大塚宣夫(精神神経科医師 高齢者のための病院の会長)穏やかな、静かな最晩年を目指して
1942年岐阜県に生まれ、慶応義塾大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生として、2年間フランスに留学しました
帰国後、自分の親を預けたい病院を目指して、高齢者のための病院を設立しました
今までの長い高齢者とのかかわりとの経験から、穏やかな静かな最晩年を目指してという題目で話を伺いました
人生の最後の何年間かをお預かりする立場なので、その部分を指して、最晩年と呼ぶようにしています
イメージとしては一人では生活できなくなって、他人の介護を受ける、病気の長期にわたる治療を必要とするような形で私どもに入院されていて、だいたい先がある程度見える時期なので、平均すると2年、3年と言ったところでしょうか
東京に2か所に病院を持っている
患者の平均年齢は88歳 100歳を越えている人が、110歳を頭に35人もいます
1980年設立 今年で34年目に入っている
関わったお年寄りは1万人以上になる 6000人のかたの看取りをしてきた
病院を始めたときには、38歳と若い時だったが、自分自身が70歳を超えていて、いろいろな事を考えてみると、本当に年を取ることは難しい事であり、なかなか想像を絶する世界だなあと感じます いい意味でも、悪い意味でも
人は意外と、そんなにたくさんの年寄りを見、他の人が亡くなるのを見ていても、自分が年を取るとか、その先に自分が死ぬんだという実感がどうやっても持てない
これは人間の「さが」みたいなものかも知れない わが身に起きると、何が起きたんだと言う感じになる
一日、一日が初めての体験 昨日まで出来たことが、今日は出来なくなる
はじめは高齢者には全く関心が無かったが、1974年 日本に帰ってきた翌年の春
精神病院に勤めてきた
(1971年~1973年、フランス政府の給付留学生で2年間勉強した)
高校時代の友人から、彼の祖母のことで電話がかかってきた
83歳の祖母が自宅で脳梗塞で倒れて、自宅で見ていたが、昼間は寝ていて、夜になると大騒ぎをするというようなことになって、家族がたまりかねて、どこかに入れてくれるところを探してくれということになる
探したが、そこは現代の姨捨山と言っていいぐらいの、すさまじいところで、汚い建物の中に布団が一杯敷き詰めてあって、その中にお年寄りが転がされていた
暗い雰囲気、不快なにおいが立ち込めている場所だった
入れてもらえるとしたら、最低でも3か月~4カ月待ってくれとのことだった
驚いて、自分達の親も10年、20年経てば 4人の親の介護を私の上にもかかわってくるにもかかわらず、預ける先があんなところしかないのかと言うのが、最大のショックだった
人口問題の講演会があって、日本はこれから物凄い、勢いで年寄りが増えてくる
ある確率で、必ず認知症、脳梗塞であったりで、介護を必要とするお年寄りが増えてくる
介護をめぐる問題が社会に大きくのしかかってくるという事だった
自分の親だけでも、安心して預けられるような場所と仕組みを作りたかったというのがきっかけだった
1980年に作った病院は147床でスタートしたが、希望者が山のように来られて、すぐに一杯になった お金を借りて増築 3回繰り返して、1990年中には、837床という規模まで行ってしまった
2005年には、第二の病院を都内に作って今日に至っている
最後まで面倒をみるというのが特徴
高齢者 ①65歳以上 65歳から最初の10年が第一ステージ 体も元気 気力も十分にある
まだまだ社会的にも活動できそうだと思っている 或る意味、人生バラ色の日々
意外とそうでない面もある 一日家にいる 自分でやりたいことを目いっぱいやる
新しいことに挑戦する、可能性を探る とっても素晴らしいことだが、条件として周りの人に被害をこうむらせる、他人に頼って何かをするという事だけはすこしでも避けてもらいたい
