2013年12月17日火曜日

現田 茂夫(指揮者)       ・私の生き生き指揮者人生

現田 茂夫(指揮者)       私の生き生き指揮者人生
師走に入り、街ではクリスマスソングやベートーベンの第9交響曲の音色が聞かれる季節になりました。
現田さんは27歳の時に、オペラに指揮者として、デビューした後、オーケストラの指揮者として
実績を積んできました。 
その後13年間にわたり神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として、指揮にあたり、その実力を飛躍的に向上させました。
現在ではプロのオーケストラを指揮するのはもちろん、アマチュア団体にも力を入れています。
年明け1月には、夫人のソプラノ歌手佐藤しのぶさんを主役にした「夕鶴」のタクトを取るなど注目を集めています。

指揮自体が身体を動かす、ので気を付けてはいます。
最近はなるべく歩く様に務めています。
第9はトータル7,8回はやっている。  第9は交響曲の金字塔と言ってもいぐらい素晴らしい。
シラーの詩を見て、構想30年以上練って作ってきただけの事はあって、世界中で演奏されている。  特に日本でも多く演奏されている。
毎年新しい発見があるので、指揮者として勉強になる。
年末、札幌交響楽団 九州交響楽団のニューイヤーコンサートツアーを行う。
自宅でゆっくりと言う正月は結婚して以来、ない状態です。
54歳 中堅 譜面の新しいところが見えてきたり、音は良く聞こえるようになってきた。

小、中、高と千葉県で育った。 長嶋茂雄さんに憧れて、野球に熱中していた。
小学校でクラブ活動始めるときに、合奏クラブに入った。   チェロを始めた。
6年の時に部長だったので、先生の代わりに指揮をすることはあった。
大学受験をするときに、音楽大学、指揮者になるという事がどこかに根深くあったんでしょうね。
高校3年になって決めた。
指揮者はピアノが弾けないといけないので、苦労した。
東京音楽大学、指揮科に入ったのが20歳だった。
このまま4年生になって指揮者になれるか、疑問があったので、芸大を受けて芸大に入る。
大学院がうかっていたが、大学の単位が足りなくて、大学院はいけなかった。
芸大を卒業したのは28歳になっていた。

指揮者としてのデビューが27歳  先生のカバン持ちみたいな事をやって、オペラのけいこなどを見て、オペラの副指揮者をやっていた。
新生日本交響楽団の指揮者として、そのまま引き続いて採用させてもらえる事になる。
大学院に行っていたら、このようにはならなかったかもしれない。
人間万事塞翁が馬ではないが、何がよくて何が悪いのかは分からない。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団で13年、1996年から入って 2000年常任指揮者、プログラミング、運営の面にも参加、非常に勉強になった。
作曲家がこんな音というイメージしたのを、その感動を、楽譜を頼りに、現代の感覚を入れつつ、楽譜から逆算して、作曲家がどんなことを考えていたのか、音を実際に眼の前で音楽を作る。
音楽をお客さんに聞いていただいて、感動して、初めて完結するものだと思う。

人間が持っている感情は古代からそんなに変わらないと思う。
気持ちの大元、感動、を人に伝えてゆく作業は音楽家の使命だと思う。
ベートーベンの手書きの楽譜はマイクロフィルムで残っている。
印刷の楽譜ではないものが伝わってくる。
どう選択して演奏するかは、きりがない  今日、演奏する第9は今日しかない。
プロとノンプロ 音楽の好きの心を失わないで、職業的な技術を持っている人が本当のプロだと思う。
アマチュアオーケストラから熱心さから学ぶべき事は非常に多い。

自分の人生の中で大分、第9をやってきましたが、ある方が19年前と比べ成長されましたねと言われて、数を重ねてゆくにつれて、音符の今まで見えなかった部分が見えてくる事は、物凄く近年あります。
プロだとかアマチュアだとかを考えて指揮をしたことはないです。
同じプロダクションに2人でいないようにしているが、「夕鶴」では一緒にやる事になる。
團 伊玖磨先生とお話しする機会、見近に接する事があって、凄く勉強になった。
音楽って生き方が素直に出てしまう部分がある。
普段の取り組み方がつくづく大事だと思った。
團先生の直筆から伝わってくる。  「夕鶴
物事動機があるはずで、鶴がこう思ったからこういう音符がある、それを我々は、音符の中から動機の方まで読み取らなくてはいけない。
その作業が難しいし、面白いところであるが、非常に勉強になる。
「鶴」が考えたことが音符になる。 その状況を先取りして出ていないといけない。

演出(市川右近)、美術(千住博)、照明(成瀬一裕)、衣装(森英恵)など一流のドリームチームで行うので、必ずやいいものを作りたいと思っている。
本当に好きになったことがたまたま音楽だった。
好きになったことが職業として生活ができていることがすばらしく有難いことですし、パートナーが音楽を追求してゆく人間であった事、周りの方々に恵まれている事、「輪」って大事だと思う。
皆が同じ方向を向いてゆく素晴らしさ、それに携わることができたので本当に有難いと心から思います。
最終的にはお客さんに感動していただくのが一番で、作曲家の考えたものを自分なりの想いを
素直に伝えたいと思う。