身体やファッション研究してきました 大阪大学元大学総長 哲学者
「聞く力」「ちぐはぐなファッション」 出版
体は自分の身体と当たり前のように思っているが、自分では解らない
私が私であるこの顔も見た事がない 鏡では駄目
神様は自分の顔を観えないようにしてくれている
自分しか痛みは解らない 自分自身に対する情報は他人より非常に少ない
自分が感じている風に他人が感じているのか不安が有る
不安を鎮めるために服を着るとか化粧が有るのではないか
似たようなものを着る事でギャップを小さくできる
風呂は自分の輪郭が解るから気持ちいい
一番気持ちが悪いのは自分の温度と同じ温度のお風呂に入ること 自分の身体の境界がはっきりしない
服はこれについて安心させる 輪郭を意識させる
似ていないと駄目だが全く同じでも駄目 微妙に違わないと駄目 これが一番安定する
山本 耀司 背広、日本の着物 殆ど完成系のもの
着物はサイズも自由だし、着物を着るとしゃきっとするし、畳めば四角に成るし、江戸時代の方が現在よりラジカル なにより凄いのが頭の剃りの入れ方
どういう風に自分を表すか ファッションどこか背伸びする 冒険をする
背伸びイメージとかけ離れていると似会わない 服に負ける
挙動を迫って来る服も有る 製作者はおもなってデザインして来る
服の完成とはなにかとか 挑戦している
体毛を取ったり、眉毛を一旦剃ったりだとかしているが 顔とかボディーを気にしている
京都にいて良かったなと思うのは 学校では私服だった
文化 極端 はっきりしていて 芸者、舞子(凄い格好をしている) 坊さん(貧相の極み)
極端であるのでその範囲内だったら許される文化が京都にはある
一番かっこ悪いのはファッション、ファッションとは云わない
「たかが服、されど服」
人間にとって一番大切なものは何か、との問いに考え続けるのが哲学だと
お金 と言うものに捉われない
「誠」 要するに大事なものは皆違う ここちいい事 快楽 楽しさがないと生き続けられない お金、豊かさが大事だと言う人もいる
人によって全然違う 哲学の誤解 理論的な思考、推理 理屈の好きな人が論理を極めて行くひとだというイメージが有るが、理論を発明するのが哲学者だとは思っていなくて、哲学というのを発見するのを哲学者だと思っている
どういう事かというと、その人自身は雄弁に言葉では自分の一番これだけはゆるがせにしないことについて、雄弁に言葉で話したりしない
ずーっと生涯拘り続けて、これだけはおろそかにしない
これをおろそかにすると自分を否定する事になる等、なんか確信を持っている
そういうものを私達が人の生き方をみて発見して、それを有る意味で皆に通用する言葉にして、翻訳するというのが職業人としての哲学者としての仕事と思っている
その人の生きかたの中に何か誠と言う様なものを感じさせる
何かが有るよねと と言う様な事にまで 皆と普通の言葉で話し
皆と普通の言葉で話し合って
行くと言う事