2019年5月14日火曜日

船橋康貴(養蜂家・一般社団法人 代表理事)・ミツバチから地球環境を考える(1)

船橋康貴(養蜂家・一般社団法人 代表理事)・ミツバチから地球環境を考える(1)
船橋さんはサラリーマンとして働いていたころに、地球の環境問題に関心を持ちシンクタンクを立ち上げました。
産業廃棄物の処理、地球温暖化など幅広いテーマで国や海外の研究機関などとの共同研究に取り組んできました。
仕事は多忙を極めますが、環境問題の改善の実感が持てずにいる時に知ったのが自然界での蜜蜂の役割でした。
現在は養蜂家として働きながら、幅広くその経験を生かした蜜蜂に学ぶ蜂育家活動なども進めています。

ミツバチは日本蜜蜂、西洋蜜蜂がいますが、この森の中にはまだぎりぎり日本蜜蜂がいます。
温暖化、気候変動、とか言われますが、四季の繰り返しの流れのなかで過ごしてきましたが、ここの処ずれがあったりしています。
花が咲いても虫が出てこないとか、虫が出ているのにまだ花が無いとか、それで生命の循環が狂い始めていることがあります。
蜜蜂にしても春から動き始めて家族を増やして、夏は暑いので少しゆっくりリズムが休んで、秋に又秋の花が咲くので頑張って溜めた蜜で冬を越して行って次の春を迎える。
冬はしっかり寒い状態がうまく保てているので、巣箱で身を寄せ合って身体をブルブルと震わせてお互いを温め合って、外の蜜蜂が寒くなると順番に交代しながら過ごしています。
温暖化の影響で冬が暖かかったりすると、虫たちはアレ春かなと思って勘違いして動いてしまう。
そうすると死んでしまったりする。
予定されてなかった体力を使ってしまうので、その後にガンと冷えた時に温め合うエネルギーが足りなくなって、冷えてしまって寄り添って固まって死んでいると言う事があります。
ベテランの人達は蜜蜂が育てにくくなったと言う事を言われます。

働き蜂は全員メスで2万匹いて、ほんの少しの雄蜂とたった一匹の女王蜂が一つのコミュニティーになっています。
働き蜂の一生はわずか一カ月で死んでしまいます。
生れて動けるようになって直ぐは部屋の掃除係をします。
暫くすると赤ちゃんたちの子育ての係をします。
次にお姉さん蜂が取ってきた蜂蜜を受け取って、中に溜めて行く貯蔵係のような仕事をします。(内勤:2週間)
次に外で飛ぶ練習を始めます。
半径2kmの中にある蜂蜜や受粉をします。(2週間)
一日3000の花を廻ります。
受粉して貰う為花たちもちょっとしか蜜を出さない。
遠くで蜜蜂の羽音がすると花もその音に共鳴します。
蜜蜂に来てもらわないと命が続かないからいろいろな形と色をしていて、花の蜜を甘くして出します。
遠くの蜜蜂はそれを感じ取る力があるので、蜜をちょっと頂いた時に受粉して次の花に行きます。
全ての生態系がこういう関係性で、「甘いあえっこ」をする訳です。
鳥と果物も「甘いあえっこ」していて、種が混じったウンチをして土に落ちて、土には微生物、ミミズ等がいて、豊かな土にして種を発芽に導き、その代わりに落葉して土を豊かにする。
森が出来て、古い木が朽ちて新しい芽が出て、豊かな森が二酸化炭素を吸収してくれて酸素を供給してくれて私たちは生きていることができる。
水も循環していて、魚を育てる。
太陽、水、などの作用もあり、光合成、醗酵等が起きて私たちもこのループの中にある。

評価として蜜蜂一匹の人生は10円だねと言う事になるが、3000の花を受粉してリンゴ、ミカン、桃とか野菜とかを供給する大事な仕事をしています。
実一個を100円とすると蜜蜂一匹が人間に与えてくれる食べ物の経済価値は450万円なんです。

51歳で養蜂業を始めました。
サラリーマンを経て環境のコンサルティング会社の社長業をやりましたが、或る時中学2年生の女生徒からの手紙があり、彼女がインタビューに来ました。
環境に関する現象について話をするうちに彼女は号泣し始めて「生きるって、人生って、人間ってなんですか?」と叫んで、「みんな病気になって死んでしまいます、子供たちを助けて下さい」と言われました。
それまで自分は貢献していると思っていたが、その問いに答えは持っていなかった。
養蜂家を訪ねる機会があり、蜜蜂が少なくなってきていること、蜜蜂がいなくなったら食糧危機になることも知っていましたが、ただ知っているだけでした。
75歳の養蜂家がこの子たちがいなくなると食料危機になって、地球が終わってしまうと朴訥と語ったんです。
衝撃をうけて、判ったと思いました。
蜜蜂を先生にして伝えたならばどんな人にも素直に判り易く伝わるかと思って、社長業を辞めて蜜蜂と暮らす生活を始めました。
年収は1/20になり大変でした。

