2019年5月10日金曜日

藤城清治(影絵作家)           ・「人生は光と影」(2)

藤城清治(影絵作家)           ・「人生は光と影」(2)
(ちょっと聞き取りにくい面があり理解できずうまく纏められなかったと思います)
どちらかというとメルヘン的でした。
80歳になるころから自然の持っている物をもっと描きたいと、自分の夢ばっかり楽しく描いているだけでは駄目だと思うようになりました。
広島の原爆ドームは描かないと若いころは思っていたが、たまたま広島に行くことがあって小雨の降る中で見た時に、なんともいえぬ衝撃を受けました
戦争と言うものを実際に味わい兵隊にも行き、そういうところから次第に自分が何かを表現する、広島原爆ドームなど、見つめられるようなものを絵が描けなければいけいけないと思いました。
簡単にできるようなものではないので、事実と歴史を形の上にちゃんと書き表せる表現力が自分の中にできるかどうかやってみたいと言う気持ちで取り組み始めました。
雨が降っている中で描きました。
それを観てそこから何か、勇気、喜びなり、歴史の深さ、悲しみ、人生、世の中のそういうものを含めた中で、絵の中に表示できるようなものを描いてみようと思いました。
広島原爆ドームみたいなものこそ、こういう大きな夢がそこから生れて来るんだとか、あたらしい時代が開けてくるんだと、そういう作品を描いてみたいという気持ちで描きました。
80歳位になって徐々にそういったものが出てきました。

東日本大震災があり、地球のすさまじさを感じ、災害にどう取り組んで行くか、人間が見て写真のような記録も大事だが、一人の人が描く絵と言うもので 気持ちを込めて、悲しみ、勇気、未来をこうしなければいけないとか、いろんなものが混じっているものの中でこの現実をどう描きとどめて、後世に残していくと言う者としては、被災地の絵と言うものは相当大事ではないかと思います。
ただ壊れていると言うふうに写実的ではなくて、凄さをどうとらえて、そういうものがあっても又それを乗り越えて人間というものは時代を越えて生きて行かなくてはいけないと言う、そういう事の勇気が出る絵でなければいけないんじゃないかと思います。
自然の美しい風景だから描くんだと言うのが今までの絵だったかもしれないが、災害的な凄さみたいなもの、そこには色んな悲劇、悲しみがあるけれども、そういうものを越えた力の凄さ、そういうあらゆるものを表現して、それを越えて行くのがやっぱり人間の生きる勇気ではないかと思います。
そういうものを出すような絵を描くのが、重要なことではないかと思います。
美しい絵を描くのは美しいと思って描けばいいんだがそうではないので、形も取りにくいし、想定を越えた力で曲がったり崩れたり、そういったものを、その凄さを人間は越えて行くんだと、そういったことがわき出てくるような描き方ができないかなと挑戦して、描いている間に時間が経ってしまって、数値(放射能)が上がってしまっているので、辞めて下さいと言われる中でやりました。

絵が描かれた被災地の影絵には小人が登場して折り鶴が飛んでいると言う作品になりました。
そこに勇気と癒しが生れてきて人間の心に更に未来に希望の心を植え付けるようる様な作品にしていかなければいけないんじゃないかと思います。
小人を描くのは若いころから自然に描くようになり、それは自分の分身で 目でもあるし、心でもあるし、自分を代弁しているようなもの、素直に描けるようなものと言う事です。
一番最初はシルエットだけでそのうち、小人の素直な目を入れたいと思うようになり、目を入れて行きました。
はなもりやすじ 影絵には光があると言っていました。
それが人々の心に届いて励ましとなっていると思っています。
色んな意味で花森さんん育てられたと言う事があります。
僕は暮らしの手帳に何十年と連載しましたが、自分の影絵の個性を出そうと言うのではなくて、花森さんの持っている考えは暮らし、生きていると言うか、人間は単なる芸術だけと言うよりも生きている暮らしてゆく事のためのものだと言う事を基本にして、単なる作家と言うのではなくてあらゆる問題について、判っているんで・・・。
僕が適当に楽しんで作ってきた。

暮らしの手帳が狙っている世界観が僕の影絵なんだという、そういう事は念頭にいれていて、暮らしの手帳の方向性を僕の影絵は出している、作っているんだとそう思っていると言う気持ちを持っているから、この影絵の頁を開くと・・・・・。
90歳になって2回手術、椎間板ヘルニア、脊柱間狭窄症。
入院している時にはやる事がないから、窓から見える景色をデッサンしたりしました。
障害があってもそこで出来る限りの事をやって行くことに喜びがあり生きる喜びがある。
絵と言うものは学生時代に自由に描いていたのは、凄いなあと思うし、戦争中に描いていたのも凄いなあと思うし、戦後にも無い時に影絵をやったのも面白かった。
他にも色んな事をやって、その後影絵に絞って影絵の展覧会をして細かいことができるとか、そういう20歳のころも凄くいいけど今も凄くいいと思う。
20、30、40代に出来なかったことが、90歳代になってできる部分もあると思います。
生きている事の素晴らしさ、若い頃の素晴らしさ、中年の素晴らしさ、老年の素晴らしさがあり、老年になるほど生きることの素晴らしさが或る意味、より高められる。