安田登(能楽師) 能に学ぶ生きる知恵
安田さんは1956年生まれ 27歳の時に能のわき方の流派である下掛宝生流に入門しました
今では国内外で舞台に立ち、又講習会で指導するなど、能の普及に努めています
こうした活動の中で、安田さんは能に見られる所作、ゆっくりした、動きなどは現代人が忘れたり身体能力を、呼び覚まし、身体と心の健全性を回復させてくれる力を持っていると、考え、その動きを分析して現代の生活に、活かす試みをしています
能に秘められた現代生活に通用する力とは何か、をうかがいました
能の動きを和の所さ、と言う風に言っていますが、これは能の動きと言う事
能の動きもいろいろの所作がある
ゆっくりとした動き、特徴的な動き 主にすり足 かなり速い動きもある
日常的な速さ、動きと一番違うのは、内側からの動き 深層筋を使った動きが、能の動きの特徴です
能力のアップといってもいろいろある
早く歩くのではなくて、長い距離をゆっくり歩きながら、周りの景色を見るとか、歩きながら昔の人のことを考えるとか、現代人が忘れてしまっているような、身体能力を高めるのに、役に立つと思います
20代の中盤ぐらいに、友達に誘われて、能楽堂にいきましたが、それまでは全く能を、存在自体をあまり知らなかった
その時に今の師匠の舞台に接しまして、吃驚するような声だった(人間の声とは思われない様な) 耳に聞こえる声と言うよりも、腹に響いてくる声、身体がそのまま感じる声に出会って、歌いを教えてくださいと言って、そこから入門しました
わき方 師匠がわきで、能が出来た650年ほど前には、わきに脇役と言う意味は無かった
着物のわきの部分をわきという 前の部分と後ろの部分があって、それをわける部分としての「わき」なんですね
能には夢幻能と言うのがあって、夢幻能の主人公である「して」は、多くは幽霊だったり、神様、動植物の精霊だったりするが、私たちの住む世界とは違う世界にいる
両者は普通出会う事が無い
「わき」という境界の世界に住んでいる人物だけが、その世界の人と出会う事が出来る、それを観客に示すことができる
それが「わき」 それにとっても惹かれまして、「わき方」のけいこをしたいと思って、先生に入門させていただきました
日本の芸能は、それまで学んできた音楽や、運動や、そういったものがとことん邪魔になる
音楽はリズムとメロディーがあるが、ひょうし、メロディーでは無くふしですね 全く違うもの
リズムはこれから存在するある時間を、等間隔に分けて作るので、指揮者は振り出す前に、直前の一拍目をふる 未来をいくつかの等間隔に分けているのがリズムだが、それに対して能のひょうしと言うものは、常に今が一拍目なんです
今の積み重ねによって、後から見たときにリズムの様なものが生まれるが、でもそれはリズムとは全く違うもの
ふしのほうもメロディーのように歌ってしまうと、最初の歌いだしと最後の歌いだしが、同じようにな音になってしまう
その時の気合いや空気に、ドンドン変えて行かないといけない
それまで持っていたものを、捨てるのに苦労した
先生の指導に対して、ただ従うしかなかった
多くの方が能と言うと、年寄りがやっているイメージがあるが、子供から幅広い
特に年寄りの声の凄さに吃驚した
測定を越えた、強い声がびんびんと響いてくる
或る時、アメリカのボディーワークに出会いまして、整体のようなもの 受け手が軟化をすることが多い それを勉強したときに、能の動きが外側の筋肉では無くて、内側の筋肉である深層筋を中心になされていることに、気がついた
表の筋肉は、加齢と共に、ドンドン弱まるが、内側の筋肉はそう簡単には弱まらない筋肉
残念ながら、多くの人が内側の筋肉を使っていない、年齢が上になるとその筋肉も使えない、外の筋肉も弱まってしまう、身体が弱まってしまう
能の動き 特にすりあしを使う事によって、内側の深層筋が知らぬ間に、活性化されて、内側の筋肉によって、舞ったり、歌ったりすることができるのではないかと、気がついた
背骨を中心についている筋肉 今注目されている筋肉が大腰筋 背骨から内臓の裏側を通って、足の付け根についている太くて長い筋肉 ももを上げる働きをする
この筋肉がすり足をすることによって、活性化する
能、姿勢が垂直 水平
