2013年2月2日土曜日

笹森理絵(42歳)        ・発達障害を知ってほしい

笹森理絵(42歳)          発達障害を知ってほしい  
10年前に32歳の時に発達障害と診断されました 
発達障害は脳機能の障害で 集中できない 興味関心が偏る 計算が出来ない 
相手の気持ちを察することが出来ない、等様ざまな症状が子供のころから表れます  
笹森さんはこれらの障害が複数重なり、3人の子供も発達障害が有ります  
そんな一家の生活を手記に書いて平成17年NHK障害福祉賞優秀賞に成りました  
その後精神保健福祉士の資格を取り、発達障害が有る人が職に付けるように、NPO法人で就労支援の仕事をしています

4種類の症状が重なっている ADHD(集中出来ない、旨く情報処理が出来ない 
 計算が苦手、 不器用 右手左手が旨く出来ない)
子供のころも好きなことにしか気が向かない  我儘な子供と言われていた  
算数がとても苦手 国語 、社会はクラスで1番2番を争うレベルであるが、算数は数点しか取れない 
人の意見を中々聞かない 忘れ物がひどく困った  机のなか一挙に押しこむ 情報処理が苦手  
5年生のころに 机の上にものを出されて整理しなさいと言われる(女性は一人だった)  
手、顔が敏感で気持ちが悪い(化粧、顔を洗うのが苦手)
大学を卒業してすぐに結婚 最初は変人だと思われた 
趣味がツーリングでバイクの運転も男勝りの運転をする
神戸から東京に住んだが、カルチャーショックで引きこもりになってしまった  
普通推論して動くが、明らかに言葉にしてくれないと理解出来ない
(風呂を見てきて呉れと言われて、3分間見て来る 蛇口は止めることをしない)
姑との関係も旨く行かなかった 
ズバッと言ってくれない(おおらか)タイプなので解らないことが有って旨く行かなかった

最初の子供も発達障害が有った 
30歳を過ぎると社会性を求める大人の振る舞いが出来ずに ガラガラと崩れてしまって鬱病に成ってしまった
薬を飲んでも効かない  
一冊の本を読んだ 「片付けられない女」 その中には原因が有るのではないかという事が有って其れがADHDが出ていた
これは私の事ではないかとはっと思った  これを医者に伝えた 
専門の先生を紹介して貰って行った

こんなにひどいのにどうして解らなかったのと医者に言われた 
出来ないことはこれまで努力しても出来ないでいてたが、このことは努力の外に有り、これからは長所を生かした生きかたを考えた方がいいと言われた
本人て、怒られ続けてきたので、長所はどんなことなのか解らなかった 
長所についても、段々理解できるようになり、得意でない分野にもチャレンジしてみようと思う様になった
主人は最初腹が立った 
いままでこんなにひどい状態をやってきて、障害だと一言ですべてを丸く収めるとはとんでもない、受け入れられないといっていたのが5年ぐらい続いた  
子供もそうだとのことで、主人も肌でじわじわ感じてようやく理解できるようになった
 
自分の苦手から逃れるために言っているのではないかと捉えていた様だ 
でもそうではなくて困っているんだと言う事が理解できて、自分の中で 、納得が出来るようになって変わった  
長男、次男 三男共に育てるのが大変だった  長男が小学校のころに 私の病期が判った  次男も幼稚園の時に解った   子供が困っていることは今まで怒っていた  
今しつけておかないといけないと思って怒鳴っていた  
解ってから大分教え方が判ったと言うのが転換期だった  長所を見てやる
長男の事を認めてやらないと 自分も認めることにならないと思った  
この事を世間にオープンした(手記にしてNHKに応募した)

あちこちで講演もしている   
同じように診断された方が、今後の道筋が解ってきたとか、希望が見えたとか いろいろお話を頂いています
見方の違いをつくづくと感じた  他の障害と外見では違いが分からないので困る  
音が怖い 嫌なのではなくて怖い  
言い訳をするがそこまでしてやりたがらないのかと 言われてしまう
私は駄目な人間だと子供の頃からあった  
子供のころに障害が解っていれば、苦労もそれほどしなくてすんだかも知れない
1回目大学は考古学をした  
測量、不器用で土器等を触れなかった  等が有り 志半ばで諦めた

2回目はついこないだ大学を出た  
精神医学 福祉の仕事を通して発達障害に係わろうと思った  
以前から子供から老人まで介護の仕事をしていたので、守備範囲が広いので子供から高齢者までの発達障害の仕事をさせてもらえればいいと思います
今まで経験したことが生きると思う  
発達障害の有る人の就労支援も行っている
職業に係わる前の職業訓練に携わっている   
大学、通常高校をでた方で何が必要か 特性を見出す(得意な分野、不得手な分野を見出す)
障害をオープンにして伝える   偉人の中にも発達障害の人がいる  
自分の人生を自分の足でしっかり歩く事 
どんな仕事をしていても自分で選択して生きて行きたい 
自分の人生は自分でしかマネージメント出来ない
発達障害の当事者、その周りの人 の通訳として 役に立っていけるようにして行きたい