1951年昭和26年北海道生まれ、画家を目指して上京し、予備校に通いましたが、受験の為の絵を描くことに疑問が膨らみ、生き方を模索している時に 絵画や文化財などを修復する世界に出会いました。
当時池袋にあった、アートとデザインを学ぶ創形美術学校に入学、ここで多くの修復の師に恵まれ、修復の道を選択しました。
イタリア留学で海外文化財などの修復技術を学び、東京芸術大学教授に就任してからは、修復は職人の技術と言われていたものを学問に高めることに勤めました。
主な業績は山梨県立美術館所蔵のミレーの「種まく人」の修復や、藤田嗣治の秘密の絵画技法を解明したことです。
又赤坂迎賓館の天井画の修復では、木島研究室で学んだ人が多くかかわるなど、次世代の育成にも評価されています。
17年間在職したので17年間にたまったものを片づけている最中です。
以前は修復と言う職人でしたが、教育者となれるのかなと思ってはいたんですが、付き合ってみると多様な学生と出会いました。
今年1月に退任記念展を行いました。
「本展覧会では木島のオリジナル作品は展示されていません、修復の手は鑑賞者には見えてはならないものだから」とパンフレットに書いていますが、多くの先生は自分の作品を展示するのが多いのですが、自分の場合はあまり作家活動はしていないので、修復の成果を展示したかったので自分の作品は展示していません。
修復はあくまでも裏方の仕事なので、直した人がしゃしゃり出るわけにはいかない。
(歌田真介名誉教授は、木島氏を職人の技術を学問に引き上げる第一人者だと評価している。)
修復する以前のその作品が持っている、背景、歴史が詰まっている。
修復する作品の技法、材料がどうなっているのか調べなければいけない。
調査することに依って色んな事が判って来るので、記録する、それを学問化していく。
文化財保存学と言っています。
得られた情報は貴重なものが多い。
次の世代に渡せる事が出来る。
修復家にならないかと言ってくれたのが歌田先生でした。
はいって見ると非常に面白かったです。
森田恒之先生は(国立民族学博物館名誉教授)、「修復と言うものは一人でするものではない」と言っています。
(森田恒之先生は木島氏はチーム木島を作り上げた第一人者だと評価している。)
森田恒之さんはベルギーで勉強して修復、技法、材料について勉強されて日本に帰国された。
文化財を扱うので個人のものではない歴史を通したみんなの門で、一人で独断でやることは危険なことだと思います。
直す時には色んな人が集まって修復するので気持ちがまとまらないといい修復には繋がらない。
いい修復をすることはいいチームを作ることと同意義に近いと思います。
北海道の日高に生まれました。
絵は小さいころから描く事が好きでした。
東京芸大を目指して予備校に通って、受験に合わせたような指導に、こういう絵を描きたくて絵描きになろうとしたんではないと思うようになりました。
ヨーロッパの古典的な絵を見てみると本当に魅力的ですが、自分で絵が描けると言うとそうでもなかった。
技法とか材料を真剣に自分自身で勉強しないといけないのではないかと思いました。
段々修復への思いに傾いて行きました。
創形美術学校に入学しました、そうしたら歌田先生、森田先生に出会う事になりました。
歌田先生は外部からの修復を受け始めていました。
修復の手順が実に職人的で合理性に富んでいまして、それに吃驚しました。
作品が蘇ってきて魅力が出てきます。
この作業はよく考え抜かれた理知的な作業だと思って虜になりました。
自分の気持ちのはやる気持ちを抑えて、自分が思い描いた勝手な方法論で突っ走らないように注意しながらやらなければいけないと言うのが、自分に戒めている点です。
芸大に移って2年目に山梨県立美術館からミレーの「種まく人」の修復を頼まれました。
色んな分野の先生方に協力してもらって始めました。
調査してみて何度も修理されていることが分かりました。
何度目かにある修復画が徹底的に修復しましたが、やり直しされていることが判りました。
一番最初にやった修復家のやり方がやり過ぎていた。
その補彩が図柄がちょっと変わるぐらいにされていた。
それを批判した修復家がいて、前の修復を全部取り去ってまた新しく修復をしたんです。
藤田嗣治の修復は日仏共同で2000年にやりました。
技法の調査をして絵の具の分析をして、絵の具の表面にタルクがでてきました。
一世を風靡した技法が美しい乳白色で、藤田の一大特徴でしたが技法は判っていませんでした。
そのヒントになったのが2000年の修復でした。
タルクはケイ酸マグネシウムと言うものです。
ベビーパウダー、化粧品にも入っています。ベビーパウダーを藤田は買ってきて描いていると言う事が判りました。
乳白色にするための工夫はほかにも随所に盛り込まれていることが判りました。
東京大学の安田講堂の壁画も修復しています。
横12m縦が6m位です。
小杉放庵の作品で、絵を剥がして研究室に持ち込んで直してパネルに張り込んで元に戻すという大掛かりな作業で2年位掛りました。
赤坂迎賓館の天井画の修復にはじかには関わっていません。
相談を受けて、具体的な修理をやって見て、どういうやり方 どういう材料、期間、費用などについて算出して現在進行している状態です。
参加した作業者を見ると僕の研究室からも多く参加しています。
チームを組むことに依って次の世代がどんどん育ってゆくというシステムです。
技術、知識が伝承される。
「さんまの会」と言うものを作って、昨年秋に15回目になり、さんま400匹を焼いて参加者は300名を越えました。
忌憚のない話をして一杯やると言う会で、喜んで貰っています。
修復は意思の疎通がきちんとできるかどうかが大事な要素だと思っています。