2017年7月17日月曜日

豊竹呂太夫(文楽太夫)      ・【にっぽんの音】

豊竹呂太夫(文楽太夫)      ・【にっぽんの音】
5月29日に6代目豊竹呂太夫襲名披露公演を行ったばかり。
文楽とは、人形浄瑠璃、人形使いが居て、太夫、三味線の3つの仕事から成り立っている。
私は太夫として、メーンステージの右手に小さなステージがあるが、そこに三味線師さんとともに、舞台の進行を義太夫節と云うものでナレーション役、登場人物のせりふをみんな一人で語るという役です。(基本は一人)
どこに合わせると云うこてゃなくて、阿吽の呼吸で同時に演技すると云うことです。
文楽、淡路国出身の初世植村文楽軒と云う方が座主だったと云う時代が結構有名で、文楽というふうになった。(文楽=人形浄瑠璃)

豊竹英大夫(とよたけ はなふさだゆう)と言われていたが、段々呂太夫と云う名前に慣れて来ました。
人間国宝のおじいさんも呂太夫を名乗っていました。
文楽人生は今年で50年、20歳でこの道に入りました。
祖父が太夫でもあったし、5代目から声も大きいし、大夫にならないかといわれた。
当時ははやらない芸で、やる気はなかった。
小石川高校に通っていて東大に行きたかったが、2回落ちてしまって、小説家になりたいと小説ばっかり読んでいた。
環境も変えたいと思って大阪に行って、祖父の弟子の竹本春子太夫の内弟子として入りました。
その時期があったから今があると思います。

日本の音、三味線の音ですかね。
文楽、江戸時代の庶民が聞いた言葉をそのままやっていて、何を言っているのか判らなかった。
目指していたシュルレアリスムだと思って、小説と同じ世界だと思ってしばらくいようと思いました。
古典芸能と云うけれども、初めての体験ですのですごく新鮮でした。
古典芸能は観に行く機会がなかなか、ないのではないかと思います。
最近はお客さんが入って来るようになりました。
橋下市長が文楽の予算をカットすると言ったので、逆に良い波としてきました。
これからが大事だと思います。

*侍の「笑い」実演
狂言の笑いは 小笑い、中笑い、大笑いの3つしかない。
文楽ではいろいろある。(写実的)
男、女、侍、おじいさん、おばあさん等全部一人でやります。
口伝で勉強していきます。(体で覚える)
いくらテープで聞いて居ても、眼の前で言われると勘違いしていたことが判ります。
ソウルミュージックは大好きです。(魂が語っている)
舞台前では音楽は聞かないです。
今まで無我夢中でやっていたが、この2,3年、大きな役を与えられると1日6時間7時間勉強しなくてはいけなくて、薄氷を踏む思いでやっている訳で、そうすると見えてきたものがある。
今までばらばらであった骨が、むすばれてきて、骸骨の形になってきた様な感じです。
先に明かりが点ったような感じです。
思いっきり軽くやると云うような、そういうイメージがわいてきました。

狂言は仏様の教えだったり神様の教えだったりと云うものが根付いている演目だとおもっていて、狂言を見てもらいたいと云う先に、狂言は人をあやめていいと云うことではなくて、最後は許す気持を持ちなさいと云うメッセージ性でもあるので、狂言を見てもらいたい先に、人間もっとゆっくり行こうよ、穏やかに行こうよと云うメッセージをみんなに伝えたいと思ってやっているんですが、文楽はどうでしょうか?(能楽師狂言方 大藏基誠)
本当に人に仕える、本当に人を愛するのは命がけ、命をも辞さないのが、ほんとうに人に仕えるのではないかと思います。
人を愛すると云うことは本当に命を掛けると云うテーマが文楽の中に流れていると思います。
究極の愛はいのちを捧げる。
夫の全てを愛する、夫がもし愛人が居ても愛人ごと夫を愛している。
夫もきっちり仕事もできるし、不条理の中にあって本当の愛はこうだよと、人を許す。
人を許す事は一番大事だと云うこと。(狂言と同じですね)
一番得をするのは許してあげること、そうすれば自分が楽になる。
日本の芸能にはなんかそういうものがあるのかもしれない、だから名作として残っている。
祖父は物凄く情熱で語り続けていて、祖父の語りの1%でも目標にしていきたいと思っています。