2013年7月15日月曜日

斎藤房太郎(漁業)         ・荒海に生きて87年俳句に託す漁師の心 2

斎藤房太郎(漁業)   荒海に生きて87年俳句に託す漁師の心 2
越後海岸は湾が無いので波がそのままぶつけてくる
「八十路ゆく 我を阻むな 寒怒涛」 寒の怒涛 80過ぎると 体力が無くなるから、俺も80過ぎているので、あんまり、さえぎってくれるなよ  手加減してくれよ

「桜咲く 鯛も来るぞと 海も呼ぶ」 3~5月 春 漁師は浮かれ気分になっていられない
自分を戒めている 漁を逃すな 鯛も来ているぞ

「私は河童である」
「私は河童である 13歳より漁業に従事して、戦時中も海軍兵である  河童の私には俳句は大事な浮き輪である  河童は水を離れては生きられない  俳句と言う浮き輪につかまりながら、夜の荒波を、命の限り全力で、泳いでいきたいと思っている」
 
海軍兵 戦争体験
私が18歳の時 昭和18年 屈強な人間がいると、志願せよとの命令が来る 海軍に行く 
舞鶴に新兵教育と 言う事で3カ月いるが、すでにどこに行くかは振り分けられている
夜寝ているときに赤い字で、記されたものがかかっているだけ、何時の汽車でどこそこにゆけ
と書かれているだけ
肉弾攻撃の部隊であるぞと、いい聞かされている
船の操縦、精神を強めるのが、教育だった  九州から船でいくが、どこに行くかは解らなかった
フィリピンに到着した レイテ島(後でわかった場所) 戦略上重要な場所だった

「月登る レイテの海も 照らすかや」   戦友会で一杯飲んだ時に、ちょいと出た月が明るく上がったが、我々は生きて帰った 
あそこに死んだ人はどうしただろうと、レイテにも照らしてやってくれ  
月に対して、死んだ人たちに レイテの海を照らしてやってくれや、というような内容です
戦死した仲間の任務 船(ボート)の操縦 5mあるかどうか 幅1.5~2m
爆薬が積んである 真中にはエンジンとかがある、戻ってくる訳にはいかない
いかに気持ちを引き締めて前方に行かれるかと、こんな訓練です   
敵艦まで行く機械を操縦する 朝から夕方まで毎日訓練される
海を見たこともない人たちまで、集める(群馬、山梨、長野など)
最初、水練(潜る) 泳ぐ 船の操縦 合格した人たちを集めて、輸送船に乗せた

帰らなくなった人たちは仲間内では、15~20人ぐらいだと思う(よくつかめなかった)
潮の高さが、5m位あり、引くとぽっかり洞窟が見えるようになるので、そこに集合するように
するため、潮の満ち引きを読む、それを上司に説明する  あと船の操縦、その作業をした
後で聞いた話 フィリピン特攻は、もう少し性能が良いものができたので、別の部隊がやるので、本土に戻るように指令が来た(本土防衛のため)
本土にもどってから、船にのって、ボートを積んで指令に従って 移動した(作戦)
震洋という名前で 水上特攻に使われた兵器にかかわる話では?
私の名前自体が番号ですから、なんにも知らされていないので、何も解らなかった

NHKで4年前に放送した、震洋特別攻撃隊という証言記録のドキュメンタリーがあった
震洋が開発されて使われるようになったのは、昭和19年 
搭乗員は主に、予科練を卒業した、若者たちだった
震洋の場合は、震洋が体当たりして、沈没させた敵の船は(アメリカの資料)終戦までに沈めたのは4隻、一方命を失った震洋の隊員は基地の隊員を含めて、およそ2500人だった
終戦のころは九州にいた  1945年8月15日に終戦

「思い出す 不戦の誓い 終戦日」  九州大牟田市で終戦を迎えた
地方の司令官は、思惑で うちはこういう優秀な部隊があるので、言う事をきかないが、後で聞いた話では、8月には解散命令が出ているのに、そういう人たちは危険なところにはいかない
本当の現場を知らない人たちが司令官なので、デマにまどわされるな、、そのうちに又国軍が戦争に傾くので、頑張れと、激励見たいな、脅しみたいな、 私らは本当の事を知らなかった
昭和21年2月に出雲崎に戻ってくる
戦争はみじめだから、もう戦争辞めようやと、自分の子供にも戦争しないというように、誓ったんだけれども、50年も過ぎると、どうも誓いもあやふやになってきたという、と言う意味

「遠ざかる 昭和ひきよす 終戦日」  明治も遠くになりにけり と言う言葉があるが、昭和も遠くなってきて、平成も20年過ぎたし、昭和も遠くなったが、終戦日と言うものは、昭和は終戦日があるので、昭和に引き寄せられる

「遠花火 遠き戦友に 電話する」  友達にどうしてる? お盆もきたし 遠くで花火上がった日、電話をしたら花火まで遠くなった
斎藤さんの元気のもとは?
一種の欲望 いつまでも現役で、しかも若い皆さんと一緒に堂々と取り組んでいきたいと、いうのが夢であり、欲望です
同時に生活もかかっている  年金も少ないので
自分で魚を取ってきて、自分で売れば、おかみのせわにもならなくてもやっていけると、でも体が健康でないと駄目、健康の元をつくるのも、心の元 健康は心の持ち方によって違う
俳句を読むことによって、心のうさが晴れる  心に余裕が生まれる

昔は酒は良く飲んだが、70歳過ぎてからは付き合い程度 うちでは一滴も飲まない
よその人が来ると仕方がないので コップに3杯程度 (3合)
「秋深む 深酒するなと この便り」
「生きている 喜び語る ぬくめ酒」 (戦友会の話)
人生観?
「人生これ 二勝一敗 野分けあと」  野分けあととは台風の後のこと  船が壊れて漁業やめようかなと思ったが、これは一敗だったなと、いいやと、もうひとつ勝とうやと、自分を慰める
「露の身に 露にも似たる 夢を持つ」 人生 露のごとくと言うように言われるが、考えてみれば露のようなもの、わずかなものだけれど 夢を持て と言う事
「わびすけや 叶わぬ 夢を なお捨てず」  わびすけと言うのは椿のような白い花
わびすけ でさえ咲いていているのだから、自分ではかなわぬ夢と思っても放り出してしまわない
夢はいろいろ考え方があるが
「雲の峰 人それぞれに 誇りもて」  誇りをもて、そこから夢が生まれる(夢は人間の誇り)
人間としての誇りを失わずに、生きていたい と言うのが夢

「反骨の 一人一舟 雲の峰」  一舟 磯見船は一人で操り、網をたてこむのも、、何でもかんでも一人でやる   反骨 負けず嫌い   若いものの半分も水揚げ出来ない、半分ぐらいしか潜れないが、頑張ってみる