2013年7月27日土曜日

大乃国(第62代横綱)      ・故郷が支えてくれた相撲人生

大乃国(第62代横綱)    故郷が支えてくれた相撲人生
本名、青木 康 1962年昭和37年 根室町の出身 中学3年生の時にスカウトされて相撲部屋に入門しました
1991年平成3年に引退するまで、土俵人生をさせてくれたのは、故郷十勝だったそうです

現役の時は、最高210kgぐらいあったが、現在160kg 地元を出てゆく時は現在の半分でした
1978年昭和53年に初土俵 1985年昭和60年に大関 1987年昭和62年に第62代横綱
1991年平成3年に引退  それまでに426勝228敗 優勝2回 現在は芝田山親方
本業とサイドが間違われる スイーツで有名になってしまった
生れたときは健康優良児 地区の大会で優勝して、札幌まで行った
小学校1年生の時に3年生ぐらいの体格があった、小学校4年生のときには背の低い先生を上から見下ろしていました
言葉は少なく、気は優しく、力持ちと言うタイプだった

子供のころは、冬場は豆をより分けたり、春先になると種イモをきって準備したりとかの単純な作業は手伝いをした
小学校4年のときには牛の世話をしていた 餌をやったり、牛のふんを掻きだしたり、水をやったりした(手押しポンプなのでお湯で溶かしながら、みずを汲んできて、容器を運び、与えた)
20頭なので、水汲みが大変だった 
中学生になってからは、鍬で掘ってジャガイモを芋駕籠に手で集めて入れた その後鍬からトラクターになったが、30kg以上あるコンテナを積み上げる作業を一日中やっていた
親に怒られたというような経験は無かった
子供は褒められると嬉しいものだ

中学校は統合された中学にいったが、同級生240名いたが目立つ存在だった
柔道を始めたが、小学校から柔道を始めた子もいたので、技がなかなかうまくかみ合っていかなかった
中学1年、2年とやってきて、中学3年の時には、結構名前が知れるようになる
進学しようと思ったが、5~7校から来て欲しいといわれたが、昭和52年8月大相撲巡業が来た
自分では相撲は嫌だったが、巡業を見に行った
まわしを締めさせられて、土俵にもあげさせられて、たまたまご縁があって、出会ったのが、私の師匠である放れ駒親方 当時の大関、魁傑  内弟子を探していた
サイン色紙をもらったり、お弁当を食べさしてもらったりした
話が来て、相撲部屋を見ないかと、東京に行った  花籠部屋
ちゃんこ食べ、東京見物して、相撲取りになるかと言われたが、相撲取りにはなんか成りたくなかった
年が明けて、教師が進路をどうするか問われ、伯父からやってみないかと言われて、父も行かせたかったし、後ろ盾がいなくなって、行くしかないと思って決断した

自分の力を試すのだという想いでこの道に入った
新弟子検査までは、お客さん扱い 170cm、70kg検査基準 185cm、83kgで検査を合格
合格後はすぐに対応が違ってくる      面倒はよく見てもらった
いろいろあって、逃げて帰る人がいたが、帰ってきちゃったら肩身の狭い思いを親にさせてはいけないと思った
3年経って105kgになるが、なかなか増えなかった 今 一番欲しいものは何と言われて、体重がほしいといった
稽古の量だけは人に負けないぐらいやりました

横綱になって、精神的にも辛いし、勝って当たり前、 大関と横綱の違い
大関は二場所続けて負けたら関脇に落ちるが、横綱は落ちるところが無い
最初の場所ようやく勝ち越して、次の場所は休場、3場所目は出だしは1勝2敗 体重は210kg有
4日目の朝の新聞には、横綱大乃国は3場所目にして引退か?と言う見出しがでる
トイレで、(一人でいられるところなのでいろいろ考えられる)逃げ出したいなあとか、辞めたらどんなに楽なのかなあといろんなことを考えた
世間の目が向いていると言う事で、人間不信になる
いい人も悪い人も見境なく、みんな悪い人に見えてくる、皆敵に見えてくる

精神状態が揺れてくる、自分は何しなければいけないのかなあと、自分の親、兄弟、親戚の人たちの事を考える、と思ったときに、みんな心配してくれているだろうなあと、そこで自分は気持ちを切り替えて、よし、今日負けてもいいやと、1勝3敗になってもいいや、でもその代わり今日持っている力は今日全部使い果たそうと、明日の事は取り組みが終わった後に考えようと、1日1日積み重ねていったら、14日までに、12勝2敗 北勝海と対戦して本割で勝って優勝決定戦になって、勝って、逆転優勝した
一番大きな病気は睡眠時の無呼吸症 気道が狭くなり、眠っているときに呼吸が止まっている間隔があるので、起きている時と同じように呼吸する出来るようにセットする機械がありそれで楽になった
夜、睡眠が30分、40分おきに目が覚める トイレが近くなる 妄想を見る事がしょっちゅうある
昼間で話しているのが、寝ているのだなと見られたりする
血中に酸素を取り入れる酸素濃度が極端に低下して、脳が起きっぱなしの状態になる

こんな状態で、よく稽古をしていましたねと(心臓にも負担が大きいし)、言われて 治療することで余分な脂肪が(酸素と結び付いて余分な脂肪は燃やされる)取れて行った
太っていったというのは、空気中の酸素が体に取り入れる量が少なかったので、それで肥って行った、そういう部分があるので横綱時代活躍できなかった部分があるのかもしれない
当時、無呼吸症などはマスコミなどでは解らなかった時代

スイーツ 人生のタイミングとご縁があった 作る楽しいみ 
初めてスポンジケーキを作ったのが大関のころ
十勝の小豆は有名 小豆の豆まきから始まって、刈り取り、脱穀をやって小豆を作り、炊いてあんこ、ぼた餅、羊羹を作ってくれた
乳製品もお菓子には欠かせない 牛乳、チーズ、バター、生クリーム  十勝は乳製品もある
牛は食べる餌によって、出すミルクも違う
人間も親が食べてるものは子供に影響を与える

体力的な事、根気、努力とか、生まれ育った環境が今の私を作ってくれたので十勝の方に足を向けて眠れない
北海道、十勝は、四季がはっきりしている 四季折々が素晴らしい