頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】トルストイ
「結婚なんて決してするものではない。
そうでないと、とんでもない取り返しのつかない失敗をすることになる。
君の持っている美しい気高い資質が、すっかり駄目になってしまう。
くだらないことの為に何もかも使いはたされてしまう。」 (「戦争と平和」の一節、トルストイ)
小説を読むと退屈するけれどトルストイの人生は面白くてしょうが無い、興味が尽きない。
今回はトルストイの晩年の結婚生活の話です、これがとっても興味深い。
1828年生まれ、(江戸の後期にあたる。)1910年亡くなる。(82歳)
ほかにも
「全く結婚しないことである。
これができる人間はめったに居るものではない。
だがこれができる人間は幸福である。」
「いよいよ結婚する前に十遍でも、二十遍でも、いや百編でも考えてみる方がいい。」
凄く結婚に対する否定だが、それは自分が結婚しているからです。
34歳の時に18歳のソフィアと結婚する。
「戦争と平和」を書いている時にはうまく行っていたが、晩年になるとお互いに酷く苦しめるようになる。
82歳で家出をして小さな駅で亡くなる。
理想と現実のぶつかり合い、トルストイは理想を激しく求めるタイプ。
生れながらの貴族で身分が高くてお金もちだった。
晩年には私有財産を持つことはよくないと言う事で、領地も農民に与えて、著作権も放棄しようとしていた。
妻にしてみれば大変なことなので反対するが、世界3大悪妻に例えられている。
(病気をするとお金があるなしで切実な問題で、何にもできない人間になるとお金に綺麗なことは言っていられない、現実はシビアだと感じます。(頭木))
妻の方にしてみれば現実ががっちりあったはずで当然そう思います。
トルストイには13人子どもがいました。
「子どもは神の祝福である、子どもは喜びであると言うのはみなウソだ。
それは昔の話で今ではそんなことは全然当てはまらない。
子どもは苦しみである。
ただそれだけのことである。」 (「クロイツェル・ソナタ」の一節)
子どもがいることで子どもが夫婦の喧嘩の種になってしまう。
トルストイに娘が付いて妻に息子が付いて、子ども同士も反目し合っていた。
親がいがみ合っていると子どもにとっては、かなり不可解だと思います。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」 (「アンナ・カレーニナ」の一節)
健康と病気の関係を直ぐ思い浮かべます、健康は一種類ですが、病気は凄く種類があります。
自分とはまったく関係ないと思っていた思いもよらないことが、突然自分のことになる。
どんな不幸が来るかわからない凄味がこの言葉にはあると思います。
トルストイは自分の日記を婚約時代からソフィアに読ませた、結婚後も読ませた。
日記を読ませることは変わっていて、赤裸々に本音が書いてありそれを妻に読ませる。
激しい色んな女性経験の話も書いてありそれは妻にとってはショックです。
理想としては夫婦関係に秘密があっては良くない、自分を受け入れてほしいと言う事だが、妻にとってはたまったものではない。
これは特殊な不幸です。
晩年になるとチェルトコフという中年男性が一番弟子のような形でついて、トルストイの言ったことを世界に広める役をしていて、これに対して妻は厭がっていた。
妻に読ませた日記の中に「私は女性に恋をした事はない。所が今までしばしば男性には恋をしてきた。」と書かれている。
チェルトコフが財産放棄とか著作権放棄を勧めていた人でもありました。
チェルトコフが来てからその後妻に日記を見せなくなる。
ソフィアとしては大変だったと思う。
秘密があってはいけないと言う事は潔癖過ぎると思いますし、晩年は日記を見せてもらえなくなる。
「私の行為はそれがどのような行為であろうと早晩全て忘れられてしまい、この私と言うものは完全に無くなってしまうのだ。
それなのになんであくせくするんだ、どうして人はこの事実に目をつぶって生きて行くことができるのか、実に驚くべきことだ。
そうだ、性に酔いしれている間だけ我々は生きることができるのだ。
