天野安喜子(鍵屋15代目花火師、国際柔道連盟審判員)・夜空と畳に華咲かせ
花火が打ち上がる時にかかるおなじみの掛け声、玉屋、鍵屋は共に江戸時代に名をはせた花火店の名前ですが、今もなお商売を続けているのは鍵屋だけです。
天野さんはその鍵屋の15代目を2000年30歳の若さで襲名しました。
天野さんは花火師として多忙を極める一方で、女性審判員のさきがけとして、2008年の北京オリンピックや今年の全日本選手権など大舞台にも立ち、審判員としても活躍しています。
7月、8月は花火の打ち上げが忙しい時期で、6月は安全に対する対策を主催者と協議したり、花火がきちんと思うようなものが出来ているかどうかの確認作業だったりします。
火薬に火を付ける時には、集客するのでもっと対策があるのではないかと神経をすり減らしているところです。
江戸川区と、市川市で見られるので合計で139万人の集客を誇っています。
音楽を入れたり新しい要素を取り入れたりしていますが、私は一番「間の取り方」を意識しています。
鍵屋の場合100%、遠隔操作で打ち上げを行っていて(電気点火)、コンピューター制御と、手動制御があり、コンピューター制御は事前にプログラミングするので、穏やかな中で間を取ってしまうので、私が手を振りおろすと手動制御で瞬時にボタンを押す、間の取り方を自由自在に行うようにしています。(300回近く手を振ってやっています)
視線は花火の筒口の方を見ています。(花火そのものはあまり見られません)
春先に試験打ちをしたりして、花火の組み合わせ、薬品の付けくわえ方など、想像しながら試験打ちしています。
物語性を醸し出して舞台として打ち出しているのが鍵屋の特徴かも知れません。
同じ様なピンク色でも表現により主催者側と協議しながら決めていきます。
人の心を動かすには人が生み出さないといけないと思っているので、童心に帰ったような気持ちでやります。
花火の特質は、色、形、光、音(リズムを含め)あるが、私が一番魅力を感じているのが音で、音の演出をすると迫力が見ているお客さんに伝えることができる。
花火の置く位置で船の上と土の上では若干音が違っていて、船では鉄板をはじくような音に成り、土だとドスンというような低い音に成る。
①地面から出るときの音 ②上空にヒューというように上がって行く音、③花火がさく裂する音 ④花火自体が持っている音 4種類あるので工夫を凝らして音を楽しんでもらう。
小学校2年生ぐらいの時に「私パパみたいになる」、と云ったようです。(記憶にはありませんが)
花火師としてまた柔道も館長をやっていて父がカッコよかった。
母からも「父はかっこいい人だ」と言われ続けました。
仕事としては父親、女性としては母親という身近に目標がありました。
継いだあとから人柄まで見られるようになり、人間性を磨かなければいけないんだと云うことでプレシャーを感じ始めました。
職人さんとか信頼関係が結ばれていると自分のことはどうでもよくなってくる。
機縁との背中合わせの現場なので、トラブルが対処できるようになって、職人と意見を交わしたりして来てからは、自分の角がとれたと思います。
自分の目標として人より3倍は動くと云うことを決めていました。
子供を育てる事によって、自分も成長して大きな視野の中で相手を捉えるられようになりました。(35歳以後)
いい信頼関係を得られるようになりました。
初代が1659年に店を開いて、代ごとに何かを残しているので15代目も何かを世に残せよと父から受け継ぎました。
父は遠隔操作の手法を、13代は本を残すとか、その前は色々形、色を付けるとかやってきました。
花火を芸術の面で研究、大学院に行って博士号を取る。
今までは花火師がこの花火良いんですよと云う文献は多かったが、見ている側がどういう印象を持ったかの研究がなされてなかった。
このリンクによって花火の音から迫力を味わうとか、美的感覚とか、心理的部分と花火の特質を結び付けるような考察をする事が出来ました。
柔道の審判員としてオリンピックとか全日本選手権とかで畳に上がっています。
一階は柔道場になっていて父が柔道場を開きました。
私は第一期門下生になり、福岡国際女子柔道では銅メダルを貰うことが出来ました。
ハングリー精神が理解できなくて、練習を決まったメニューしかこなさなかった柔道の選手時代を過ごし、私がやっている以上に私が戦う選手はさらに練習しているんだという恐怖ということを知らずに過ごしていました。
それがあったからこそ今の自分があると思います。
妬みはかなりのエネルギーを使うのでその無駄なエネルギーを自分を生かすためのエネルギーに向けるべきだとか、恐怖だったら潔く真っ向勝負していれば後悔ではなくて違う新たな道を進んでいこうという勇気に代わってゆくので、柔道生活を送ってきてよかったと思います。
柔道を止めるころに女性の審判員も育てたいとの話があり、審判員へのきっかけになりました。
S,A,B,C級のランクがあり、Cから始まりその都度筆記試験、実地試験があります。
アジア圏から推薦されインターナショナルの試験があり、世界ジュニアの大会にエントリーしていただいて、世界ジュニアの大会、次に世界選手権、それからオリンピックになっても競技中ずーっと試験をさせられていて、一握りの審判員だけがファイナルブロックで決勝を裁けるようになります。
お陰さまで男子重量級の主審を仰せつかりました。
審判員は裁く仕事ではあるが演出をも一種担っている部分もあります。
瞬時の判断と勇気が必要で花火との共通性があると思います。
嬉しかったのは「天野先生にしごかれて負けるのなら悔いはない」、とおっしゃってくださる監督、コーチがいると云うことと、主審は天野審判員と言われたときに、「それだったら間違いない」とおしゃって頂く、信頼されていることが嬉しいし、公平に期待にこたえられるような審判員に訓練を重ねていかなければいけないと思います。
今出来きることイコール今やらなければいけないことでしょうと、押しているような感じがします。
辛い経験をしてきたからこそ今がある、雑草の様に生きるという言葉が人への感謝の気持ちを忘れてはいけないという言葉に自分のなかの美学が変わって、年を重ねるといいというのは本当なんだなあと思います。
そういった変わらぬ自分に対して一応は〇印をつけてあげたいと思います。
15代目としてはリズムを含めた音、魅力的だった、面白かったといわれる花火師になりたいと思います。