気力、体力が余っているのであれば、それをもっと活用して、他人の役に立つようなことを会わせて考えてもらえれば、もっともっと、いい時間になるのではないかと思う
「夫源病」 ご主人が家にいる時間が長くなって、それがストレスで体調を崩す奥さん
女性は意外と外で仕事をされていた女性は家でもいろいろやることは多いが、男性は訓練を受けていないので、(自分で自分の事を出来る人はいい) なんにも出来ないままに家にポンといられるのは、これは困ると思う
一番いいのは家事全般をしっかり教えてもらって、家庭内で役に立つ存在になる事
一人で留守番ができるようになるように鍛えること
奥さんは結構、自分の仲間で旅行に出かけるとかあるけど、私も連れて行ってと言うのが最悪、留守を守り通しますというのが重宝がられる
第一ステージをどう過ごすかが、重要 他人に頼らない 自分で道を切り開く 独立自存
実際に形にするすべ、これをその時期にしっかり身につけるかどうか、が その先も随分中味を決める
施設に入ってきても、結構周りに愛される人になった方がいい
命令口調で、あれをやってくれこれをやってくれと、上から目線でものを頼むのは煙たがれる
②第二ステージ 75歳過ぎ 結構あちことにガタがくる いろんな病気はでる 耳は遠くなる、目はかすむ 歯は抜け落ちてくる、折れる ちょっとしたことで転んで骨折するというようなことが次々に起こる時期
治療を受けてもなかなか病気そのものが良くならない、怪我をすると治りが遅い、寝ている間に別の事が起きるみたいなことで、この時期は ポンコツ車なので、無理して使えば壊れるし、鍛えようと思ってもきしむばかりで難しい
この時期大事なことは、怪我をしない事、無理をして病気にならない事
大事に、大事につかう だましだましつかう事が大事
③第三ステージ 自分の力でけでは日常生活が送れなくなる 認知症になる人も増えて来る
なんらかの形で他人の手を借りて、生活せざるを得ない状況に追い込まれてゆく
先が見えたなと言うのが、最晩年
生きていたいと思うような良き環境を整えられるかどうか 人生の質が問われる時期
基本となるのは快適な生活ができるような環境を整えられるかどうか
介護、他人の助けを得ないと、食事を取る、排泄、入浴をするという事ができないわけなので
体制を上手く整えられるかどうか
いろんな起きてくる、身体の障害、病気にどう対応するか、そこで中心になるのは医療
生活介護、医療が一体的にきちんと対応してもらえるような体制を作れるかどうか
これが人生の最晩年を決めるのではないかと思う
一人暮らしが増えている
他人の世話にならないという気概が無いと、出来ない
自分の力で出来るところまでやるんだという気概、これが自分の持っている能力を最大限に活性化する源だと思う
身の丈の生活 自分の負担にならない範囲で生活をする 風呂を毎日でなくても清潔が保てればいい、食事なども時には自分の気の向くままに食べ、ぬいても構わない
一人暮らしはその気になれば長持ちさせられる
どんな場面でもその気概を持ち続けることが大事だという事です
認知症 75歳を過ぎると認知症の比率が高まる 全体の70%が当院ではある
認知症にならないための努力はしてきたと思うが、なるときにはなる
手先を頻繁に使えば、ならないといわれるが、なる時はなる
もしやりたい事、行ってみたいところがあれば、元気なうちにやる
認知症 最初は軽い 一人くらしができるのが大部分です
皆さんが先回りして、一緒に住むという事をする場合があるが、それは認知症そのものを更に進行させる源と言ってもいいぐらいだと思う
一人暮らしは自分のあらゆる物を動員して生きなければならない環境なので、衰えた精神機能を駆使して生きているので、それなりに生活はできる
認知症の人は過去の記憶が一部欠落して、新しい情報が入らない状況の中で、少ない情報の中で自分なりに判断して、行動している
外から見ると、其れがその場にあってない様に見えるが、本人は一生懸命に考えて、最善の判断をし、行動を取っているので、ここはしっかり認めてあげないといけない
