2013年7月11日木曜日

池田雅之(鎌倉寺子屋理事長)   ・地域と世代の力で子供を育てる

池田雅之(NPO法人鎌倉寺子屋理事長)  地域と世代の力で子供を育てる
池田さんは1946年、三重県生まれ 早稲田大学文学部、英文科卒業 明治大学大学院文学研究科博士課程を修了し、現在は早稲田大学、国際言語文化研究所、所長を務めています
池田さんは2003年に、有志と一緒に、鎌倉寺子屋を立ち上げました
これは主に神奈川県鎌倉市の小中学生を対象にした、次世代育成プロジェクトで、大学生、青年会議所のメンバー、市民のボランティアが中心になって、お寺、神社、教会などの支援を受けて様々な企画を実践しています
2007年には内閣府認証のNPO法人になり、 全国にネットワークを広げています
スタートして10年これまでの活動の成果、今後の見通しなどについて伺います

先ずここまでよくやってきたなと思います
子供の本当に危機的状況が、2000年に入ってありましたので、引きこもり、不登校 それにどういう風に対応していったらいいか、それを組織としてどうして行ったらいいか、頭を悩ましました
寺子屋の場合は大学の学生、地域のボランティア、鎌倉の寺社 3つの違ったセクターが協力し合ってやることが、新しかったかもしれません
当時は千葉県の松戸に住んでいて、通ったり、ホテルに泊まって続けていたが、仲間も鎌倉で増えてきて、活動が活発になり、2005年の9月に鎌倉に引っ越してきました

6月15日に3回目のホームカミングデー かつてのボランティアの大学生と子供たちをもう一度呼び戻すというか、一同に会して、これからも寺子屋を支援してくださいと、皆に声をかけた
高徳院 バーベキュースタイル 年齢も様々 3世代、4世代が集える、交流の場にしていこうという目的がある

精神科医の森下一さんの鎌倉講演がスタートになった
1995年に大きな地震がありましたし、オーム事件 さかきばらせいと事件
戦後のいろいろな教育のひずみ、子供たちの育ち が危ない
高度成長で右肩上がりで、バブルの崩壊、足元を見てみると子供、若者がいろいろな問題を起こして、病んでいる若者が出てきた
生活の豊かさ、心の安らぎを求めて日本人はひた走ってきたが、実はそうではなかった
大人の責任もあるのではないかと思うようになった
森下一さんは不登校児を受け入れる、日本で初めて生野学園を創設された

子供たちの育ち、自立を図るような草の根的な、市民活動をやったほうがいいのではないかと、鎌倉寺子屋を始めた
2002年に秋ごろから、鎌倉で危機を訴えた 賛同者を募っていった
僧侶の方の力を頂き、市のご理解を頂いて鎌倉寺子屋を立ち上げた
しつけ、人と人との付き合い、情緒的な面人間としてのたしなみ、そういう要素も含まれていたと思うので、総合的な学びと遊びを実践できる、そういうコミュニティーを作ろうと思ったので、それを寺子屋と呼んだ
2003年 建長寺実習を始めたが、どういう風にしたらいいかわからなかった
地域で子供、若者を育てていくような、システムを創っていこうという事で、2泊3日の合宿をやろうと、言う事で夏休みの宿題をみるとか、もの作ったり遊んでくれるよ、楽しい合宿をやるよと言う事で集まってきた

初めから方法が解っていたことではない 鳥の巣箱を作った(物を作る事から始める)
11年目になり規模、中味も充実してきた
戦後の学校教育は学科中心 本当はもっと情操教育、ひとに何をしたら迷惑をかけるのかとか、生き方と言うのはほとんど日本の高等教育では特に教えないし、指導できない
本当の人間にとって学びとはなにか、と言う事を考えて、学科教育には無い、物をつくる体感的な、あるいは感動体験ですね

情操的なものを寺小屋の一つ中心にしてゆく  人との出会い
①異世代の人たち(3世代 子供、若者、大人) 4世代が交われる 背景が違う 職種、価値観が違う その中で出会う
②人が育ってゆくには学校教育だけでは十分ではない 家庭教育、地域教育 3つをつなぐようなシステムができないか  複眼の教育

