松原仁(公立はこだて未来大学副理事長)・鉄腕アトムに憧れて~AI(人工知能)と歩んだ道
最近AI(人工知能)いう言葉を良く聞くと思います。
学習をしたり、推し量ったり認識をしたり判断をしたりといった人間の様な知能をもたせたコンピューターシステムのことです。
データを蓄積して状況に応じた適切な対応を選択できると云うものです。
コンピューター将棋、車の自動運転等AIが大きな役割をはたしています。
そんな人工知能研究の日本における第一人者が函館にいます。
公立はこだて未来大学副理事長で人工知能学会の前の会長の松原さんです。
57歳、東京出身、東京大学大学院を卒業後、電子技術総合研究所に勤務、2000年から公立はこだて未来大学に赴任してAIの研究をリードしてきました。
AIに短編小説を書かせて、文学賞の選考を通過するなど、まるで映画のような未来を現実のものにしています。
鉄腕アトムにあこがれて研究の世界に入ったんですが、かつては人工知能研究に対するアレルギーが理系の中でさえ存在したといいます。
平坦ではなかった研究者人生を振り返って頂くとともに、AIが私達の暮らしにもたらすものについて語っていただきます。
1959年に東京で生まれました。
1963年に日本初のアニメ、鉄腕アトムが始まってそれを非常に喜んで見ていました。
天馬博士が自分の子供が亡くなって替わりに鉄腕アトムを作ったが、成長しないのでサーカスに売り飛ばすが、お茶の水博士が引き取って正義の味方として育てる。
何故か天馬博士が好きになりました。
小学校低学年の時には極々普通の目立たない子供でした。
母親が本好きで、本を買うと云うとこづかいを出してくれて、本好きで育ちました。
TVは30分しか見られなくて、鉄腕アトムは貴重でした。
将来はエンジニアになりたいと思っていました。(ロボットを作る博士)
星新一さんのファンになって、全作品を読みました。
中学に入って数学だけは勉強しました。
フロイトの本を読んだが、何か良く判らないが、意識とは何かというような内容でした。
アトムは心を持ったロボットで、心とはなんだろうと、そのあとの人工知能にも繋がったと思います。
中学の時に将棋も好きだったので将棋の研究もしました。
1977年東京大学に入って、コンピューターの勉強を始めて、最初から将棋のプログラミングをやりました。
人工知能は人間がどう考えているか、人間の心はどうなっているのかを学ぶもので、人工知能が自分のやりたい事ではなかったのかと思いました。
人工知能のブームが3回あり今が3回目です。(1、2回目は期待外れだった)
私が始めたころは1回目のブームの後で冬の時代でした。
井上博允先生、ロボットの第一人者で研究テーマの最後に人工知能と書いてあった。
井上先生の研究室に入ることになりました。
最初に言われたのが、君は人工知能をやりたいと言っているが、僕は判らないからと言われました。
アメリカは人工知能の研究が進んでいて、人工知能の研究室があって楽しそうだったので、もしやりたいと思う学生がいたらやらせてもいいかなと思ったら、君が引っ掛かったと云うようなことを言われました。
君は自習したまえと言われました。
他の研究室にも人工知能に関して興味のある学生がいて、そのメンバーで勉強会を2週間おきに勉強しました。
当時日本には人工知能に関する物は無かったので、英語の論文、英語の本を読む。
中島秀之さん(元学長)、片桐 恭弘さん(今の学長)、など10人ぐらいでした。
2回目のブームが来るが、そこが唯一の勉強会(あいうえおの会)で、85年頃には100人ぐらいに急に膨らみました。(その頃学会が出来ました)
井上先生からは将棋のことなどは表に出さず、ロボットのAIと云うことで研究しなさいと言われました。(夜に将棋のプログラムをこつこつやっていました)
86年に電子技術総合研究所(つくば市)日本で一番人工知能研究者が集まっているということでそこ行きました。
研究所に入っても3~4年ロボットのAIをやっていました。
30歳になった時にそろそろ将棋を公式に研究題材として始めました。
将棋の本の購入などには苦労しました。(研究のためのものなのかどうか)
2010年~2015年ぐらいにプロ棋士に勝つと書いていました。
当時は絶対にそんなことはないと周りでは言われていました。
日本初の世界標準を作ろうと思いました。
何にしようかということから始まって、野球、サッカーなどがありましたが、サッカーは
世界で最も人気のあるスポーツなので始めた。
1997年第一回世界大会を名古屋でロボサッカーをやりました。
目標を立てて、2050年までにワールドカップ優勝チームに勝つ人間型ロボットチームを作る、という無謀と思われるかもしれませんがそうして始めました。
ロボット同士を無線でつなぐが、サッカー場だといろんな無線が飛び交ってるので無線がとどかなくて、動かなかった。
毎年やっていて、今は40~50カ国でサッカーロボットの研究をやっています。
災害救助、ロボットがマネキンを探す。
二酸化炭素を出すようなマネキンがあり、それは生存していることになる。
ロボカップで、当初は日本のロボットが強かったが、最近は外国のロボットが強くなってきています。
観光、農業、漁業、共同での研究開発、沢山のデータから学習するのが得意なのでデータがほしい。
地方都市はデータから近い。
定置網は環境に優しいが、どの魚が入っているか、あげてみないと判らない。
メジマグロ(小さいマグロを取るとペネルティー)を取る前に知りたいと云う事があり、魚群探知機を取り付けて実際にどんな魚がどれくらい捕れたか、大量に毎日データを取って、コンピューター学習させることによって、或る程度網を上げる前に魚の種類が判るようになってきました。
もう一歩進めようとしていて、メジマグロがこれぐらいいるから今回は網を上げないとか、メジマグロが少ないから網を上げると云うように指示できるようになって来ると思います。
人工知能の研究は、考えることとは、心とは、感情とはどういうこととかを考えることなので、人間を考えると云うことなんです。
人工知能は道具なので、仲間として取り入れて、その技術によって仕事の内容が変わると思います。
実社会は範囲が区切れないので人工知能には解けないので、人間の出番だと思います。
人工知能を人間が上手く使いこなして、より良い社会が実現されることを祈っています。