吉沢久子(家事評論家・エッセイスト)・今が一番幸せ
今年白寿を迎えた日本の家事評論家の草分け的存在、吉沢さんはお姑さんと御主人を看取った後、33年間一人暮らしを続けています。
ニュースキャスターだった古谷綱正さんのお兄さんで、文芸評論家だった御主人の古谷綱武さんと元外交官夫人だったお姑さんからは、目に見えない素敵なプレゼントを沢山いただいたと言います。
その最も大きなプレゼントが自由気ままな時間を一人占めできる、一人暮らしだと云います。
閑静なところで向かいの隣の家が谷川俊太郎さんの家で、 曾孫が出来たそうです。
主人が亡くなってから、33年間一人暮らしを続けています。
一人暮らしは素敵で、自分が思った通りに暮らせてこんなに快適なのかと思います。
夫からものを買ってもらったことは一度もないですが、言葉ではいろいろ残してもらいました。
自分の生き方を考えることになり、言葉のプレゼントだと思います。
「人は一人では生きられない、みんなと一緒に生きていくものなので、それを考えて生きなさい」といわれました。(一人誇らしげに生きるなと云うような事)
友達関係を残してくれたりもしました。
昨日も数人集まって一緒にご飯を食べて、勉強会をやっていました。
人との繋がりは本当に大事だと思います。
「美しいもの綺麗なものはどんな小さいものでも見逃すな」とも云われました。
花だけではなくて、人の動作、言葉なども暖かかったりするとハッと感じます。
自宅で咲いた小さな花を飾っています。
「人が死んだらだれも言ってくれないぞ」といわれました。(言ってくれるうちが花)
「人の言葉をちゃんと聞け」といわれました。
「言葉を大事にしろ」といわれました。
お姑さんからは「この年にならないと判らないないことがたくさんある」といわれました。(身体の事とか、昨日できたことが今日はできなくなったとか)
「今日を大事にしなさい」と云うことなんですが。
最後まで毎日お化粧をするし、朝晩違う着物を着てきたりとか、外交官の奥さんの生活をしていました。
朝ご飯が出来ましたと云うと、「今行きます、有難う」と自然に出てきて良いなと思いました。(有難うと云う感謝の言葉の素晴らしさが自然と出てきていた)
言葉に出すと云う事が大事だと思います。(日本人は言葉に出すと云う事が下手)
人間は自立しなければいけない。
自分の生活を自分で律してゆくことが自立だと思っていまして、食事でも一人になるとめんどくさくなってコンビニに行って買ってきたりするが、自分が大事だと思ったら身体を大事にしなければならないので、きちんと作って食べる、それも自立の一つではないかと思います。
小さな事の積み重ねだと思います。
自分の足で立って、自分の頭で考える、そういうものを生涯持って生きたいと思います。
自分で決めたことは自分でやります。
畑をやっていて今は菜っ葉が沢山あり、青汁にして飲んでいます。
紫陽花が咲いて、その時に何をしないといけないか、虫干ししておこうとか、衣料を風に当てておこうとか、花に教えてもらい家事をやります。(家事暦)
萩が咲けば冬仕度とか。
犬は大好きですが、散歩に連れて行ってやれないので、今は飼えません。
メダカを飼っていましたが、白鷺が来て嬉しいと思っていたら、メダカも金魚も居無くなってしまいました、食べちゃいました、それが自然界ですね。
白鷺町という地名がありますが、昔は沢山いたんでしょうね。
歳をとると変な事にこだわって頑張っている人がいますが、ちょっと良くないと思いますね。(外が見え無くなって来る)
年寄りの冷や水と言いますが、若かぶることをすると失敗が多いんじゃないでしょうか。
97歳まで病院に行ったことがなかったですが、変だと思って病院にいきましたが、貧血と云うことで時々輸血をして貰ったりします。
人生の下り坂での喪失感と云うものはないです、その時その時で楽しみ方を知っているので、下り坂の風景もなかなかいいものだと思っています。
昔は落ち着いて見る暇がなかったが、暇が出来てゆっくり見られるようになったのも歳を取ったお陰だと思います。
下り坂の風景は落ち着いて見られるし、しっかり見られます。
失ってゆく機能を嘆いていてはいけない、生きていけるし、文明の利器(メガネ、補聴器など)も一杯あるし、その中で感謝して生きていけば面白いです。
断捨離、いらないものを持つ必要がないので普段からそうしていればいいと思います。
大事だと思ったら取っておいてもいいと思います、自分を大事にしているものは何かと思ったら、必要だと云うものはあると思います。
昔、新聞に連載を書くことになったが、肩書きが必要と云うことで家事評論家ではどうかと言われて、それでも良いかと思いました。(家事評論家第一号と云うことだそうです)
文章を書くことは昔から好きでした、速記もやりました。
台所の戦後史を書きたくて、戦後変わったのは台所でした。(場所、道具など)
台所の歴史と女性が繋がっています、それを書きたかった。
自分で何かあった時に連絡先とか書き残しておくとか、普段から誰かに言っておくとかは必要だと思います。
献体はしている(40年前)ので、処置は考えてあるので、なんかの連絡がつけばいいと思います。
遺言も書いてあります。
生き方は死に方でもあるし、どういうふうに死にたいか、その後の自分のことを多少は考えておかないと他人に迷惑をかけるので。
葬式はしないと云う風にしています。(夫もそうだった)
だれにでもそういう日は来るので、その時人には迷惑をかけないようにしたいと思います。
今のところ本当に幸せです。
歳を取ったら幸せになりたいですね、それはその人の思い方で成るんでしょうね。
著書「ほんとうの贅沢」、「人間、最後はひとり。」、「ひとりの老後は大丈夫?」・・・