2013年2月10日日曜日

阿刀田高(作家77歳)      ・本の現場へふたたび 

阿刀田高(作家77歳)              本の現場へふたたび 
昭和10年生れ 早稲田大学卒業後、国立国会図書館に司書として11年間勤務 勤務中から
執筆活動を始めて、1978年「冷蔵庫より愛をこめて」
1978年「ナポレオン狂」で直木賞を受賞 短編小説の作者として知られて、これまでに800以上に成ります
又ギリシャ神話を知っていますかなど、世界各国の古典を読み説いた随筆などでも知られています
2007年~11年まで日本ペンクラブの会長を務めました 去年4月~山梨県率図書館の館長に就任、図書館運営の最前線でも活躍しています
山梨県立図書館の館長になってほしい知事の用命を受けた人が是非やってほしいとい言われて、一旦断った  本に御奉公しようかと思って引き受けた
借りたい人が本を借りる操作を自分で行う
 
操作なしで本を持ち出すとブザーが鳴るようなシステムになっていて、問題なく稼働している
正職員ではない方が組織されているが、変更するのは難しが基本的には本来の図書館員が保持されている   本はそんなに簡単ではない
自分が何を欲しているのかと言う事が解らない人が一杯いるし、何となく知的な空間であると言う事も 庶民の文化機関としても一定の理由があるだろうと思っていますし、司書の存在、優秀な図書館員の存在は必要だと思っている
昨年11月にオープン 2カ月間で昨年の1年間の利用者を越えた 
4~5倍になったのを処理するのは難しいが、館員は良くやっているなと思っている

利用者はある限られた人と思っていたが、8割ぐらいが従来の図書館を利用した人ではない 
7~8割は図書館とは縁もゆかりもなかった人  新しい人達 市民の認識が変わったと思う
(素晴らしい事)
重要性の順番 ①人 ②本 ③施設  
一番最初に知事と一緒に記者会見した時に話したことではあるが、これは私の考えだと言った
子供の読書 どういう本が面白いのか 子供が好きか 
子供に話しかけながら共に読書を楽しんでくれれば、子供は直ぐに本を好きになり、楽しんでくれる
人の存在がとても大事だと思う   
本も沢山有ればいいが、本当に必要な本は何か と言う問題ですよね  
コスト計算をやって確かに ニーズが多い
本だからこれを10冊、20冊も購入するのか 実際大きな問題になっていてベストセラーをどうして待たされるのかと言うもっと購入すればと言う様な要求もあるが、図書館は単なる貸し本屋さんではないので、図書館としてどうしても備えておかなければならない本、 それは3年に1回借りられ無いかも知れないけれども、3年に一回切実に求める人がいる 
それはそう簡単に手に入れる事が出来ない と言う様な本に対しても準備をしていると言う事も
公共の図書館として大事な役割であり 今、街の本屋さんで購入できる本は買って読んでくださいと言うのが本音であって学生、いろいろ経済的に不自由な方で資料を求める方がいる

しかし 私達は有償で労働に対してお金を払って享受すると言うのが本来の姿であって,本も自分がその本を求めるのであれば、定価を支払って求めるのが一番正常な社会行動であって
、いろんな理由によって無料で市民に提供している
そのことは忘れてはならない  
10冊、20冊そろえることは 違う必要な本を購入出来ることでは無くなるので 市民の要求の判断が図書館員に求めれられるわけで、一番大切な判断であるわけで、だからこそと図書館員が知的であって、本について通じている事が大事です
大英図書館が無かったら、あのカール・マルクスは誕生しなかった(大英図書館でマルクスは勉強して理論を確立した)と冗談交じりに言っている
彼の読んだ本は街には無かった  もしかしたら山梨県には役に立たないかもしれない 

どこかの国の役に立ってしまうかもしれない
図書館員も知的な職業なので先生と同等かとも思う 周りには認知されてはいないが
学生時代に肺結核になり、治ってはいたが、矢張り就職が難しく 一番の志望ではなかったが、
採用試験を受けたら国立国会図書館に入ることが出来た
(一般的には健康診断ではねられる時代だった)  
図書館としては特殊 800人 1/4が国会議員にたいしての提供  国立の中央図書館 (一部が国会議員に関する仕事)図書館の為の図書館ですね
11年間整理部にいた 情報の処理をやっていた  本の分類(前半)をやっていた
  
それを記号化する作業  後半は洋書の担当 整理する
あらゆる言語の本が入って来る (失敗があったが)  普通の図書館とはまったく違う 
原稿の執筆も並行して始める 文学が好きで 表現者でありたいと思っていたのかもしれない  
給料が安かった 両親が早く亡くなり 自分で生活しなくてはいけなくなっていて、PR誌の執筆を求めていて、資料には全く困らなかったので 小使い稼ぎをやる様になって、雑文を書くようになった
本来の業務よりも収入が多くなって、辞めてしまった  
(今から思うと背筋に冷や汗が出る様な決断だったが)
40代 で雑文書きではいけないと思い、短編を書くようになる  
以前は新人は短編から入った 
変わってきて 一作どんと書いてデビューするような方向になる    
「冷蔵庫より愛をこめて」  欧米人はしゃれた作りものを書くので、その様なものを書いてみようと思った
本質的には短編が好きだったような気がする 

「ナポレオン狂」を執筆 図書館めぐりの事を書く企画があり ゲーテの事なら何でも知っていて、収集もして居る人がいて、若い頃からゲーテが好きな人で この人が小説のモデルになる人なるかなあと思って、ゲーテは止めてナポレオンを対象に作品を作った
「怖いもの見たさ」が有るので、人間は知性を持った時から 知らないものに対する恐怖は心の中に私達は積み上げてきたのではないか
その恐怖体験は私達の遺伝子、血液の中に流れているはずだと思うので、恐怖を書くと言うのは人間の考え方だとか、根源にある不安だとかに肉薄して行くことが出来るのではないかとか そういう方法によって人間の不条理を描けるのではないかと言う事で恐怖について興味を覚えています
無意識の中の恐怖、自分が自分を良く解っていないと言う恐怖は 歳を取ってきて 段々と解る様で怖いですね

恐怖を味合う事によって、恐怖に侵されない自分を意識する  
「ひかれものの小歌」 あえて一番大変な状況に有るのにもかかわらず 歌を歌って俺はこんなものにへい気だぞと 性格と言うか人間だれしも持っていることで 恐怖と言うものを恐怖文学を読むことによって恐怖を鑑賞しているんだと 本当に怖がっているのではないと いう人間の誇りがそこに有るのではないかと思います