2013年7月13日土曜日

田中嘉治(合唱団団長)      ・平和と幸せのために歌いたい

田中嘉治(神戸市役所センター合唱団団長) 平和と幸せのために歌いたい
神戸市役所の職員を中心に結成された、神戸市役所センター合唱団は結成後50周年を迎えました
これまでに、作詞森村誠一、作曲池辺晋一郎 による組曲 悪魔の飽食の製作公演を始め、意欲的な活動を続けてきています
団長の田中さんは30年以上も務めてきて、数々の作品をプロデュースしてきました
1989年には太鼓集団、わだつみを旗揚げして、その代表も務めています
5年前に市役所を早期退職して、現在も神戸発の多くの文化の発展に寄与している田中さんに、合唱や太鼓の演奏を通して、伝えたい思いを伺います

1963年 (昭和38年)に創立 50年目になる
日本の歌声運動が1948年 2月11日 東京の中央合唱団の設立をもって、日本の歌声の始まりと言われる
神戸市役所の各部署の中に昼休みに歌う会があった 40分ほど歌っていた
各リーダーが集まって、一つに纏めることになり、神戸市役所センター合唱団にしようという事になる(とりあえず、仮の名前を作ったが、それがそのままになっている)
設立当初は20人 創立10年たってから私は入った(合唱には興味は無かったが)

当初自分たちで楽しむような形だったが、(飲みにいたり、ハイキングに行ったりとか)
森村先生、池辺先生との出会いで、音楽と言うものを真摯に見つめて、いい歌を沢山の人に広げていこうと、感動してもらおうと、質的な向上が無いと広がらない 姿勢を学んだ 
1981年に森村先生が、素晴らしい作品をかかれているが、1931年~終戦間際までの間、中国に日本の陸軍が関東軍防疫給水部本部満州第731部隊という最近、そのことを初めて問うた
超大ベストセラーになった
森村先生に是非来てくださればと、お願いした
来てくれるような状況ではなかった
 
本に掲載してある、ある写真が違っていて大騒ぎになっていた
キャンセルしたいとの話があったが、引き下がる事無くお願いしたら、結局来てくださることになる(警戒を厳重にして、初めて公の席に森村先生が来られる)
このことが、その後の森村先生との絆となる
森村先生に詩を書いてほしいと要望する  原稿用紙に40枚ぐらいの壮大な詩を頂戴した
作曲をどうするかと言う時に、池辺先生にお願いした 
喫茶店で池辺先生が15分ぐらい観ていて、これはいい詩ですねと言われた
詩を編詩してもらい、7章にまとめる
1984年に出来上がる 「悪魔の飽食」

阪神淡路大震災 1995年 節目の年だった 次なる企画があって、構想もできて、詩もできていたが、大震災にあった
震災の歌の提言があった
(資料を先生のところにおくって、やり取りしながら詩を創っていただいた)
子供たちの作文も組曲の中に入っている
森村先生からも提案があり、或る新聞に御両親を亡くした高校生が灘区役所に死亡届を持ってきたという記事があるので是非示したいというので、調べたら祖母も亡くしていた
担当係長から頑張れと言われたという内容だった  
それも一つの章になっている 実際にあったことをテーマにして、震災組曲がつづられている

震災を例に挙げると、音楽そのもので、亡くなった方が生きかえるとか、壊れた家が立ち上がってくる事は無いが、岩を動かそうと思っても音楽では岩が動かないが、岩を動かそうとしている人の心は音楽で動かす事は出来るのではないかと思っているので、幸いにも震災で生き延びたものにとって、これから再生、復興、力強く生きてゆく生きてゆくときに音楽は非常に大きな役割を果たすだろうと、いう一つの音楽の力を信じているので、一番音楽が自由に歌えるという平和をどう守ってゆくのか、音楽の役割りがあると思う
体制的に批判的なことを言うとレッテルを張られてしまうという日本には風土があるが、先生は戦争はいけないという不戦論者なので、戦争は絶対してはいけないという想いがある

対馬丸 終戦間際に疎開するときに、アメリカの潜水艦に沈められた事をテーマにした組曲を創っているが、それを遺族会とてを組んで、一緒に成功させてきた
今みたいに複雑な時代になると、大意は留保して、大道につくと、こういう時代に入っているのではないかと思うので、いろんな人と手を組める一致点があれば、一緒に歌って生きたい
戦争は二度と起こしてはいけないという、戦争を起こすのには、ひとの心の中に芽があるので、
その人の心の中に平和の砦を創らなくてはいけないので、音楽は人の心の中に平和の砦を作る重要な役割を果たすのではないかと思う

合唱だけではなくて、和太鼓を立ち上げる
日本の伝統芸能の継承、発展 コンセプトがあるので、民謡が主流だった
和太鼓は高価な楽器 直径48cm けやき 80万円するので手がだせなかったが、最初ちっちゃな太鼓を購入した  練習場がなかなか難しい 1989年に立ち上げた
「わだつみ」 (海を支配する神) 正式な名称を付けることで、より練習に集中することにもなる
メンバーは8人(レギュラー)  市職員で無く、誰でもはいれるようにした

5年前に早期退職をする
合唱団も大きく発展させていきたい 今は太鼓は40ぐらいある 演目にも深みが出てくる
専用ホールが出来ることにより、稽古量が全然変わった
和太鼓の良さを知ってもらいたい 和太鼓の普及にも力を入れたい
5人のタイプがいたらチームとしていいといわれる
①大風呂敷を広げて、壮大なアドバルンをぶち上げる
②参謀格は実務をやるタイプ
③専門官
④ピエロタイプ その人がいると場が和やかになる
⑤何をやらしてもできない、言われたことは順々とやるタイプ

創立50周年記念事業計画 3カ年(昨年、今年、来年)
車いすの詩人作詞 三枝先生作曲 「命のふるえ」  昨年実施した
作曲 信長貴富先生 「君たち」中東戦争、イラク戦争をテーマ 蓬莱 泰三先生作詞
来年は沖縄をテーマにした対馬丸事件 昭和19年8月22日 沖縄から本土に疎開するときに、アメリカの潜水艦に沈められてしまう 800人近くの子供たちが今も海底に眠っている
実は対馬丸は神戸港から出港している  「海のトランペット」 対馬丸の子供たちというタイトルの 組曲
人間魚雷 「回天」  沖縄と神戸で公演する予定