2013年10月1日火曜日

室井摩耶子(ピアニスト)       ・ピアノは私の元気の基

室井摩耶子(ピアニスト)    ピアノは私の元気の基
大正10年 東京生まれ 6歳からピアノを始め、昭和16年東京芸術大学を卒業後研究科に進み、昭和20年 23歳の時にピアニストとして、デビューします。
昭和31年モーツアルト生誕200年記念祭に、日本を代表として、音楽の都、ウイーンに派遣され、第一回ドイツ政府給付留学生として、ベルリン音楽大学に留学後、26年間海外を拠点に演奏活動をしてきました
「人は最後の時を迎えるまで成長、明日は今日よりきっと幸せ」 をモットーにしています
85歳から始めたパソコンとデジタルカメラを趣味に、92歳を迎えた今も、1日4時間、ピアノに向かい、年に数回はピアノトークコンサートを開く、と云う室井さんに伺いました

ピアノを弾くにはエネルギーを必要とする 肉体的には大丈夫だが、練習は5,6時間になると、集中力が無くなる
楽譜は、そのまま弾くのと、それではちょっとどうにもならない音がある
演奏家に依って随分と違ってくる  
楽譜は優しいが、ただ音を出すのと、ベートーベンの音楽的な意志を出すのではちょっと違ってくる
ピアノを始めたのは、あの頃は稽古事を始めるのは、6歳6カ月6日が良いという説があった
父が買ってくれたのが最初です
両親は音楽家ではない 父は工学関係でラジオの製作をやっていて、母は普通の専業主婦だが、私が生れた1年後のころに、1922年、アインシュタインが来日したときに、慶応大学の講演を聞きに行っている(好奇心の強い人だった)

父は新しいアイディアが好きで、時計を使って、ラジオがつくように、と言う事を考えていた
20歳のときに、卒業して研究科に進み、23歳のときにピアニストとしてデビューする
NHKのソリストとしてデビュー 日本交響楽団 戦争中だった
1945年に東京大空襲があった  3月10日は浅草  1月は銀座がやられた
ウイーンに派遣される  日本の音楽などまだほんの始まりで、自分の演奏に不満だった
何かに欠けているように自分では感じた
ヨーロッパに行きたいと云う感じは、常に思っていた
1956年にヨーロッパに行かないかと言われ時には、是非行きますと飛び上がった

35歳、モーツアルト生誕200年祭 行ったら、音楽会議と言う名目で、来たのは皆おじさん、おばさんばっかりだった 一流の人々が盛装してきていた
私は着物を着て行って凄く持てた    当時日本人の音楽家は珍しかった
なんで日本人がベートーベンを弾くんだというような感じだった
ドイツでは世界150人のピアニストとして取り上げられた
(ピンとこなかったが後で凄い事だと思った)
1982年 61歳の時に決断して、日本に帰ってくる 
ドイツの生活と音楽間の生活がバックに在るが、生活を見ているとドイツ人は凄く自分自身の考え、自分自身の生活を大事にしている
自分自身の考えで成長していかなければいけないと言う感覚が物凄く強い
そういう生活様式を見ると、人間と言うものがいつも成長していなければならない
演奏会では毎年、名演奏家が変わってくる
自分はやっぱり自分自身をしっかり作っていかなければいけないと云う事で、61歳のときに、外国にいるとやっぱり外国人で、甘えが出るので、自分の生活も甘やかされているところがあると思って、日本に帰ってくる

ピアノを始めて80年を越える    
いろんな曲を100回以上弾いているが、一度とても上手くいったとしても、その次に弾くときに譜面を見るが、其時にベートーベンはこんな事で、こんな音でこんなことを言っていると、新しい発見がある
32番ソナタはとっても難しくって、最初に音楽理論でいえばおかしな出始めがする
お釈迦様の涅槃だという
それで私は宗教と言うものが、人間の悲しみと言うものに、どれほど深く食い込むかという事を、覚りましたね
其れがずた袋なんですよ  いろんな経験をその袋に中に入れて、取っておく
そうすると32番ソナタを弾くと、之はあれだけ人間の心の中に沁み込む悲しみなのだと判るわけです
向こうの人はよく、何にもしないで演奏をしろと言うが、よくわからない(無心というもの)

ピアノの極意は、、宮本武蔵のハエつかみだと、聞いた事があるが?→
吉川英治の本を読んだことがあるが、無心で力を抜いてと云う事はよく言われる
よくよく考えてみたら、宮本武蔵が飛んでるハエを箸で捕まえると云うところがでてくるが、捕まえる瞬間、瞬間の動きはピアノの何にもしていないのに通じる(身体に力が入っていない)
瞬間にこういう音を出さなければいけないか、瞬間がつかめる
そうすると、涅槃がどういう悲しみであって、そういう時はどういう音がほしいのか、ベートーベンがどういう音がほしかったのかが判ったら、それにエイっと掴んでゆくわけです
「人は最後の時を迎えるまで成長、明日は今日よりちょっと幸せ」
「明日は今日より幸せ」と言うのはちょっと違うが、明日は今日から成長している自分をみたい
自分を見たときに、悲しみとはこういう事なんだと、発見する
発見はそれまで知らなかったことの裏返し  この喜びは嬉しい

「辛い経験も歳を重ねれば、宝物」
旋盤工として勤労動員されていた時もあった 病気にも何度か患う
87歳のときに、肺がんを宣告された   発見されたのが演奏会の2か月前、2か月してから手術したらいいかと言ったら、先生に怒られて怒られて
腱鞘炎になり、半年弾くことができなかったが、無理をして何とかピアノを始めた
肉はよく食べる ドイツに行ったときに、寮の人たちが夜7時ぐらいから、12時過ぎまで踊っていたりするが、翌朝はけろっとしている
おかゆなどを食べると緊張感が1時間程度だが、肉を食べるとそれが4時間続く
値段は高いが、ひれ肉でないと駄目 100g食べている 

パソコン、デジタルカメラ 85歳から始める  好奇心が旺盛ですね
これから発見によって何が出てくるかわからないので、まだまだ発見していかなければと思っている
「頭陀袋」 今までの経験を沢山詰め込む  もともとは昔の坊さんが修行のために、各家を回ってお経を読んでいたが、感謝の意味を持って頭陀袋にいろんなものを入れてくれる
頭陀袋にいろんな経験を沢山詰め込むと、段々発酵してきて、素晴らしいお酒になってゆく
人間が豊かになることは事実なので、頭陀袋にいれてゆく