一番いいのがすり足をすること かかとを出来るだけ床から離さずにゆっくり歩くこと
最初は膝を曲げて、一日10分でも歩く練習をすると大腰筋が活性化される
時間はかかる 1年、2年、10年と時間をかける
足ブラ 高い台に乗って、ただ片足をぶらぶらするだけ、その時にできれば大腰筋が伸びてゆくイメージをする
片方2分程度各々行った後に、すり足を4~5分すると大腰筋はかなり活性化する
こうしたことをやってから、引きこもりの人と歩いているが、途中で脱落した人はいない
大腰筋はもっとも使われなかった筋肉だったと思う
一生懸命やってはいけない、一生懸命にやると、他の筋肉を使ってしまうので、良くない
呼吸法 正確に言うと能に呼吸法はない
歌いをうたうことがそのまま、呼吸法に繋がる
日本の多くの身体作法は、呼吸のための呼吸法は無いと思う
歌いを大きな声で歌う事が、深い呼吸につながると思う
深呼吸 昔は 吐く事が先にあって、吸うという深呼吸をした
時間も吐く時間を長く、吸う時間を短く 呼吸は吐くことが中心
息を吐くことによって、生れてきて、吐くことで無くなってゆく
緊張する人に深呼吸をしなさいと言うが、本当に緊張している時は、深呼吸はできない
強制的に深呼吸をする方法があるが、一番簡単な方法は、ストローをくわえてゆっくり息を吐く、ストローをはずして、息を吸う これを5分繰り返す 1週間、2週間する
次にストローを無しにして、唇をくわえたような形にして、緊張したときなどに、その呼吸をする事によって、強制的に深呼吸ができるようになる
つよ吟 横隔膜をパカーンと破裂させるような声、精神に良いと思っている
稽古 最初 大きな声を出す 気付いたきっかけ 桶狭間の戦いの前に歌いを歌った
お茶漬けを食べ、甲冑を着けて出かけたために、ついていけるのは3人しかいなかった
ストレスの対処の方法 大きくなったストレスに対して、もしそれを跳ね返すことができればより強い力が出るので、信長はそれを待っていたのではないかと思われる
能 社会的資源として捉える これに何かを放り込む 例えばスポーツ
能的に考えると、こういう方法がある
心理 落ち込んでいる時に、能的な方法をとしてこういう方法があると対応で来るのではないか
ボディーワーク、スポーツトレーニングにしても、精神的な関わりにしろ、西洋的な方法をそのまま取り入れてはいけないのではないか、日本の持っている資源を利用して、日本的なアプロ―チを考えるべきではないかと考えているが、能はいい資源ではないかと考えている
能の中に流れている時間はゆっくりしている
何かの判断はいましてはいけない(下手な人でも80歳になってすごくうまくなる可能性はある)
能の危機、明治維新の時 能楽師が危機に陥る 太平洋戦争のあと(日本的なものが否定される)
今やっているのは、奥の細道を歩くこと
芭蕉が生きていた時代には「奥の細道」は一般では読めなかった
奥の細道は能が解らないと、理解できない事がいっぱいある
深川から、引きこもり、不登校の子と一緒に、一日8時間程度あるく 1週間程度歩く 俳句を詠んだりしながら歩いている
もうひとつの世界が見えるような世界を感じる 私たちが先入観を持って観ているので
歩いていて多くの人が4日目ぐらいに大きな変化が起きることが多い
或る参加者が日光街道に差し掛かった時に、急に雨が上がって、日の光がさした
「旅の空 我が人生に 光さし」 今まで天気と言うものは、天気予報の範囲を超えていない
雨と一体化して歩いているときに、日の光がさす、彼自身が日の光になる(かれは数10年間引きこもりになっており、光と言うものを感じた事が無かった)
人生、生きてきて初めて自分のじんせいに人生に光を感じた
芭蕉には能の知識が必要 奥の細道の言葉は能を前提に書かれている
時速1里 東京では5.5~6kmで歩いている人が多いが、それだと木々の美しさや、鳥の声に気付くことは出来にくい
今の生活を振り返ったり、反省したりとかに、能の世界はなりそうですね
おおざっぱな身体の提唱 おおらかな身体 かつて日本人は大雑把だったのではないか
腹を立てれば腹を押さえることはできるが、ムカついてはいけない (胸)
ムカつくと声に出して言ってしまう
日本語の持っている身体語の力を見直した方がいいのではないかと思っている