2013年10月23日水曜日

大庭照子(日本国際童謡館館長、歌手)・小さな木の実、大樹に育て

大庭照子(日本国際童謡館館長、歌手)   小さな木の実、大樹に育て 
昭和20年小学生になった大場さんはラジオから流れてくる童謡を聞くことが大好きな少女でした
4年生になると熊本のNHK熊本児童合唱団に合格、高校でもコーラス部、大学ではクラシックを勉強して、プロの道を歩んできました 
昭和46年NHK「皆の歌」での「小さなこの実」が評判と成り、大場さんの人生を変えてゆきます
「小さな木の実」 大樹に育て   伺います

水前寺公園の近くで生まれた 
近くに動物園があり、戦争の時に象が殺されたのを覚えている
NHKラジオが戦後どのように、如何に童謡を聞くためにどんなに憧れていたか、今のアイドルのあのエネルギーよりもっと強かった
昭和32年大きな荷物と大きな夢を持って、横浜のフェリス女学院短期大学音楽科に入る
クラシックを勉強する  母親の想いを託された
人間向き、不向きがある
教育は甘やかすという事は大きな間違いだと思う    親も先生を尊敬していた

シャンソンコンクール、加藤登紀子さんが脚光を浴びて、コンクールで2位になるが、ここに生きる場がない(昭和43年 30歳)
2位で親から叱咤されて、「皆の歌」なら顔が出ないので、歌った
「小さな木の実」 昭和46年 大ヒット曲になる            教科書に載る
スクールコンサート 全国の小学校、中学校、高校、養護学校、盲学校、ろう学校などを回って、童謡等を歌ってきた   
和歌山県では1月、生活していた、1日2回   3,000校を越えている 
老人施設でも歌う

昔と今の子供の違いは?  
子供は子供昔も今も変わらない 環境が違った
30年前も子供たちの自殺が多かった時もある
命の大切さを歌った歌  シャボン玉  
野口雨情が娘を亡くして悲しみの中で作った詩
赤い鳥運動 この事を知って社会運動としてやってゆこうと思った
「からす」 替え歌しか知らない子がいた 
 本当の歌を知って感動したとの話をしてくれた

「長崎の鐘」 自分は被爆者であり、いろんな体験をして、上から目線で子供達に教育していたのではないかと、非常に反省している 
大場さんの歌声で長崎の鐘を歌っていただくと、、もっと深く子供達に伝える事が出来るのではないかと、これから是非長崎の鐘を歌って欲しいとのリクエストを頂いた
作詞したサトウハチロウの兄弟が亡くなっている
平和の歌として長崎の鐘は大事にしたいと思った
先生方が苦労されているが、根幹は家庭ですね  
マスコミがちょっとでもいいから、素晴らしい教育をしている学校だとか、地域を紹介、報道してほしい

平成6年 日本国際童謡館をバブルの時でもあり、4億円かけて設立する 熊本県阿蘇
大失敗はしたが、ソフトは生きていると思う
自分一人でやりすぎたことは深い失敗だったが、之が童謡の社会運動に物凄く役立っている
骨を折って入院しているときに、全部自分が間違っていたことに気がついて、それで、全部恨みが無くなり、解放された
童謡館を改めて動かすべく、話しあいを進めている
歌い手を育てる事が大事なので頑張っている      
音楽事業をバトンタッチする人も出てきている