2019年5月25日土曜日

立川志の輔(落語家)           ・【舌の記憶】あの時あの味(2)

立川志の輔(落語家)           ・【舌の記憶】あの時あの味(2)
圧倒的なパワーと重層的に語られる志の輔落語、その濃密な世界は何処からどのようにして生まれるのか、志の輔落語を貫くものは何なのか、立川談志の話もたっぷり伺いました、「落語でなにがいいたいんだ」という題で伺います。。

師匠はこんなにお茶目なんだ、こんなに不思議な人だと思ったのは「ガッテン」25年続けている中で15年経った頃でした。
スタッフが「ガッテン」に出てもらえないかと言う事で、師匠に伺いました。
出て質問してもらえればいいといったら、「唐辛子は何故辛いのか」、と言うんです。
動物に食べてもらって、熟して甘くなったものをおいしいから鳥に食べてもらって糞とともに種をばらまく、そのおかげで自分の子孫は世界中に広がって行く。
辛い唐辛子を喜んで食う鳥なんていないのに、なんで辛らくなっているのか調べてこいと言う事で、スタッフが当時の志の吉を連れてメキシコまで行きました。
調べてみたら、辛味や甘味が判らない鳥がいて、唐辛子を食べてくれていて、他の動物に食べてもらいたくない、味の判らない鳥だけがたべてくれればいい、と言う事で辛らくなっているんだと考えられると言う事で放送して、カメラに向かって「ガッテン」して頂けましょうかと師匠もTVを見ていると思っていったんですが、放送後、「俺は立川談志だ、あんなことでガッテンできると思っているのか」と製作室に電話がかかってきて、師匠から苦情が来ました。
わざわざ放送直後にかかってきたわけで、大騒ぎになりました。
恐ろしいし、きびしいが振り返ってみるとお茶目な人でした。

古典落語で5年ぐらいたってうまくできたと思っていたら「お前、今の落語でなにがいいたいんだ」と言われました。
「落語を教わった通りとか、俺が教えた通りならば、俺がやればそれで済むんだ」と言う訳です。
お客さんが満足する中には、笑う、良い時間であった、もうひとつは人間こう生きれば楽なのかとか、こう考えれば幸せかとか、ここまではしてもいいけどここからしてはいけないとか、判ったと言う感じの満足感の大きな種類の一つだから、それをもって、と思ったら、新作落語でも、全ての落語、全部の作品に談志の何とか論(金銭論、教育論とか)が入っているんです。
古典落語の根底に人間ってこういうもんなんだ、という談志論がそれぞれの作品の中に結果的にはいっている、酒を飲んじゃあいけないがこの状況なら人間飲んじゃうよなと言う様な、談志論がそれぞれの作品の中に入っている、だから「落語でなにがいいたいんだ」と言って、そういった事に対して気付かせようとしたんでしょうね。
お客さんが笑っただけで、良くできましたと思っているんじゃねえだろうなと、いつも思いだす言葉ですね。
『牡丹燈籠』は全部を読んでみた時に『牡丹燈籠』は違うテーマの作品だと思った時に、初めから終わりまで2時間半で全部やろうと考えたのは15年前からで毎年やっています。
毎年登場人物がこの人は素敵だなと、毎年違うんです。
三遊亭圓朝師匠の大作です。
「忠臣蔵」は文楽の為の戯曲であって、その大元になった赤穂事件の出来事で、忠臣蔵ではないんだと、歌舞伎座で観てあーそうなんだと思って、「忠臣蔵」を初めから終わりまで説明出来て2時間半で何とかできないかと思って、これも7年目になり毎年これもやっています。
やっていて毎年角度が違うので、やっていて飽きないです。

「みどりの窓口」「歓喜の歌」これは新作落語ですが、清水義範さんの存在が無ければ沢山の新作落語は出来なかった。
「ゴミの定理」と言う本にゴミがどんどん増え続けて行くとお金を払わなければいけない時代が来ますよ、と言われた時代に、ゴミは人それぞれに定義が違っていて、物が届いた時に人によってはゴミになってしまう。
清水義範さんのエッセーの作品を新作落語に練っていきました。
自分の体験談から来たものもあります。(「歓喜の歌」など)
いくら落語でもリアリティーが半分、面白さが半分ないと、と言う事はあります。
新作を作ると古典落語の凄さが判ります。
江戸時代は短い話だったろうが、何十人、何百人と携わりながら、練ってたしてひいてを繰り返し、一番いい状態の物を僕等は師匠に教わりながら来るので、無駄なく見事なセリフだけが残ったのが古典落語だと思います。
談志師匠は古典落語しかやりませんでしたが、「みどりの窓口」を談志師匠が面白いと言ってくれたのは凄く嬉しかったです。

「ガッテン」が週に一回来るのが、リフレッシュになります。
TV、ラジオ、映画それぞれに携われましたが、それぞれのジャンルの作り方、楽しみ方、表現の仕方が全然違うので何をやってもリフレッシュになります。
パワフルなのは富山県民の血ですかね。
持久力があると言うか、地道にこつこつとやる県民性ですかね。
毎月富山で落語会をやっていますが、富山の人にあうたびに富山に生れて良かったなと思います。
富山弁で「気の毒な」と言う言葉がありますが、「有難う」「すみません」など全部含めて言う言葉です。
「あなたに気の毒な想いをさせました」と言う意味です。
富山弁でこの「気の毒な」と言う言葉が一番好きです。