2017年7月4日火曜日

前田耕作(アフガニスタン文化研究所所長) ・憎む心を捨て、祈る心の再生を

前田耕作(アフガニスタン文化研究所所長)・憎む心を捨て、祈る心の再生を
1964年名古屋大学のアフガニスタン学術調査団の一員として初めてバーミアンを訪れました。
そのあとこれまでにアフガニスタンのほかに、西アジア、中央アジア、南アジアの古代遺跡の実地調査を行ってきました。
現在は主にアフガニスタンに関する文化研究を進めるとともに、バーミアン遺跡の保存、修復の事業に参加してきました。
失われた文化財の復元や返還運動など文化外交に取り組んできたお話を伺います。

21世紀はきっと平和な世紀になるだろうと大きな期待をしていただけに、爆破、テロが絶えないと云うことは非常に痛ましい現状を嘆いています。
断食月にはよい行いをすれば天国にいけるということでしたが、そういう時期に爆破、テロが行われたりして、かつてはありえなかったことが事件として起きており、イスラムの人ですら意外感を抱いています。
世界の人の心の荒廃がかなり進んでいるなあと実感する事件です。
寛容さのない世界に進んでいるような気がします。
20世紀は大きな大戦を二つやって、ようやく人類は戦争を克服できる機会も得たが21世紀は全く異なった方向に進んでいる。
和解、許しが必ずしも人類共通の課題として認識され、深める方向に行っていなかったということを裏付けるものであると思います。

2001年バーミヤン大仏の爆破事件、ショッキングでした。
タリバン政府によって二つの大仏を爆破した映像が送られて強烈な衝撃をうけました。
爆破の後にユネスコの召集を受けて現場に行きましたが、他の大仏も破壊されていました。
壁画の7割がはぎとられて破壊されたりしていました。
日本の税金で拠出されているユネスコの日本信託基金があり、平山郁夫先生がこれを使ってアフガニスタンの戦後復興に役立ててほしいと云う強い提言があり、2003年から進めました。
民族紛争は止んだわけではなくて、公式的には現場には立ち入れられなくなって、ここ3年ほどは情報だけは得て居ると云う状況です。
再生はほとんど難しいと直感しました。
戻しうる技術は持っていると思って、戻すことを決意しました。
2003年にパリでバーミヤンの復旧作業について国際的な合意を取り付ける会議があり、ユネスコの事務局長が松浦晃一郎さんで松浦さんが主導して、平山先生がユネスコの親善大使でしたので、イニシアティブをとって、復興に取り組むことに決めました。

文化財が海外に流出してしまいました。
カーブル博物館が破壊されて多くの物が国外に流出しました。
アメリカの考古学者ナンシー・デュプリー(Nancy Hatch Dupree)がパキスタンで流出を止めるという運動をして、日本に流れ着いたものは日本で止めて、平和になった時に返還して、文化復興の活力のもとにしたいと言う思いがあり、日本でもおこなわれました。
102点、東京芸大に保管されて、昨年アフガニスタンの黄金展で、東京芸大の天井画の再生と、保管品の日本での姿を見ていただきました。
平山郁夫先生のように深く文化財を愛する情熱がないと、できないことだと共に働いてきて感じました。
2016年に東京芸大で開かれて展覧会で、破壊された天井画、太陽神が復元された。
バーミヤンで破壊された東大仏、西大仏の天井画は世界的に傑作だと言われた大壁画が、これは法隆寺の壁画と或る意味文化の流れで繋がっていた壁画が存在していたが、完全に消えてしまった。

日本ではその間にたくさんの写真、スケッチをしてきたので、そのデータを持っていたのは日本だけだった。
東京芸大の宮迫先生と話し合って、復元が出来ると決断されて、印刷技術、デジタル化するデータ、写しの技法などを組み合わせれば、かなり実物に近づいた壁画の再生は可能だとやりながら結論を出しました。
それを展示したところ大変な反響がありました。(新し生命を吹きこんだ再生だった)
日本だからこそできた貢献だった。
平山先生はシルクロードに大きな思いを載せられたのは、小学生時代の広島の被爆体験の外の傷と同時に内面に傷があって、それをどういうふうに生涯を掛けて越えていくのかというのが先生にとって大きな課題だったと思う。
晩年になって初めて生き地獄の火炎に包まれた広島の絵を描きましたが、題は「広島生変」新しく生き返すという想いがあった。

日本文化を育てたものは何かというものに眼差しを投ぜられて、それが先生のシルクロードに向かわせて、スケッチの山を築いた。
シルクロードの文化が日本の文化の分母にあたり、日本文化はさまざまなものを学んだ一つの分子として素晴らしい達成をしたという考えで、いつか恩返しをしないといけないと云うのが平山先生の考えだった。
2002年西安のユネスコの会議でシルクロードを世界遺産に登録しようと云うことになる。
国境を越えて文化遺産を包括的登録する、このことこそ平和を根付かせてゆく第一歩ではないかというのが平山先生の考え方だった。
中国、キリギス、カザフスタンが遺産を同時に登録すると云うことになった。
シルクロードへの関心が薄らぐなか、平和構築という点においても重要な事柄ではないかと思うようになり、その対策として検定、それを通して世界と日本の関わり、古代における特別の意義を再びよみがえらせることが出来るのではないかと思いました。

検定は9月に実施しようと思っていて、中学生から高年齢の人までを対象にしています。
平山先生が亡くなって8年になりますが、作品が残っていてそれが生き続けて居ています。(平山郁夫シルクロード美術館は山梨に有ります。)
文化に対する情熱、温かい広い心が先生が残された遺産だと思っているのでそれをつないでいくことが、先生の理想であった世界に平和を根付かせることに繋がるんだろうと思います。
心の養生がとても大事だと思っていて、長く内戦が続いて、荒れたものが癒されてゆくきっかけがない。
経済支援に依る生活の向上だけでは達せられない。
文化を通して心の養生を行い、寛容な心に転換させてゆく重要な心の糧、それが文化で、文化でしか果たせないと思っていて私たちは実行したい。

壁画を元の位置に戻したい、できない物を保存して、博物館のようなものがあると見に来る機会があり、文化に深く接することが出来るので、平山先生は博物館の建立を望んでいました。
経済支援、文化支援がよりあわされた支援として提出されてこないと、特に戦火の止まないところでは有効性は発揮できないと思います。
アフガニスタン文化研究所は一つの文化を中心として、アフガニスタン支援をどのようにして実現して行くのかをテーマとして作った研究所なので、その人たちが支えてきています。
バーミヤンも見学者が増えてきて、入場券の製作にアフガニスタン文化研究所が関わって渡しました。
一歩一歩無くしては再生行為はないです。
平和は心の養生によってこそ実現できると云うことに関して決してぶれない。(平山先生の心の願い)
教育、人材育成は大事で、日本に連れてきてと言うことではなく現場で共に働く事、それを大切に守りたい。