2013年10月30日水曜日

やなせたかし(漫画家)       ・やなせたかし、アンコール放送 2

やなせたかし(漫画家)     やなせたかし、アンコール放送 2
アンパンマンの誕生の前の仕事、戦後日本広告会の第一回のポスター展が三越であった
応募したらデパートの部で第一位になった
生意気な態度があって、落とされたが、同郷の人に救われて、三越に入ることになった
包装紙に三越の字を書いてほしいと、包装紙デザインの人から言われて書いたが、未だに使われている
漫画の投稿もやって、入選して仕事も頼みに来る人もいて、月給の3倍程度になり、会社を辞めた
家もその時に建てた 妻も共働きで働いていた
ビールの王様 CM漫画を書いた  
原稿料もよくこれが独立の一つのきっかけになった

永六輔が突然現れて、大阪で「見上げてごらん夜の星を」のミュージカルをやるので、舞台装置の担当をやってくれと言われて、舞台装置はやった事は無いと言ったら、大体は私が教えるからと言って大阪に行くことになる  
そこでいずみたくとも知り合いになった
その後も舞台装置を頼まれるようになったが、お金にならないのが判った 
収入0になってしまいそうだった
佐野さんがきて、TVに構成をやってくれと言われる 
テーマソングを作ることになり「手のひらを太陽に」を作った 作曲をいずみたくにたのむ
歌手は宮城まり子に頼む  NHKの「みんなの歌」で歌われるようになる
教科書にも掲載されるようになり、現在でも歌われると云う事になる
結構印税が入ってきて、詩をその後も作ったが、売れなかった

何もやっても一流では無い 漫画、詩をかいても一流ではない
「アンパンマン」の歌は残っている
優しさがある  「生きる」という言葉が入っている  
生きることは大変なことではある、大事であるが、自分の命を粗末にすることは我慢が出来ないから、生きることは凄い大切なんだと、「生きる」と言う言葉がほとんど全部の歌に入っている

TVで漫画学校の先生役をやる クイズ番組だった 
そこで最初の3分間時間を貰って絵の書き方をやっていた 
その番組でバーで突然持てるようになった
手塚治虫さんから電話がかかってきて、「千夜一夜物語」をやるので、きてほしいといわれて、キャラクター作りをやり、意外とすらすらと出来て、面白かった
アニメの社会に入って行った   
いまでも一番不思議なのは宮城まり子さんが舞台構成を頼みに来たのかわからない
「ガード下の靴磨き」を歌ってヒットしていた  
リサイタルをやるのでステージ構成をしてほしいと電話が来る(最初のリサイタル)

羽仁進さんから電話がかかってきて、シナリオを書いてほしいと頼まれる
何人かの人にラブストーリーを書いてほしいといわれ、その中からこれで行きましょうと、私のが選ばれることになるが、シナリオを書くことはやったことは無く、シナリオの書き方の本を購入して書くことになる
妻からよくないといわれ、5回書き直して、OKとなる
シナリオの勉強もさせてもらった
80歳になってから、ミュージカルをやることになる
大和田りつこ、岡崎裕美さんがコンサートをやっていて、20分のミュージカルをやるので、書いてくれと言われて、其れが評判が良くて、全部ミュージカルにしようと云う事で、作、演出をやる事になるが、どっか隙間風があり、そこを埋めようとするが、埋めるために人を呼ぶとお金がかかってしまうので、自分でやることになる(歌う事は作曲もする事になる)
面白くなって、ステージで歌うとは夢にも思わなかった

ミッシェル・カマと云う名前で、作詞、作曲とした(やなせたかしだと軽く思われると思って)
ステージに出ると何故か元気になる
去年 腎臓を片方取る(初期の癌だったが)  歯の上の方が腫れてきて、切開
癌が膀胱に転移していて、9個有った物を電気メスで切り取る
今のところは完治しているが、再発の可能性が無いとは言えないといわれる
今度だした本の帯には、「86歳、僕の人生はこれから始まる」と書いてある
これからは、チャリティーとか人を喜ばせることをやっていきたい、病気の子供を慰問するとか

人に優しく、権力には媚びない、何よりも人生は楽しまなくては駄目 
歌の歌詞にも出ている

亡くなる数時間前まで、病室で仕事の打ち合わせをしていて、周りのだれもが又帰ってくると信じていたという事です
天命
90歳を過ぎてから、天命という言葉は口癖のように言っていたから、之は周りの人は遺書ではないと云っているが、天命と言う詩の中に生き方があらわされているような気がする

「天命」  やなせたかし
見覚えのある絶望の岸 ここまで何度か追い詰められ、助からないと思ったが、
奇跡的に九死に一生何とか生き伸びてきた  
生きとし生ける者には天命がある 
もはや無駄な抵抗はせぬ
ゼロの世界へ消えて行くのでござる  
拙者覚悟はできているから、焦らずしばらくお待ちくだされ

亡くなる前、病室で
「神様、仏様  ありがとう、 ありがとう、ありがとう  
皆さん  ありがとう、 ありがとう、ありがとう」
と口癖のように言っていたそうです

心よりご冥福をお祈りします