高橋武市(観光庭園園主) ・大地に描く夢の花園(1)
昭和16年北海道滝上町で開拓農家の長男として生まれました、現在76歳。
この土地で好きな花作りで生きていこうと決めたのは中学生の時でした。
それから60年余り、自分が理想とする花園をたった一人で大地に絵を描くように黙々と作り続けて来ました。
冬は氷点下30度まで下がり、雪も1mを越えるところで、「夢の花園」と云う陽殖園があります。
5月には温度が上がるが、6月は下がってに霜が来ることがあります。(現在5度)
今の時期の花は低温だからこそ色彩が締まると云う事があります。
農薬、化学肥料は一切使わないと云うやり方をやっています。
通路は5kmあるが、草刈り機など使って草を刈っています。
植物にはまず太陽が必要。「陽」
殖は繁殖の殖を使おうと思いました。「殖」
中学を卒業して、屋号を付けようとして「陽殖園」と云う名前を付けました。
昔からこういう風景が有ったんだと、錯覚してもらえれば俺の勝ち、景色が自然に見えるためにはいろんな種類が入り混じって居ないとそう見えない。
今はちょうど新緑の時期なので緑が鮮やかです。
空気がおいしいのは寒さだけではなく、農薬と化学肥料を昭和40年から一切使っていないからです。
虫も色々な種類がたくさんいて、生態系を作り上げて居ます。
この花は紫色で、原種は海老茶色のくすんだ色だったが、長年掛けて自分で品種改良して白からブルー、紫まで色合いを色々作りだしました。
つつじは蓮華つつじの仲間で本来はだいだい色で、色彩の綺麗なものを選別して、色彩の一番いいものをまとめて植えてあります。(だいだい系の赤)
観光にするためには風景が大事です。
前を向いて進んでいき、振り返るとなだらかな下り坂になっていて、風景がまた違って見えます。
地形、植物の植え込みを色々変えるとこうなります。
山あり谷あり池が5つあり迷路のように道が5km続いています。
自然を凝縮したようなもの、自然だと錯覚したら勝ったと云う感じです、自分でデザインしています。
地形を変えることは大変でした、花をやっているのか土木作業をやっているのか判らないような感じでした。
自分が命尽きるまでこの花をやろうと思っていましたので、自分の信じたことをやることがいずれ差別化になると思いました。
花の作り方も、売り方、商売の仕方も全部独学です。
だから自由に物事を考えられる、それがよかったなあと思います。
木が多いが寒さよけにもなります。(周りはマイナス1度ぐらいでも木のところはプラスになっています)
ストローブ松の木にカラスが止まっていますが、そのうちの一匹は私に馴れて居て、近くに来てむこうから何か話しかけます、そうするとこちらも日本語で色々話をします。(特に夏場)
毎日のように逢えます。
黄色い花、オホーツクの海岸地帯で野生の植物でセンダイハギと云います。
ピンクもあります。(タニウツギ)
白い花、エビネチドリ(野生の植物)と云う花です。
花が終わってもその姿でいて、取り除きません、枯れたままにしておき、そうしないと自然にはなりません。(そこがガーデニングと違うところです)
新鮮な花と対照的になり、枯れたものがあることによって、今咲いている花が更にみずみずしくなります。
ここは馬の背中みたいな場所でそこを畑にしたので、雨が降るたびに良い土が流されて痩せこけてきてしまいます。
家は貧乏で私は5人兄弟の長男でしたが、小学校の4年生の時から家まで天びんで水汲みしていました。
小学校の4年生は成長してゆく時期なので、その時期に身体を鍛えることになりました。
花売りをするときに天びんで売り歩いたが、これが原点になりました。
小学校5年生から中学を卒業するまで野菜を町に売りに行きました。
中学2年に野菜と一緒に蓮華つつじを3本だけ売りに行きました。
先祖が岩手で岩手は蓮華つつじが原産地でした、そこに従兄がいて、父が苗を貰った。
両親とも花は好きで蓮華つつじを植えて居ました。
売れないかなあ思っていたが、或る人からいくらだといわれたが、いくらで買ってくれるのと言ったら、結局野菜一カゴ分よりも高く買ってくれました。
花は軽くて高く売れると言うことで、それからこれをやろうと、決めました。
中学2年の時に将来を決めなければいけなくて、花の商売をやろうと決めました。
よそにないものを作ろうと思いました。
行き詰まって困窮して餓死してしまうのでは無いかなあと思ったことは何回かありました。
しかし、それを支えたのは花が好きだったからだと思います。
この6月に62年になりますが、続けられたのは水汲みで足腰を鍛えたこと、根性を鍛えたことだと思います。
吹雪の日でも水汲みをして、続けてきて、どんなことをやっても生きているうちはやり続けるという信念、根性が育ったと思う。
だからこの場所も大事にしています。(昔を思いだして嗚咽が漏れる)
ブルーの忘れな草、こういうかわいい花は心を引きよせられます。
母親の背中におぶさって病院に連れて行かれる時に、ピンクの植物が咲いていて、片言で花、花と言ったそうです。
コサケシモツケを持たせてくれて、病院で注射をしても泣きながらそれを離さなかった。
家に帰って来ても寝るまでそれを離さないでいたと、時々母親から言われました。
ここが一番最初に観光公園として作りだした場所です。
蓮華つつじが一面に咲いているが、秋までずーっと花が咲き続けます。
蓮華つつじだけで6500本有ります。