2013年7月25日木曜日

芳賀 綏(東京工業大学名誉教授)  ・唱歌100年 心の歌を残したい

芳賀 綏(やすし 東京工業大学名誉教授) 唱歌100年 心の歌を残したい
芳賀さんは日本語学と日本文化論が専門です 1928年(昭和3年)生まれ 
東京大学文学部を卒業、東京工業大学教授、NHKの部外解説員などを歴任されました
日本人らしさの構造、日本人の表現心理など、日本人の言葉と心理について数多くの著作をあらわしています
およそ100年前、春の小川、故郷、おぼろ月夜など文部省の小学唱歌が作られました
これらの唱歌は長野県出身の国文学者高野辰之が作詞し、音楽家の岡野貞一が作曲したといわれます
唱歌を口ずさむと、何故か日本の自然や過ぎた日々への郷愁をかきたてられます

唱歌 明治の人たちが努力して作った 日本文化、日本人の心を知る手掛かり、または象徴しているものとしている唱歌は素晴らしい文化財であると信じている
昭和22年 駆け出しの学生のころ、高野博士が永眠している 疲弊のどん底で新聞などはスペースが無かった
妻が高野博士の孫  旧制高校 一高(東京)、三高(京都)、北大予科(北海道) 三大寮歌と言われていた (名曲として) ほかでも盛んに寮歌が作られた
寮歌、唱歌を歌うのが好きだった
日本人らしさの構造など著書、多数  ドイツの大学でも日本語を教える(大学1年生から大学院生までを教えた)

「故郷」人気ナンバーワン  私は小学校で教わった中で、ベスト3に入っている 
メロディー、言葉を聞くとジーンとしてくる どこの土地の人でも、自分の故郷そのものと思っている
平成10年長野で冬季オリンピックがあり、フィナーレで歌われた
メロディーは外国の人の心を打って、それから注目されて、歌われるようになった
日本語の歌詞が普及するまではいかなかったが、今は日本語の歌詞で歌うんですね
それぐらい広まりました
唱歌が100年になる  明治12年頃から日本の音楽教育が本格化してくる
西洋の音楽を学びながら、日本独自の近代音楽を作りだした
学校で教えるための学校教育のために作詞、作曲された
商品として作られたものではないことが、重要

伝統の重み 伝統を背負っている 
言葉が難しいが、遠慮なく使っている(子供に対するご機嫌とりがない)
品位、格調がある歌 国定教科書 子供の時に、全国どこでもみんな教わった
当時第一級の国文学者、作曲家が作った、つまりいい加減ではない
明治の時代のバックボーンがしっかりしている
日本を作る、時代を作る、その仕事の一つとして、小学唱歌も作って行った
当時3万3千校 オルガンが普及 
春の小川、おぼろ月夜、故郷、もみじ 高野辰之氏の作詞でうぶ声をあげている
人間愛があるから、人々の心に響いて、沁み通っている
東日本大震災後、一番 故郷が歌われている
励ましもあれば、慰めもあれば、作詞、作曲者の人間愛が自然におのずから、心の琴線に触れているんだろうと想像している

高野辰之の人物? 「定本高野辰之」を監修、編集しました
資料から何から一杯残っている 膨大な著書が残っているが、知識、情報だけを与えるだけの書物はあるが、行間からその人の心情が滲み出すと言うか湧き出る様な著述を高野辰之はしている、だから学術専門書を読んでも、あーこういう人だったんだと、感じ取られる
3大著作 「日本歌謡史」 大正15年に完成 学士院賞をもらった
作詞者の解らないもの、民謡とか、そういう歌謡が日本文学の底流にずーっとある
それを一つ一つ丹念に探索して探して、掘り起こし、掘り起こして、膨大な著作にしたのが「日本歌謡史」 「江戸文学史」3部作  「日本演劇史」上、中、下巻
学者としての目の付けどころが、庶民、常民に対する愛情に発しているという事が大きい

それを行間から湧き出るものがある、人柄が表れたところ、真実を追っているだけでなく、語り聞かせる、東大で講義をしたときには大変な人気で、教室に入りきれないので、大きな講堂を借りて学生を収容したという、人気があったと言われる
大きな民族の心の歴史を一大パノラマとして、描き出すという、発表の仕方、著述の仕方をしている
親孝行でもあるし、大変な人情家で、涙もろい人だった
豪放磊落、闊達な性分 お酒大好き、親分肌で人から慕われる人柄、その反面繊細さがあり、涙もろさがあったので、家族からも、学生からも、万人からも慕われた
高野つるえ(夫人) は世の中に流布している高野辰之に関する本があるが、そこには楚々とした優しい女性で、家計が苦しいと泣いたというようなことが書いてあるが、泣くような人物ではないわけですよ
辰之が仕事で落ち込んでいたら、逆に叱咤激励して、しゃんとしろと言いうぐらいな人
高野つるえは達之よりもっと太っ腹なひとだったと思う

私はおぼろ月夜が一番大好きです    森光子はおぼろ月夜が大好きだった
父親 仲衛門 が寒い冬に倒れたときに急いで帰郷して詠んだ歌
「ひしひしと寒さ加わり、病む父の 息のかそけく 夜はふけにけり」
本人は研究でなかなか故郷に帰ることができなかったそうです
高野辰之の学問と作った唱歌の詩は一体のものだと思っている
一言で言うと、人間愛、人間だけでなく自然と人間を一体として愛する 一体としての日本人
日本人の事をプラックホームと言う人類学者が 「自然と共にある民族」と言っているが、日本人は自然そのものだという人もいる
歌をつくるときにも表れてくる

童謡と唱歌は違う 
唱歌は音楽教育の教材として作られたもの、初めから教室で教える目的  
童謡は教室で教えるのではなく、教室の外で愛唱されるもの ヒット曲になる
高野辰之は全国の校歌の100以上作っている
日本の風土と学校に学んでいる故郷の想いを、汲み上げて歌詞にしている