おーなり由子(絵本作家) ・目にみえるもの、みえないもの
52歳、「幸福な質問」、「あかちゃんが笑うから」等、だれもがいやされ微笑んでしまう、おーなりさんの絵本はどのようにして生まれたのでしょうか。
今回のステージでは作品を朗読で紹介しながら、おーなりさんに大きな影響を与えた故郷大阪茨木市での出会いや作品に込めた思いなどを伺いました。
「モーラと私」 モーラはソーセージのような形をしたピンク色の生き物で目と口、細い4本脚としっぽを持っています。
「モーラと一緒にいるとうれしい。私とモーラは友達だもの。
モーラは或る日忘れたキャラメルみたいに私のポケットに入っていた。・・・・
家に帰ってミルクをあげた。・・・バナナは大好きみたい。・・・
モーラはお父さんとお母さんからは見えない。だからご飯の時モーラが隣りに座っても気が付かないの。・・・・
モーラはいつも面白いことを思いついて私を笑わしてくれる。・・・
モーラは言葉が喋れない、嬉しいと泣く、悲しいと泣く。・・・
モーラは時々眠れない夜などに夜を飛び越えて空を飛び越えて私をそこに連れて行ってくれる。・・・
私は温かい草の上をモーラところころ転がる、光みたいに。
私はモーラのお腹に足を載せていつの間にか眠ってしまう。・・・
モーラ、モーラずっと友達。・・・
或る時夏のキャンプから帰ったら、モーラがいなくなっていた。・・・
あの緑の野原に遊びに行ってたんだって。・・・
もうモーラは時々しかやってこない。・・・
私の小さな現実に綺麗な野原を見付ける。
そして嬉しいこと悲しいこと、同じように抱きしめながら尊敬する大人や恋人、沢山の人とめぐり合う。・・・
大人になっても私はモーラのことを忘れない。
多分もっとたくさん歳をとっても。」
茨木市は大事な人もたくさんいるし、懐かしい思い出も沢山あるし、自分の根っこを育ててくれたような場所です。
人前で話すのが得意ではなく、余り出たくないと思っていました。
モーラはどの人の心の中にもある自由な場所に連れて行ってくれる、小さな生き物と云う感じです。
自由な場所は絵本の中では野原になっています。
1965年大阪市に生まれて、8歳の時に茨木に引っ越してきました。
絵と詩を書くのが好きでした。
本にして自分の絵の世界を作っていました。
小学校5年生から3年間子供の漫画教室に通いました。
近所に浮田要三さん(抽象画家)が住んでいて、絵のことを見てくれたりしました。
道に長く絵を描いて母親に怒られて、浮田さんの家に謝りに行ったら気に入っていると言ってくれて、気持を見抜かれたような感じがしました、判る大人の人がいると云うことの体験が大きかったです。
井上直久先生 高校の美術部の顧問の先生。
宮沢賢治が好きな先生でした。
茨木市をイバラーロというふうに絵を描いていた先生です。
眼の前にあるものを面白く見る、日常の見えるものに魔法を掛けるようなことで、物の見方が豊かに広がって行くような感じを学びました。
高校2年生の時に少女漫画誌に応募して入選する。
翌年 入選作 「路地裏の風景」で漫画家デビュー。
京都の大学に進学、美術学部で学びながら、漫画家として書き続ける。
1990年25歳で結婚、茨木から東京に引っ越しをする。
「言葉の形」
「もしも話す言葉が目に見えたらどんな形をしているだろう。
例えば美しい言葉は花の形、・・・・恋によって色は変わるのかなあ。
きっぱりとした声ならオレンジの花、静かな声なら青い花、優しい声は桜色・・・
誰かを傷付ける言葉が針の形をしているとしたらどうだろう。
話すたびにとがった針が口から発射されて相手にささるのがみえたとしたら。・・・
刺さった場所や血の滲んだ傷口まで見えるとしたら、言葉の使い方は変わるだろうか。
だけど厳しく傷つけるような言葉でも、それが大事な忠告だった時には見分けがつくとしたらどうだろう。
例えばそんな言葉は木の実の形をしていたら、投げつけられた時は痛いけど、拾って育てたら実ることもある木の実。