自然の中に入って生き物と暮らすことで、心身ともによくなってきました。
今年で8年目になりますが、食べれるようになったのは7年目の途中からです。
6年目の年末は財布の中に55円、通帳残高ゼロでした。
「俺たちどうなる?」と息子に言ったら「何とかなる」と言われ、本当にできた息子で本当に何とかなってきました。
何故かギリギリのところでいつも手助けが入りました。
凄く美味しいと言われましたが売れませんでした。
試食をしてもなかなか買ってもらえませんでした。
環境の展示会があった時に小さなブースを出したことがあり、隣りでタオルの会社(今では有名なタオルの会社)の社長さんがいて、内容的には素晴らしいことをやっていましたが、商談は思わしくなくうなだれて帰りました。
或る時にその社長の会社が驚異のV字回復をしました。
最後の資金でニューヨークの展示会で、日本で出したものと同じものを出したが、グランプリを取ったと言う事でした。
日本中が注目して凄いことになりました。
そのことを覚えていて日本人は海外に特にニューヨークに褒められると弱いんだと言う事で、ニューヨークへ行こうとしたが、食べ物の専門家たちから食はパリだと言う事で、銀行に行ってなんとかお金を貸してもらいました。

言葉(フランス語)が出来ないので、インターネットで「通訳を一日でも助けてくれたら有難い」と発信をして飛んで行きました。
宿の金が無く、公園で野宿するつもりでいました。
一人の人が手伝いますと言ってくれて、宿はどこかと言われてお金が無かったので公園に寝る予定だったと言ったら、夜はマイナス10度ですと言われてしまいました。
その人の友人のマンションが空いていて使っていいと言うことになりました。
オペラ座の屋根の上に蜜蜂がいて、アポなしで飛び込みましたが、会う事を拒否されました。。(都市型養蜂でやっています。)
何人も警備員がいたがありったけの笑顔で「ボンジュール」といって、通してもらいました。
オペラ座の執務室に到着し、そこには100人ぐらいいました。
最高責任者に会わせてくれと言ったら大さわぎになって、総支配人室に行き会わせてもらいました。
「パリの人、フランスの人は蜂蜜の味はその作った方の人生の味だ」とおっしゃいました。
あっちこっちの電話をしてくれてあっという間に2週間のスケジュールがうまりました。
フランスの人達と繋がって色んな事が起きました。
蜜蜂が減ることで食料危機があり、自分の一個の命と74億人の命との交換は愛だなと思ってしまいました。
何とかしたいと言う気持ちの方が強かったです。
開いて行った扉が沢山ありました。
音楽は国境を越えると言うが、もうひとつは蜜蜂だと思います。
パリ中央養蜂委員会があり、名だたる公園の真ん中に蜜蜂の園があり子供の教育があります。
フランスでは蜜蜂から教わるという姿勢が300年前からあります。
パリ中央養蜂委員会の委員長に会えて、「自然に畏敬の念を持つ、この事が判ったならば何も子供達の非行は起きない」と言われて、超多忙な方なのに丸々3日時間を割いてくれて、色んなところに行き色んな事を教えてもらいました。
オーガニック(一般的には農薬や化学肥料に頼らず、太陽・水・土地・そこに生物など自然の恵みを生かした農林水産業や加工方法)・・・ 君等は製品の原材料とか生産のプロセスのことをオーガニックと呼ぶだろう、物を選ぶとか○○剤を入れていませんとか・・・でもそれはオーガニックの考え方の一部だと言われました。
ではオーガニックとは何かと言った時に、その会長は「人生の在り方、生きざま 命の使い方」だといわれました。
最期にお別れする時にグーッと抱きしめてくれて泣きながら「尊敬する日本人に友達が出来てとてもに幸せだ」とおっしゃいました。
日本人はすべての命に対して神を見、それ(八百万の神)に手を合わせて、朝な夕なに太陽に手を合わせ自然のありように、丁寧に寄り添って生きている国民だろう」と言われました。
しかし私はとても恥ずかしい気持ちになりました。
是非日本に来て案内したいと言おうと思ったが、とても日本に今お呼びできないと思って、返す言葉も無く、ただただ有難うと言って涙を流しました。
そう思っている方に応えたいと思いました。