2013年12月1日日曜日

角幡唯介(ノンフィクション作家)     ・前人未踏の探検を求めて

角幡唯介(ノンフィクション作家)  前人未踏の探検を求めて
19世紀半ばに北極で全滅した探検隊、イギリスフランクリン隊の功績を辿って1600kmの道のりを徒歩で旅した記録「アグルーカの行方」で今年度の講談社のノンフイクション賞を受賞しました。
37歳、大学探検部のOBで大手新聞社で記者として5年を過ごした後再び探検に身を投じました
2010年に出版したチベット、ヤル・ツアンポー川峡谷探検の記録「空白の5マイル」では開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞等を受賞しています。
角幡さんの探検は文明の利器を頼らずに、自らの技術と工夫で困難を克服するもので、そのようにして獲得した事をぎりぎりの体験を記録する事が、本当の意味での冒険が困難になった現代のノンフィクションに確かな命を吹き込んでいます。 

去年冬の北極圏に1カ月そりを引いて放浪見たいなことをやった。
気象条件が厳しくて、顔は凍症になった  吐いた息で凍って素肌を出して凍症になる事もある。
「アグルーカの行方」 イギリスフランクリン隊の足取りをたどった記録。
1600kmを100日をかけてそりで辿る。  -20度~-30度 (最高気温)
テーマが自然の中で探検、冒険をする時に、生、死とかのテーマに強い関心が行っていて、学生の時に世界最悪の旅のスコット隊長による南極探検の本があって、途中でバタバタ死んでゆくがそれを読んだ後、ショックを受けて、人間性が崩壊してしまっている様な、そこまでする事が怖かった。
それから10何年経って作家になって、生だとか、死だとかを表現したいと思って、ぱっと思い浮かんだのがその本だった(『世界最悪の旅 悲運のスコット南極探検隊』)
次は極地に行ってみたいと思って北極に行った。

北極の歴史、資料を調べているうちに、フランクリン隊の事を知って、行ってきた。
129人全員が死んでしまったので、何があったのかは判らない。
アグルーカ(=大またで歩く男   生き残り)に関する調査資料があるが、事実かどうかは判らない。
(※イヌイット(カナダのエスキモー)がフランクリン隊の生き残りをそう呼んだようだ)
友人と二人で辿った。 そりで自分で引っ張って行った。 重さは出発時100kgずつ分担。
歩いている間はそんなに寒くは無い。(動いているんで)
起伏が凄くある。 氷の形状がいろいろあり硬い雪がおおっている。
風、潮流の影響で、大きな氷が流れ着いたりしているときがあり、10m、20mぐらいの高さの凸凹があったりする。 
一番困ったこと→空腹 激しい運動が伴うので、最初太らしてゆくが段々痩せてゆく。
1日5000kcal(通常の人の2倍)摂る。 
そりを引いて1日20km、30kmと歩くのでエネルギーの消費は大変なもの。
バターがうまい。 油はご馳走。  たんぱく質、炭水化物を効率よく食べている。 
 5000kcalでは足りない。(7000kcal、8000kcal位は必要)

食べたいと思ってじゃこう牛をライフルで撃って、肉を食べた。(モラルより食いたいが先行する)
フランクリン探検隊は人肉食をしたわけですよ。
そのような状態に近づいたら、果たして自分がやらないかどうか、判らない。
一概にけしからん事だとは私には言えない。
恐怖はそんなにない。 不安の方がおおきい、目的地に着けるのだろうかという不安。
極地の場合、突発的な事故はあまりない。(白クマに襲われるぐらいか)
旅があまりにも長いので、途中で何が起きるかわからない。 
食料が足りなくなってしまうかも知れないとかの不安がある。
生活をしながらの旅なので、自然とかかわりあいながら生活するので、或る意味昔の人の追体験の様な感じ 或る種の魅力はあると思う。  生きていると云う生々しい実感。
東京では決して味わえない実感。 
死があるから生がある、と言うのがひとつの真実 生きる上での真理だと思うが。
極地だとふっとしたことで死んでしまうかもしれないと感じる。(寒さなどで)
死を意識しながら旅を組み立てる。

