2013年7月29日月曜日

天野祐吉            ・隠居大学(伊東四朗)

天野祐吉       隠居大学(伊東四朗
小林信彦が、最後の喜劇人と言った(舞台出身の喜劇者)
石井均、森川信、由利徹 が浅草あたりで面白いことをしていた
あの頃の喜劇人は、この世界は水商売と言う事で、運がつくと言うという事で、自分の名前の中に水に関係する字を入れて、運がつく字を入れた 井(井戸の井) 川 とかゲンを担いだ
笑いをやる人はいるが、喜劇はちょっと違うんだろうなと思います
馬鹿なことを一生懸命やると、皆が本当に笑ってくれるが、馬鹿な事をふざけてしまうと面白くない、馬鹿なことをやって照れても駄目でお客さんが引いてしまう

渥美清と寅さんはイコールになっちゃっている ライフワークになっているが、渥美さんにしてみれば違う役をやってみたかったと思ってたんじゃないかと思う
渥美さんは勉強熱心だった
どんな分野の人も、功なり名を遂げたひとが一定の年になると、皆さん、かっこいいことを言い出すが、伊東さんは何も言わないから、本当にすごい、根っからの喜劇人ではないでしょうか
「いまどきの若い者は」とは言いたくない 若い人から学ぶことはいっぱいありますよ
私もTVで拝見していると、喜劇人としての伊東さんは、発見できませんよね
喜劇は伏線を張って、後々生きてくるというのはあるんで、TVから離れたりして、その場面を見ていないと、なにをかいわんや、になってしまうので、今、TVで喜劇は作りにくくなってきている
劇場でやっていれば、お客さんは最後まで見てくれるので、

昔はお金を払っているので、厳しかった  面白くなければ下を向いていたりする
「帰れ」とは言われた
もっとTVなりの面白さを追及してほしいと思う反面、TVとはこういうものと思って、やっぱり本当の面白さは舞台でないと駄目かもしれない
お笑いは客席で見ているのと、DVDで見るのとでは約3割面白さが無くなる
何故かというと、DVDの場合はカメラがカット割りして取っているが、違うカット割りで見ている
全体を見てたり、しゃべっている人を見てたり、リアクションを見ていたりする
「間」が舞台では生きるが、TVでは「間」を削ってしまう

「間」は自分が作っている間ではなくて、お客さんの 「間」なんですよ 
何かを言った場合、その言葉を理解するのに、0.5秒ぐらいかかる場合は、0.5秒かかる前に次のセリフをしゃべると、不親切なんですよね  
お客さんが納得するまでの間なんだろうと思っている
客層によって間の取り方が違う(お年寄りが多いか、と若い人が多いとかかで)
パロディー ほとんど消えてしまっている  やっても解らない  笑いにならない

笑いを生みだすベースみたいなものが、少し弱くなったように思う
TVがない時代には、芝居を見たり、講談本を読んでいてものをよく知っていた
結局、下ネタだとか、転んだり、ちびだとか、デブだとか、と言う事で笑わしているのではちょっと低いなと思いますが
「いい加減」 熱くもなく、冷たくもなく  ちょうど いい加減  と いい加減(どうでも)
へんに親切にしてしまうと、つまらなくしてしまう
台本は尊重したい  アドリブは止めましょうと

今はあまりないがNG特集 私は苦手で絶対嫌だった  一種の恥だと思うが
NG特集で、でたドラマは見たくないと思う(なんだあんな事をやっているのかと思ってしまう)
「タフマン」コマーシャル 駅まえでお客さんを巻き込んで行う 市川準
台本もない時もあった なんかやってください、のそれだけ
私を追い詰める 台本なしで3パターンをやったことがある
ドラマも自分で吃驚するような役が来る
「笑うセールスマン」 いまさらと思ったが、原作者からあんたしかいないので、駄目だやってほしいと言われてやったことがある

「ひらり」で お相撲の親方の役とか、いろいろあった
「おしん」の父親役  別の私を見つけてくれる
電線音頭をやっていたころ 真面目なドラマの話が舞い込んできた  それがどうかしましたか、で、話を進めますけど、と言われ、世の中にこんな人がいるのかなと思った
喜劇人は演劇人ですから、典型的人間像を持っていて、ぴたっとくるものがあるのではないか
電線音頭 シュール(意味不明)、 サルバドール・ダリの世界だと言われた(小林信彦 言)
ただナンセンス 100% ナンセンス  ナンセンスを突き抜けてゆくと、人間と言う存在がナンセンスなのではないかと、電線マンはいくら考えても解らないのは、奥が深いと思う

あんまり喜劇に意味は欲しくない 一番のほめ言葉は、わー面白かったね が一番いい
人間を見ているようで、見ていない