやすかった。
高齢者が一度生活機能を落としてしまうと(ADL)、いい医療を受けられたとは言えない。
病院がいっぱいあってもその網から沢山こぼれてしまっている人達がおり、それをカバーしなくてはいけない。

認知症で大病院に外来があるが、其あと患者をフォローしてゆく機能があるかと言うと、そういうわけにはいかない。(半年後、1年後の診療となったりする)
症状は進行してゆく。 生活が困難になってくると私たちのところに来る。
社会的障害に対してどう対応したらいいのか社会的資源とかを家族の方に教えている。
訪問看護、相談に乗ってゆく為に人を配置(ケアマネージャーとして働く)
ケアマネジャーは知識、経験がないといけないが、なかなか対応できる人がいない。
ケアマネージャーを教育している。
医者は常勤2人、非常勤が3人、訪問看護15人、外来看護師が何人か 理学療法士5名
リハリビは本来は生活再建が目的 ケアマネジャー 2名 事務スタッフ含め 50人ぐらい
外来患者 お年寄りが多いのでいずれ往診になるので往診に力を入れている。
外来をやっているところは患者さんとの付き合いが長い。
看取るときに自然体でお互い納得しながら最後を迎えるという良さがある。

患者さんが一番安心するのはこれからは一人で、介護するんではないんですよと言う事を話す。
看護する人をサポートしてあげますという事を看護者に伝える。
往診は患者に応じて間隔を判断する。
介護力があっての在宅医療。  家族を如何に支えてゆくかがポイントになる。
毎週木曜日に必ずミーティングを行う。
(総合的に判断してゆかなければならない、家族の気持ちをどうやって組み上げてゆくかが大きなポイントになる。  いろいろな意見が反映されるようにしている。)
金銭的な問題、どういった死生観を持っているかとか、情報を得る機会は医者だけではだめで、情報を流してもらう事がいい医療につながる。

公開講座は患者さんに対する医療を集団的に皆さんに伝えることを設定したが、地域の他のサービス業者と同じ言語で話せるように変わってきた。
教育の場が増えてきて、ケアマネージャーさんが減ってきて、家族教育が今後公開講座の主体になってゆくと思う。
連携して地域医療が叫ばれているが、専門者は少ないので、介護者、家族教育が大事になると思う。
開業したい医者がいれば、そのうけいれも積極的に行っている。
一人暮らしの方々の受け入れは? 介護者がいないと在宅医療ができないのではないかと思っていたが、完全独居が15%、日中独居が20%  1/3は独居なんですね。
在宅で生活を支えるという事は決してできないことではない。
老老介護、介護力として期待できない家族がある。  
6~7」割は介護者がいないような状態になってきている。
一般論として見れない事はないと思う。

自宅で亡くなる方は13% 80数%は病院で無くなる。 60年前は全くこれと逆だった。
在宅での看取るを推進してゆくためには、偏見を捨てていかなければならない。
死に様を見せる事が重要と言っていましたが、死を見ることを体験していない。
家で亡くなる方が増えてきて、死に様を孫に伝えていけば、死ぬという事は自然なことなんだと判ってくるのだと思う。
死の過程を説明する。 
家で無くなると警察が検死に来るのではないかと思っている。
24時間以内に患者さんを医者が観ていて、診断の結果、当然死に至るであろうと言う事が解っている状態であれば、死亡診断書を遺体を観ないで、書いてもいいという規定がある。
誤解されていて、24時間以内に医者が見ていなければ、警察の検視を見なければいけないと勘違いをしている。
在宅でのハードルがあることを思っている。
手引書でそういったことを拭ってあげたい。

早稲田の法学部に行き、そのあとから医師になる。
難民キャンプを訪れる事があって、学生時代に国境地帯に難民キャンプに通うようになって、医者の仕事がやりがいがあるなあと思ったのが医者になるきっかけになった。
公開講座、ケアマネージャーが講演をしていたが、本当にいい時代になったと思う。
医者になりたてのころに教授に頼まれて、往診をさせられた。
立派な家にいっても介護の仕方とか、そういったことが全然判らなくて、行って最初にやることが患者さんの着替え、布団の交換(汚物にまみれてしまって) おむつの当て方から教えなければいけない、一人ではやりきれなくなって、看護師を連れていくようになる。
やっと家で見るような体制ができる。
訪問看護ステーションを作る動機になったのは、多分そこら辺にあるのではないかと、その講演を聞きながら思った。
介護保険が始まって制度が充実してきて、家で支える時代になったんだなあと思います。
批判は受けてはいるが、これがあったからこそ在宅医療が充実してきたんだろうと思います。