大塚 英志さん(柳田 國男の弟子) 子供の民俗学を立てられた方 子供の育ちに注目
複眼の教育が大事だと提唱している
子供、若者が育ってゆくには、様々な人の目が、そこに注がれている 
今は核家族化、人間関係が希薄になっている
多くの人の目が子供に注がれてはいない(昔は祖父母、近所の人たちの目があった)
いろんな目が子供に注がれるような環境を作ろうと思った(複眼教育)

目指せ里山スター  ①お米作り(年間を通して 自然とのふれあい) 
②自然の生態系が残っているので、3世代が遊ぶ
朗読を楽しむ  円覚寺で塔頭巡りをしながら、3世代参加型でおこなう
なかなか声を出して読まないので、続けるうちに、人に伝える事に非常に興味と楽しみを覚える
段々変わってゆく 友達も増える
土と遊ぼう  陶芸 川村きふみさんをお迎えして、毎月やっている
上手下手は言わない のびのびと素の自分を表現する
焼いたものを自分の家で使う
 
テラハウス 子供に居場所作りを考えてきた  
大船の駅前に一室借りて、いつでも子供が集ってこられるように、土日、夕方集まってきて、遊んだり、勉強したり出来るようにした
素の自分があると子供は救われる
建長寺合宿  「本気de建長寺」 一生懸命にお互いが、誠心誠意、もの作り、交流したり 本気で楽しむんだよと言うのがキーワード  「一所懸命」 一所で懸命に

いろんな世代が出会う事によって、いままで出会えなかった人に出会う
子供はお兄ちゃん、お姉ちゃんに憧れを持つ 憧れを持つことによって、生きる力を頂いていると思う
大事なのは、身近な人の中にリアルな人物の中に、そういったものを見つけてゆくことが大事
学生 早稲田から他の学校にも広がっている 横浜国立大学、明治学院大学、鎌倉女子大学
千葉大学 からも来るようになって、学生同士の交流も始まっている
一人っ子が多い(子供も学生も  ) 
子供はストレートに試す 蹴ってみたり、ぶつかってみたり、そういうような動作、行動をとったりする  
それに付き合っていると子供も親しみを感じるらしい

全国各地に広がっている  22ヶ所立ち上がっている 全国寺子屋ネットワーク
青年会議所のOB、OGの方がたが、地元のボランティアの方々に声をかけてゆく
各地域の大学に声をかけてゆく 地域の神社仏閣が協力してゆくという事で、スタイルは大学、市民ボランティア、神社仏閣が中心になってコラボレーションしてゆく
東日本大震災の発生直後 被災者の関わり  被災地にも寺子屋があったので、直後に入る事ができた

70%~80%は運営に苦労しているのが実情 安定した基盤が必要 NPOの運営が難しいのは資金面で上手くいかない
資金的に上手くかないと、どっかの行政の下請け機関になりやすい
そうすると行政側の考えでやらざるを得ないので、下請け業になってしまう、それが危険なんですね
後は理念をはっきりさせないと、どっかの付属機関になりやすい
NPOは普通の人たちのエネルギーと知恵を表現できる活動が本来のNPOですので、よそ様の団体のまねをしても駄目だし、政府関係の業務の下請けも駄目だし、独立を保つには知恵と工夫、財政がしっかりしてないといけない

今ようやく体制が出来てきたので、私が明日理事長を譲っても、バトンタッチ出来るような感覚
以前はいつつぶれるか解らなかったが、今は大変だが、長期的にやれるのではないかと言う、志のネットワーク、人材のバトンタッチ(世代交代)が図れる様になった
大震災があったことにより、日本の中に、特に若者の中にボランティア、をするという事が、マインドが芽生えて来ているのではないかと思う
各大学でたくさん応募してくる  
ボランティア、の裾野が若者の中に広がってきているが、とってもいいことだと思っている