が、そうした陶酔からさめると同時に、それが悉く欺瞞であり愚劣な迷いにすぎないことを求めないわけにはいかないのだ。
つまりこの意味において人生には面白い事や可笑しい事など何にもないのだ。
ただもう残酷で愚劣なだけなのである(「懺悔」の一節)
懺悔はトルストイの本音が書かれていて吃驚する。
トルストイは若いころはよくないことを一杯している、ギャンブル、酒、女、さんざんです。
家族、名声、財産、才能、健康など全部揃っている訳です。
だけど虚しい、それは結局死んでしまう。
あと身近な人が沢山亡くなっている。
母親を2歳で亡くして、9歳で父親を亡くして、お婆さんに引き取られるがお婆さんも翌年亡くなって、伯母さんにひきとられるが伯母さんも亡くなり、兄のニコライも結核で亡くなって、13人の子どもも5人は幼くして亡くなる。
お気に入りの次女のマリアも35歳の若さで亡くなる。
死んだら虚しいと言う思いがどうしてもなる、そういう虚しさに晩年とらわれる。
全て満たされても最期に残るのが、死と言う問題なんです。
トルストイが東洋の寓話だと言って紹介しているものがある。
「猛獣に追いかけられて井戸に飛び込むが、井戸の底には龍が口を開けて待っている。
井戸の側面の草にしがみつく。 そうすると2匹の鼠が草をかじってそのままでは下に落ちるしかない。
しかし、掴まっている草に花が咲いていて、蜜がたまっていてそれを舐めるわけで、蜜のおいしさに夢中になることが生きることに夢中になることだと、でも今こんな状態なんだと気付いてしまうと、蜜の甘いおいしさなんて感じることが出来ない、今自分は気付いてしまったと、そういうふうに言っています。
我々も蜜の味に執着するか、蜜の味がしないか。
今の人生の楽しみをなるべく味わってどうせ死ぬんだから、だからこそ今の楽しみをどんどん味わおうとする人と、どうせ死ぬんで虚しいんだから、楽しみなんか何もない、いっそ禁欲的に生きていく方がいいのではないかと両極端に別れる場合が多い。
「人生最期の日だと思って今日を生きろ」みたいな言葉があるが、疑問があります。
人生本当に最期の日だったら仕事なんか行かないし、恨みのある人を殴りに行くかもしれない。
本当は明日もあると思う、明日の為に今日は犠牲にしていることはどうしてもあるが、そういう毎日を過ごしていると虚しさはどんどん増します。
虚しくないように頑張るが、それも限界があり答えの出ない難しいことだと思います。
トルストイの理想はいずれ死んで全てが消えうせてしまうとして、それでも無意味ではないと確信できる生き方、そういう生き方をずーっと探していたんだと思います。
トルストイは神の教えに従って生きようと言うところに行きつく訳です。
自分よりも他人を愛して、人の為に生きるというこういう生き方をしていれば、例え死んでしまって消えてしまっても、全く無意味な人生とはいえないと言うふうに到達する訳です。
しかし矛盾が生じる、他人の為に生きようとすると、一番身近な他人は妻で、妻の為に生きようとすると、財産を放棄しようとする理想が叶わない。
当時トルストイ主義と言って世界中に広まっていた。
ガンジーはトルストイの非暴力主義に凄く影響を受けてインド独立の父になったわけです。
世界をよくしていくために役立っているが、一番な身近な家庭ではうまくいかなかった。
トルストイは葛藤をどうにも解決しようがなくて、最期に家出をして小さな駅で亡くなるわけです。
トルストイは、みんな思っているけどやれないことを、全部やろうとするわけです。
しかし身近な周囲は犠牲になってしまう面があるわけです。
それが簡単に善し悪しが言えないところです。
トルストイは字が汚くて自分でも読めない位で、それを読めるのが妻だけで、それはトルストイがどう考えるか判るわけで、かなりソフィアの手が入っていて、だから結婚していなかったら名作が生れたかどうか、できたとしてももっと違った内容だったかもしれない。
結婚3か月ごろのトルストイの日記
「家庭の幸福が私をすっかり飲みつくしている。
夜中や朝目が覚めて彼女の姿を見ると愛おしさを覚える。
彼女は私を見つめ愛する。
彼女が私のすぐそばに座っていると愛おしい気持ちになる。
私たちはこの上なく愛し合っている。」
私は彼女を愛している。」