2017年7月22日土曜日

岩根順子(三方よし研究所 専務理事) ・ 近江商人の商いに学ぶ

岩根順子(三方よし研究所 専務理事) ・ 近江商人の商いに学ぶ
かつて近江を本拠地に全国各地で商いを展開したのが近江商人です、八幡商人、日野商人、琵琶湖の東の湖東商人など、今の滋賀県から生まれた商人達のことで、その経理理念は売り手よし、買い手よし、世間よし、の三方よしの精神だったといわれています。
近年企業の倫理が問題になる中、その近江商人の経営理念を学ぼうと、滋賀県内で研修を行う企業が増えています。
そんな三方よしの精神を広げようと活動しているのが、滋賀県彦根市に拠点がある、NPO法人三方よし研究所です。

三方よしは昭和10年~20年に急に広まった言葉で、近江商人が共通の経営理念として考えていたのが、三方よしといわれ、売り手によし、買い手によし、世間によし、三つをまとめて商売するのが一番大事だと云うことでした。
中村治兵衛が孫にいい伝えたことを書いた巻物があります。
自分の商売を子々孫々に残してゆくためにはこういった心がけが必要だと云う事が書かれています。
以前県庁の仕事をしていまして、近江商人の事についてのイベントをすると云うことで、手伝うことになり、近江商人の考え方を滋賀県の産業おこし、街作りに生かしていこうと云うプロジェクトでした。
全国各地の近江商人の足跡を調べて、平成3年の世界あきんどフォーラムを迎えました。
記念品を作ろうと、滋賀大学の小倉栄一郎先生に『近江商人の理念 近江商人家訓撰集』を作っていただきました。

小倉先生が講演とか本で紹介していて、近江商人の理念を本にして三方よしがトップに出ていました。
堤清二さん(セゾングループのトップ)が新聞で素晴らしいことで学ばなければならないということ言っていました。
そういったことから急速に広まりました。
近江商人あきんど委員会を発展的に解消しようということになり、もったいないと云うことでNPO法人をたちあげ啓蒙運動を始めました。(会員30名+賛助会員30名ぐらい)
世界あきんどフォーラムを迎えるにあたって、江南 良三さんが本を作りたいと云うことでそれが「近江商人列伝」と云う本でした。(反響がすごかった)
近江商人をルーツにしている企業としては伊藤忠、西川産業、高島屋、日本生命、東洋紡など他にもたくさんあり、初代豊田自動車の社長の豊田利三郎さんは彦根藩士の方で豊田家に婿入り、住友鉱山の広瀬 宰平さん、伊庭貞剛さんも滋賀県の出身です。
全国にある近江屋と呼ばれるのもそうだと思います。

海の国(琵琶湖)、道の国(街道が一杯走っている)、仏の国(比叡山延暦寺)この3つの要素が沢山の商人を生んだ源泉ではないかと話しています。
最澄の「利他」と云う言葉、それがイコール「三方よし」じゃないかと思います。
近江商人が長い時間を掛けて理念を積みかさねてきたんだと思っています。
信長が安土に城を作って楽市楽座を作って、商売の源泉を作りました。
幕末に成って来ると先進的な藩主が出てきて、百姓をやりながら暇なときは他のことで稼いでもいいと云う御触れをだしています。
そういう人が繊維を紡いだりとか、よそから仕入れたものをよそに売ったりしていました。
東北には手形なしで行けたという特権があります。
近江は87万石で半分は彦根藩、膳所藩であとの半分はほとんどお殿さまが複合している。
山形の紅花を持ち帰って京都でべにに変えて売りに行くと云う、「諸国産物回し」という商売をしていました。(ニシン、昆布、アワビとか北前船を使っていました、そして肥料にしたり綿業を盛んにしていて、行きも帰りも商売する)
本宅は近江において、あちこちに商店を設ける。
よその国で商売するので、その藩としては面白くないので排斥しようと云う圧力があり、他国で商いする時にはその土地の人の気持ちをくみ取って商売する、いい加減な商売はだめ、高く売ってはだめ、という風な商いをした。

秩父事件が起きた時、大きな店は全部略奪されるようなことがあったが、矢野喜兵衛さんところだけはなかった、事件から50年前に天保の大飢饉のときに殿様の命令ではなくて矢野さん自身で布施米を出しました。
そのことが地元の人にずーっと云い伝えられ地元の事を思って商売しているということで、秩父事件の時にもあそこには手をかけてはいけないと云うことになったらしい。
この土地のために何か役に立ちたいと云うことで塚本 定右衛門さんは山梨に植林をして100年たって素晴らしいヒノキの山に成っているらしいです。

伊藤忠兵衛さんは「商いは菩薩の行」と云っていて、利益はこちらから設けてやろうという事では無くて、高望みするのではなくて、成る様になると云う考え方だと思います。
近江八幡、西川利右衛門さん、「先義後利栄」と言っている、いい事を先に施しをすると利益は後から付いてくる、そして栄える。
豊郷小学校 土地、建物を寄付した。
当地出身の豪商・薩摩治兵衛をはじめとする有力者から寄付金を得て、校舎を新築
丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎が学校の新築費用の寄付を申し出、2代目校舎が建築された。
自分の家を建てる時にも、世の中が不景気の時に自宅を普請すると云う事が良くあった様です。(そのほかに橋の普請とかもいとまがありませんでした)
若い人にこの現実を良く知ってもらいたいと活動しています。
民間の経済団体が多いですが、婦人会の方が近江商人の奥さんはどのような暮らしをしていたのかと云う問いがありました。
近江商人は単身赴任だったんです、上り口に男の下駄を並べていたり(亭主はちゃんといます)、奥さんは読み書きそろばんを指導したり、人事権を持っていて、仕事ができるようになったら出店先に送り込んだりします。

三方よし研究所では、今年から講師養成講座を設けました。
堅実に企業存続させて行く時に何が必要か考えた時に、社員のための会社に成っているか、それがあって始めて相手さんが満足していただける、そういう関係が持続することによって社会が潤ってくるのではないかと、今振り返る時期ではないかと思います。
先人の工夫を改めて見直されています。
日本は長寿企業が多いので、海外からの研修があります。
企業の歴史が少ない中国、韓国、台湾が多いです。
月に2~3社来ます。
一番大きな世間と云う輪の中がうまく収まる様に二つの物(売り手よし、買い手よし)が調子よくリンクして行くという、そういうふうな社会になればいいと思うので、本来の世間よしと云う考え方を広めて行く必要性があるのではないかと思います。
いい事は密やかにする、そして自分がやったと威張らない。