2019年5月22日水曜日

銭谷欽治(日本バドミントン協会専務理事) ・【スポーツ明日への伝言】世界のメジャースポーツにするために

銭谷欽治(日本バドミントン協会専務理事) ・【スポーツ明日への伝言】世界のメジャースポーツにするために
東京オリンピックが迫るなか、日本のバドミントン選手は世界の大会で好成績を残し続けています。
日本バドミントン好調の理由、オリンピック更にはその先への期待について銭谷日本バドミントン協会専務理事に伺います。

この20,30年マイラケットは持っていないです。
選手の代表が決まって行きますが、今、5月1日から来年4月末までの全ての国際大会のポイントで決まってきます。
大会に出るためには実際には2年前からスタートしています。
今5種目ともトップランキングにきているので、本番ではメダルを何とか獲得したいと思っています。
女子のダブルスは熾烈の戦いが始まっています、世界のトップ3になっている。
怪我が一番怖いと思っています。
男子シングルスは桃田選手がトップになっていますが、研究されて楽に勝てると言う訳にはいかなくなってきている。
女子シングルスは山口が若いので未完成な所もあり、奥原選手も頑張ってもらいたいと思っています。

銭谷さんは1953年生れ、石川県出身 石川県立大聖寺高等学校から中央大学に進み、卒業後は河崎ラケット工業、三洋電機で選手として活躍。
 全日本総合バドミントン選手権大会男子シングルで1976年から4連覇など7回の優勝。
1985年に選手を引退、その後コーチを経て監督に就任。
1996年から三洋電機女子チームを全日本実業団バドミントン選手権大会4連覇に導いた。
現在は日本バドミントン協会専務理事としてバドミントン界をけん引。

バドミントンが強くなったのは15,6年前からジュニアの育成に力を注いできました。
2004年から朴柱奉(パク・ジュボン)ヘッドコーチが来て、2008年1月から開設したナショナルトレーニングセンター、コーチ陣のサポート支援などそういったものの総合力だと思います。
小倉、潮田選手(「オグシオ」)、彼女たちが入ってきたのは2003年で、その前後ぐらいからです。
ジュニアは全国大会の整備、アンダー16の充実、コーチングスタッフもかなり多くの先生などに協力していただきスタートしました。
成果がどんどん出てきました。
ナショナルトレーニングセンターの設備の効果も大きかったです。
いち早く利用したのが卓球とバドミントンでした。
パクさんはオリンピックの金メダルを取っているので、その後イギリスに数年いって、マレーシアにいって、日本に来てからも日本語を貪欲にをマスターして、選手に対するカルチャーショック的な、ベスト8にはいると喜んでいた時代だったので、それをぶち壊してくれてた、意識改革は大きかったです。
パクさんとコーチ、選手との調整役として立ち回った時期もあり、苦労したこともありました。
パクさんも日本のシステムを理解して4,5年かかって信頼関係が生まれてきました。

2016年には賭博問題が起きました。
私が就任して2年目あたりの頃で、吃驚しました。
先ずは検証してできるだけすみやかに処分をちゃんと出さないといけないと思って対応させていただきました。
スポーツの高潔性、ルール、倫理規定をつくっても結局は個人本人なんですね。
関係者全員がインティグリティ(Integrity「誠実さ」「高潔さ」「真摯さ」) の意味合いを学んで行かないと、大きな課題だと思っています。

シャトルは今、初速は最高で473km/hと言われています。
30年前は250km/hでした。
昔は木のラケットで140gぐらいだったが、今はラケットがカーボン製になり80g位でスピードも出ます。
相手の到達するまで0.2秒ぐらいなので瞬間的な判断、感覚、動体視力などが求められる。
テニス、卓球などと違いバドミントンはワンクッションをおかないのも特徴です。
動きが激しいところもあり大きなけがに通じることもあります。
俊敏性、反射能力、読み、心理的駆け引きなどが求められる。
ガットの張りは桃田選手などで33~35ポンドです。(昔は20ポンドぐらいでした)
球離れが早いです。

私は中学の時には野球でピッチャーをやっていて、高校では最初陸上部にはいりましたが直ぐに辞めて、バドミントン部に入ることになりました。
始めてから2年ちょっとで全国高等学校総合体育大会バドミントン競技大会にでて、準優勝することができました。
バドミントンの面白さは0~400km/hぐらいまでのスピードの変化の中での駆け引き、心理戦、色んな要素があります。
バドミントン協会登録者数は平成20年が23万2000人、平成29年には29万8000人に増えています。
実施人口、2002年81万人、2018年104万人と増加傾向にある。
生涯スポーツとしては取り組みやすいスポーツだと思います。
室内なので天候に左右されない。
バドミントンを日本のスポーツの中でメジャーなものにしていきたいと思っています。
東京オリンピックの後、2022年には東京で世界選手権が行われ、その先はパリ大会もあるので繋げて行きたいと思います。