観て直ぐ分ったら素直に受け取ることができるだろか。
恋人がささやく愛の言葉はどんな色や形をしているだろう。・・・・
虹色に光ってパチンと消えるシャボン玉?・・・
もしも言葉が目に見えたら、楽しい言葉はタンバリン、悲しい言葉は冷たい水滴。
自分を立派に見せるための言葉が、すぐに光をうしなって砂のように枯れて行くのを見るかもしれない。・・・
黙っているという言葉の裏側に豊かな森が広がっているかもしれない。・・・
私の話す言葉はどんな形や色をしているだろう。
誰かを守るためについた嘘なら、それはきっと静かで柔らかな毛布になり、涙を笑い飛ばす言葉は光る入道雲のように明るく湧いて雨のあとの虹を作る。
短い正直な言葉が心の湖の深い場所にすーっと差し込む透明な光のように。・・・
毎日消えて行く話し言葉のむこうの心の形を探す。
大切な人に花のような言葉を届けることができるように。
届いた言葉が木漏れ日の様に笑いますように。」
誰かと話した時に心の中にとどまっている言葉は忘れられない言葉はあります。
「なにがどうっちゅうことはない」と父がよく言っていました。
無事に生きて居るんだから、他の小さな事はどうでもいい、と云うような感じ。
「言葉の形」は絵よりも先に文章が出来ました。
夫は、絵本作家のはたこうしろうさん。
2005年長男誕生、中学1年になります。
「抱っこ」
「抱っこ 抱っこ 一杯触っているといっぱいかわいくなってくる
抱っこ 抱っこ 抱っこしていると思っていたら抱っこされていた
小さい指が私の背中をギュッと掴んで、子供の腕の中は私で一杯」
「くっつく」
「昨日は頭のてっぺん、おとといはお尻、このあいだはおでこだったっけ
寝て居る時、身体のどこかが私にくっつていると安心している赤ん坊
今朝は足の裏 小さい足の裏がパスっと私の頭を蹴っ飛ばして私のあごのすぐ下に
そうしてでんくるりんとさかさま 今はお尻突き出してスースー眠っているよ」
「お母さん お母さん お母さん 声がする・・・・」 (涙ぐんで言葉がつまる)
台所にいてもお風呂場にいてもトイレに入っていても服を着替えて居ても
お母さん その声が何度も何度も夕方に溶けて行く
お母さん 怒った声で言う
お母さん 泣きながら言う
お母さん 跳ねるように言う
お母さん お母さん お母さん 呼ばれながら私はお母さんになって行く」
「赤ちゃんが笑うから」
「私が嬉しい時、赤ちゃんが笑う 私が悲しい時 赤ちゃんが笑う
私が心を心配事でいっぱいにしている時、赤ちゃんが笑う
母さんは弱い、時々凄く弱くなる
お乳をあげながら不安はあちこちからこぼれおちてくる。
悲しいニュースを見るたびに世界は土砂降りのように感じられ、未来は何処までも灰色の雲で一杯で、何処までも何処までも 何処までも何処までも
そんな時バアーキション 大きなヘンテコなくしゃみ
赤ちゃんから大人見たいなくしゃみが出て私は正気にかえる
そうだった、世界は何時だって始まったばかり
生まれてきた子供達は言う、これから生きて行く世界をひどいと決めつけないでよ
僕らを弱いと決めつけないでよ
僕らは生きたい、僕らは愛したい、僕らは触りたい、僕らは感じたい
登り坂でも下り坂でも僕らはいっぱい遊びたい。
土砂降りの中で歌おう、がれきを蹴飛ばし歌おう
そうしてトランペットのようなおならがぱんぱんぱんと鳴り響いて、雲を吹き飛ばすと新しい空の幕が上がる。
噴水みたいな光を撒き散らして、子供達が笑う声 赤やんが笑う声
ねえねえ 何もないのにどうして笑ってるの
嬉しいことあるよ ここに全部あるよ ここに全部
うれしいことは抱っこ 嬉しいことは胸の中 嬉しいことは朝の匂い
嬉しいことは暖かな日だまり 嬉しい事は優しい声
手 柔らかい小さい手 その手が触れるとどこからか光る泉が不思議な強さであふれてくる
弱いかあさんの胸にもあふれてくる
ほら ほら ほら ほら ほらここに私を抱きしめてくれる小さな手
嬉しいことあるよ 全部ここにあるよ」