内村周子(体操選手内村航平の母) ・【アスリート誕生物語】
内村航平さんは北京、ロンドン、リオデジャネイロのオリンピックの3大会に連続で出場、ロンドン、リオデジャネイロの大会では個人総合優勝を果たしています。
バレエ教室から帰ってきました。
長崎諫早市の自宅にでは体操教室も主催しています。
バレエは基本です。
小さい時から習ってきました。
バレエを習ってそれが体操に生かせていけます。
航平は2017年から日本で初めてのプロ体操選手として活動を始めました。
プロでやることは難しいと思っていたが、彼が選んだのであれば応援したいと思います。
失敗しても自分の責任だと言ってくれたので、それならば後悔はないだろうと思いました。
出産の時に全ての幸せを貰ったと思いました。
子育ては甘かったと思います。
生きていてくれたらそれでいいと思っていました。
自分がおこなったことで母から怒られて、同じ事をやっても怒れませんでした。
私たち夫婦が恥ずかしいことをしなければ、子供は背中を見ていてくれると思いました。
結婚して3つの約束をしました。
①子供の前で絶対に夫婦喧嘩はしない。
②人の悪口を絶対に言わない。
③嘘をつかない。
これを守り抜きました。
どうしても叱らなければいけない時には叱ります。
先ず理由を聞いて、そうするとどうなるんだと説明しました。
でも体操ばかりやっていたのであまり叱るようなことはしませんでした。
3歳の時に急に泣きだして「ママ、抱っこ」と言われたが、放っておいて他の生徒を補助しながらやったのを今でも覚えています。
ずーっと泣いていましたが、よその子を放っておいてもどうして抱きしめてやらなかったんだろうといまでも思います。
小さいころからあまりなじめない子、弱い子でした。
色んなところに連れて行って色んな人と出会って経験させることだと思い、あっちこっちにつれていきました。
大きな大会にも連れて行って、観させてこういう試合をしなければいけないんだとそれを沢山やりました。
航平は最初の大会では最下位でした。(6歳)
緊張しないで出来るようになったのはどうしてかと聞いた時がありますが、「経験かな」と言いました。
怖がりで高所恐怖症でしたが、私もそうでした。
しかし体操の時には怖くないんです。
私の両親は厳しく怖かったので、その逆を行こうと思いました。
母は怒ったことが悪かったのかなと後で思うことがありました。
それを思ったのは今年の正月だったんです。
母が体育館に遊びに来て、沢山料理を持ってきてくれて、急に「あなたの事を本当によく怒って育てて、ごめんね」と言ったんです。
どうしてその時に言ったのかは判りません。
航平は私に何かを伝えるために生れてきていると思っていて、私は弱い人間だろうと思っているので、だから世界一になって勇気付けてくれて、元気に喜んで生きてと、そういう意味なんだろうと思っています。
そういうものだと思っています。
普通の内村航平が私の頭に中にあるだけです。
トロフィー、メダルはそれほど大切だとは思わないが、航平の言葉です、言葉の宝物が大きいと思います。
北京オリンピックの前年にプレオリンピックがあって、いい結果ではありませんでした。
試したかった技があったが失敗してしまった。
貴方のひねりは世界一だよと言ったら、「教えてくれた人が良かったんだよ」といって、「どの先生?」って聞いたら、「自分を産んでくれた人だよ」と言ってくれたんです。
一生その言葉で生きていけると思いました。
もうひとつは全日本ジュニアで優勝した時に「親孝行したよ」と言ってくれて、その二つの言葉ですね。
航平は3歳から始めましたが、たまたま体操教室を開いていたので自然に体操を始めました。(航平も妹も)
体操が好きだったようです。
他の子たちと遊ぶ経験が無くて可愛そうだと思って、サッカーなどを薦めたが、「厭だ、面白くない。」と言って、「だって体操が一番面白い。」と言うんです。
体操の練習以外はピンクパンサー(ゲーム?)で技の名前を言いながら遊んでいました。
それとVTRをずーっと観て、コマ送りして技を習得していました。
体操ばかりで心配で相談したこともあります。
体操教室での指導については他の子が優先で、どちらかと言うと放っておきました。
アレルギー体質で困りました。(白砂糖、白米などが駄目なので黒砂糖、玄米などにする)
今は食べられるようになりました。
高校から上京しましたが、私は最後まで反対しましたが。
私の時には反対した父が航平の思い通りにさせてあげればと言われて腹を決めました。
親心としては無事に試合が終わって欲しいと言う思いしかないので、メダルをとってほしいという思いはありませんでした。
航平は体操を愛していると思います。
私は30年振りに2014年9月の第47回体操全日本シニア選手権に出場、21位(50歳以上の部ではトップ)の成績でした。
去年まで5年間出場、今年も出れたら出たいと思います。
私が出て周りが観て楽しんでくれれば、どんな事でもします。