行って帰ってくると又行きたくなる、説明する事は難しいが。
フランクリン隊だけの話をかくならば、文献等で実際に行かなくて書けるかも知れないが、
根本的な欲求として、自分が探検、冒険をしたい。 身をさらしたい。
自分がやっていることを、書きたい、表現したい。
最終的な形として本にしたい 行動する事が前提条件と成る。
早稲田大学の探検隊のOB 小さい頃から探検の事が好きだった。
他の人がやらない様な生き方がしたいと云う事が強くあった。
ニューギニアに行ったことがあって、家も全財産投げ打って行った。
行ってみたが、自分が求めていたものとは違っていた。 
家も無し、金も無し、また一から始めて行った。
新聞社受けたら入れたが、或る意味将来が見えてくるし、生きている実感みたいなものがなかった。

チベットに行きたいとの思いもあった。 好きな文章も書きたいとの思いもあって会社を辞めた。
チベットの世界最大の大峡谷を探検してみようと思って出掛けて、書いたものが「空白の5マイル」
開高健ノンフィクション賞 大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫山と探検文学賞など 賞を総なめにした。
死ぬと云う事を自覚するほどの目にあってしまった。 チベットには2回いっている。
2回目の時に気象条件が悪くなってしまったと云う事もあるが、最後の村を出発してから、何もない峡谷地帯を行くが、障害が思ったよりも大変で時間がかかってきた。
最後に1000mぐらいの岸壁帯があって、事前のリサーチでは越えられるはずだった。
通れるはずだったルートは地震かなんかで、崖が崩れていたため通行が不可の状態だった。
回って越えようとしている途中に雨、雪が激しくなって、食糧があまりなかったので、空腹がひどくなって、体が衰弱していって、倒木を越えるのに手を添えて足を動かすようになり、じわじわ追い詰められてゆく感じで、いろんな状況が悪化してきて、諦めて村に逃げようと思った。
対岸に村があるが、橋が有るはずだったが、辿り着くと橋がなかった。
(食料もないし、愕然とする)

選択肢が二つあった。
①別の村を目指す。 10日掛かるので食料がない。  ②冬ではあるが、川を泳いで渡る。 
①では必ず死んでしまうだろうと思って、②を選択  川幅は70mぐらい。
ビニール袋で浮輪代わりにして、行こうと思ったらロープが一本掛かっていたのを見つけた。  
なんとかロープを利用して川を渡る事が出来た。
泳いで渡ったら、絶対駄目だっただろうと帰ってきて川の専門家から言われた。
(低体温症で動けなくなる)
一度体験すると、(死を取りこんだ生) また極地に行ってみたいと思った。
冒険すると云う事は生きていることを確認する作業に過ぎない。
危険を全部排除できるかと言うとそれはできないし、それを排除してしまったら、それは面白いかと言うとそうじゃないと思う。
生命の危険があるからこそ意味がある。
リスクをどういう風に認識して引き受けたうえで、どうリスクと対峙するか、そこに意味だとか面白さがある。

北極探検の第二弾を計画している。  
太陽が昇らない北極を(極夜)、GPSをもたずに、助けを求める事ができる衛星電話も持たずに旅をしている最中。
極夜をどういう風に自分で消化して認識するか  極夜の恐さを理解する。
昔の人は、六分儀 水平線と星の角度をいろいろ測って計算して位置を求める方法で、それで出来るだろうと私は思った。
北極の旅で一番難しいのは自分の位置を決める事  気象条件に依って左右される。
六分儀で観測する事によって大変な目に会うのだが、北極と自分との関係性が成立する。
北極とはこういうものだと理解できるが、GPSを使うと壁が出来てしまうような気がする。
自然の中を旅をする一番の目的はどこかに行く事ではなくて、自分の自然に対しての領域を広げると云うか、極端な言い方かもしれないが、生きている感覚を味わえたり、自然をより理解できる。  
GPSを使うと極夜を本当に理解する妨げになってしまうので、使わない事にしている。
今の旅は不安、恐怖などは無くなってしまっている。
旅自体を本来の旅に戻したい、本当の旅をしてみたい。