上田篤(建築学者) 縄文の心が時代を蘇らせる
昭和5年生れ 京都大学、大阪大学、京都精華大学などで、教鞭をとってこられました
昭和45年には大阪で開かれた大阪万博のお祭り広場の、設計を担当したほか、京都の町屋に注目して、町屋ブームに火を付け、各地の町造りに携わってきました
5重の塔の研究をし、超高層ビルの建築に貢献されています
世界の文明に関心を持ち、とりわけ縄文文化の歴史的意味の解明に取り組んでこられました
縄文時代の豊かで平和な暮らし方に、今学ぶべきものがあるのではないかと考えています
縄文時代は桃源郷だったと思う
1万2000~3000年前から始まっている 1万年続く
縄文時代の1万年は大分詳しくわかってきている(世界史の中でもほかに例がない)
毛皮を着て、やりを持って走りまわっていたような様子をイメージしているのですが、一口に言って野蛮人であると、然し、高度経済成長での開発で、日本中あちこちから遺跡が見つかってきた
縄文時代の生活が浮かび上がってきた
一番問題は文字がないという事
文字が無いのにも関わらず、生活様式はかなり進んでいた
文字中心の歴史と言うものを見直さなくてはいけないと思う
国家が無くても、衣食住が1万年間ほとんど変わらず続いてきた
大阪で昭和45年に万博が開かれた
最初広場を造ってくれと言われた(お祭り広場)
万博ではかつてないこと、工業製品を売るためのものだが、工業博、しかしお祭りをするという事は文化博になちゃった
丹下健三さんと私が受け持つことになる 私は地上の建物、地下の建物を担当、丹下さんは空中の、大屋根を造った(幅150m、長さ300mの屋根を6本の柱で支える)
真中に穴があいてるが、ここに岡本太郎さんの彫刻を造ることになる
岡本さんに之は何ですかと言ったら一言「これは縄文だ」と言った (太陽の塔)
それが私と縄文との出会いだった
日本の住まいを勉強してきたが、日本の住宅は外国の住宅と、どれも似ていない特殊な住宅
日本人は靴を脱ぐが、ほかは土足で入ってくる
家の中に日本では神棚、仏壇がある
神様、仏さまの住まいをかたどったもの
家の中に教会のミニチュアとかは飾って無い
これらが長年の疑問だった
結論を私が出したのは、日本の住まいは神様の住まいで、そこに人間が入り込んだのではないか、とおもったが、では神様は何だという事になると判らなかった
20数年前、沖縄へ行って古い家の調査をしていたときに、住まいの一番奥に、炉があって、炉の管理を主婦が行う
まさに神様のように扱っている 火の神様だと、太陽からやってくると、太陽の子其れが火だと、その火の神様を祭るのが主婦の仕事だという
風習は沖縄で何百年の昔から続いていた
「おもろそうし」歌集 万葉集の様なものがある
歌に火の神様の歌が出てくる
2500年~2700年前に稲作が入ってくる
稲作以前が縄文時代、その後弥生時代になる
沖縄は縄文時代が遅くまであった
沖縄は縄文時代の風習なんだなあと、思った
追い求めていた家の神様が、縄文時代にひょっとしたら、本土の家でも縄文時代にまでさかのぼるのではないかと思った
神棚、仏壇 神様は聖なる世界 そこに俗なる人間が入り込んで、一緒に生活して、無礼千万な事は聖なる世界では許されない
聖と俗は全然空間が別だと、言う事ががーんとしてある
日本は家の中が聖と俗がごちゃごちゃにあるが、決していい加減にあるのではなく、しっかりとしたシステムがある
家にいろりがあって、いろりの奥に聖なる何かが置かれているケースが多い
入口は南側に在り、玄関は特殊な扱いをしていた
玄関を入った真下のところに不幸にして死んだ子供たちが、埋葬されているケースが多い
玄関に当たるところは特別な意味があると思われる
縄文時代は母系制社会だった
主婦は炉の灰も一緒に持ってきている(実家の灰)
日本の古い時代も、母系制社会であったかもしれないと思うようになった
世界中の住宅の調査をして、アメリカインディアンの住まいを調べた
イロッコイ族について詳しくわかってきた
縄文とまさに同じ、本格的農耕はやっていない、文字も無し、然し非常に豊かな生活をしている 小さな集団
家は大家族 血縁社会でお互いの結束が固い、内部で争いがない
若い男女には伴侶がないので、男はほかの家に求婚に出かける(つまどい)
生れた子供は、全部その女の家の子供になる
男は滞在しても、短期間(自分の子供かどうかわからない) 父は確立していない
母系社会では父は存在しない
縄文時代もそうだったのではないかと思う 大家族だから平和に過ごせる
白川村 合掌作りの家 大家族 30~50人が住んでいる
白川村を調べると、縄文時代までさかのぼる 縄文時代から住んでいる
母系制社会だから、団結して、争いがない 平和に1万年続く
弥生時代には縄文時代より全然短かったのに、戦争がいっぱいあった
縄文時代はテリトリー争いがなかった
食生活は 草を取る、木の実を取る事は簡単だが、大きな魚をとる、獣を取ることは大変
やな、うけ 急流に段差を作っておいて、駕籠のように編んだものを置いておいて、駕籠で捉える
落し穴を作っておいて、獣を取る、知恵仕事をして食料を取っていた
(弓矢などの狩猟方法もあったが)
季節ごとの食料があって、貯蔵しておく必要がないので、他の大家族、他の人々が攻めてこない
争い事は無い
採集形態 原始的に思われるが、知恵で以って人々は生活してきた
大体半径3kmぐらいのテリトリー 「里」と呼んでいるが 女の人でも自由に動ける範囲、四季折々の食料を取って生きていける
採集→狩猟→農耕→工業→情報産業 と言われるが、採集は知恵のいる仕事
父系制は 古墳時代から 奈良時代は父系制確立(実態は母系社会なのではと思う)
正月のおせち料理 山海の珍味 ほとんど縄文人が食べて居たものと同じ
餅も里芋の餅があったといわれる
貝は何時でも食べられるので、いつも取っているかと言えば、そうではなくて、大方4,5,6月ごろに食べられている なぜなら、一番おいしいから、旬だから
ご来光を拝む 縄文の信仰 太陽信仰はどこにでもあるが、全然違う
日本では女たちが太陽を観測していた、1年の季節が判る
天候を観測 太陽を実用の道具にしていた
Jappan Jを大文字で書くと「日本」 jを小文字で書くと「漆」の事
漆の国と言われているが、縄文遺跡から漆が発屈された
5000年、6000年、8000年前の物が発屈されている
漆の技術は縄文時代の技術と今と変わらない技術だった
鍋物料理 火にかけて皆で共通の鍋から突っつく 火の信仰の残り
大切なことは、父性原理と母性原理の違い
よい子は我が子 誰に後を継がせるか・・・父性原理
我が子は善い子 全部平等 優秀だろうが、不美人であろうが差別しない・・・母性原理
父性原理は競争原理になる 進歩、淘汰、争いも起きる
母性原理は平等原理 平和がくる
奈良時代は律令制度が入ってくる、明治維新では西洋の父系制度がドンと入ってきた
父性原理で社会は進歩するが、動乱、戦争が起きる
弥生時代は戦争が多かった 奈良、平安時代 も同様
鎌倉、江戸時代は母性原理が働いた時代
明治で戦争がまた起きるが、復興、高度成長経済、バブルを経て、父性原理(競争原理)から、また母性原理が働き始めた様に思う