自分としてはベストを尽くして判断し、行動しているのに、なんで文句を言われなければいけないのか、腹立ち、不快な感じにさせられ、そこからいろんな次の問題が出てくる
家族が認知症の人に対応するのが一番難しいのは、其家族と言うのは、お父さん、お母さん
と言うのは偉大な存在であるし、親はちゃんとした人というイメージを持っている、その人のイメージがすこしでも崩れると受け入れられないような感じがあり、これが次々といろんな問題を発生させる(家族の介護の難しさがある)
介護というものは、他人に預ける、家族とは違った目で見られる
家族に対しては意地を張ったりするが、他人だと結構自分の身をゆだねられるという事がある
この辺りは、十分に活用してやっているのが、施設の実態だと思う
私の大好きな言葉に 「我が親を人に預けてボランティア」と言うのがある
私はあなたの親を見るから、あなたは私の親を見て、見たいな仕組みが出来てくるといいなあと思う
人生の終わりに近づけば、近づくほど自分の今まで身に付けた全ての物を、しっかり自分のために使うという精神が大事だと思う
歳をとって残っているのは何かと言うと、人脈、生活の知恵、財産
何かしてもらったら、それに対してしっかりと、感謝の気持ちを表す習慣が大事
「ありがとう」と言う言葉を惜しまず発する事が大事 やっぱり言わないと人は解らない
自分が今まで身につけてきたお金 どう使おうと勝手だが、自分が死んだら、あなた方子供に
遺産としてゆくんだから、俺の面倒を見るのは当たり前の事だと、こういう気持ちになりがちだが、私は何年後かわからないが、纏まった何百万円、何千万円と言うお金よりも、今のうちに何かやってもらったら、感謝の言葉と共に、お金をすこし添えて渡す、これだけで周りの人の動きが全然違ってくる
感謝を形にしてくれる人のところに集まってくる(入院している方にも似たようなことがある)
頻繁に感謝の気持ちを発する人、来てくれたことに評価してくれる人、自分の手元に或る程度おいて置いてこまめに、小分けに渡している人のところには、本当に、お孫さん子供達も引きも切らず、と言う事は結構ある
人の気持ちは微妙なところがある 頭と金は使いよう
不便な状態に陥った時こそ、知恵を出し、持っているお金を存分に使って、豊かに生き切る、
他人に頼らないで、生ききる
最後に近づけば近づくほど、医療の役割は大きくなってくると思う
治療すれば治るのかという判断だとか、今は治療を必要とするのか、医療にかかわればなんとかなるのかどうか、この人に治療をして本当にこの人にとってプラスかどうか、判断を含めて、現代の医学は少しでも長生きをさせる、本人に苦痛が伴っても、医療を施してしまうところがある そこから悲劇的なことが起きてしまうところがある 80歳、90歳の人が亡くなるときに、全身管だらけになり、最後の最後まで家族が遠ざけられて、だめでしたというような事がある
それが本人が望んでいたことなのか、もう一回見直さなければならないと思う
人はいつか死ぬんだし、亡くなった時に本当に大往生であったと、云う風に言ってもらえるような見送り方は非常に大事なことだと思う
人生は終わりよければすべてよし ですから
私の父は 病院開設後 2年目にいれようかと言っていたときに、自宅で亡くなってしまった
母親は92歳の時に、病院に入って6年半いて、亡くなった(99歳、大往生だと思っている)
義母は80何歳で突然亡くなる
義父は認知症になり、最後の3年は気の向いたときに晩酌をして、寝るときには寝るといういい時間を過ごしたと思う
わたし自身が安心して身を任せられる仕組みをどう作るか
家族が望む医療と、本人が望む医療が同じではないと思うので、どのようにギャップを埋めてゆくのかが、課題
食べたい時に食べ、起きたい時間に起きて、お風呂は自分のサイクルで入れてもらう、このギャップをどうして行ったらいいかが課題だと思う