2013年5月5日日曜日

高野仁一朗(元高尾山森林パトロール隊長) ・高尾山に集う子らと共に

高野仁一朗(元八王子森林パトロール隊長) ・高尾山に集う子らと共に
山形大学工学部を卒業後、家業の織物業を継ぎましたが、昭和40年代、全国的な繊維不況で家業を閉じました  その後保険代理店を経営し、八王子青年会議所に入会してから、八王子森林パトロール隊と拘わるようになりました 
八王子森林パトロール隊は青少年に郷土の緑を守り育てる心を養い、自然の中で心身を鍛えてもらおうと、1967年に八王子市青年会議所が始めたもので、昨年45周年の式典を行いました
高尾山のゴミ拾いから始まった活動はキャンプや緑化、自然保護など多彩にわたり、全国的に展開されている緑の少年団のモデルになったといわれています
高野さんはこの八王子森林パトロール隊が結成された初期からかかわってこられました

最近は腰を痛めたりしているので、控えている  年間260万人が来る
ミュシュランを取った事が大きい  高尾山の魅力  都心から足の便がいい 修験道 信仰の地
温暖帯の植生がある  それを求めて野生の生物がいる 自然観察にも貴重な山  標高599m
ハイキングコースがいくつかある  早いと40分ぐらいで行ってしまう
小さい子供たちには自分との戦いになり、良い経験をする

八王子森林パトロール隊にかかわって40数年になる  昨年45周年記念大会があった
友達の紹介で青年会議所に入る 40才で終わりとなるが38歳のときに入会した
卒業年度になった時に青少年委員長をやれと言われた  
それは八王子森林パトロール隊も兼任する様になっていた
山歩きなどしたことが無いので、子供を預かって行うという事は、大変な事だと思って、その時の隊長に頼んで、一緒に山を歩いてもらった  そうしたらどこからかヤッホーという声が聞こえた
隊長は遭難者だといった  
けもの道を下って道が判らなくなっていた それを救助した  そんなことがきっかけになった
昨年感謝状をいただいた  青年会議所は社会に貢献することも方針の一つになっている
判らないながらも一生懸命やっているうちに、周りからも助言があり、進める中で「海の子は山へ、山の子は海へ」という方針が打ち出された(日本商工会議所会頭から)

これまでに1500人の方々が活動してきた  現在85人ぐらいの隊員がいる 小学校4年生から八王子市内の学校から募集  卒業された方が青年隊員(高校、大学生でも残る人がいる)
今の子供は付き合いの範囲が狭いので、社会に出たときに大きなプラスになると思う
いかのコミュニケーションを取るかとかいろいろ経験できる

月例会 その日のテーマに沿って 清掃活動 害虫駆除 動物に餌をやらないようにとの呼びかけ 道票の補修とか をやっている
給餌台を造ってやったら、鳥はそこを縄張りにしてやるので、自分のテリトリーになるので必ず餌をずーっとやらなければいけないので、気まぐれでやってもらっては困るといわれて、失敗したことがある(マナーがあるので来られる方は、学んでいただきたい)
隊を組んで山を縦走したときに、喘息の子(私だけが親から言われていた)がいたが、私が何も指示しないのに、周りが荷物を持ってやったり、後ろから押してやったりして、皆で助けてやってくれていた

発足当時、高尾山はごみが散乱していた  崖一面に缶ジュースが転がっていた
あまりにもごみが増えて、おおきな屑籠を設置 カラスが突っついて更に散乱してしまう
捨てる人がいるから汚れるので自分のゴミは自分で持ちかえるようにすればいいのではないかとごみの持ち帰る運動を展開する(思ったよりも反発は無かった)

全国的に展開される、緑の少年団のモデルになる
サマーキャンプ、月例会 元日の迎光祭 山頂に国旗を持って行って式典の幕開けとなる国旗を掲揚する(12月31日から山頂に行く)

八王子は織物が盛んだった  昭和40年ごろになると繊維業界は衰退してくる
着物を着るという需要が無くなってきたので父の仕事を続ける事はできなくなってしまった
青年会議所に入った事が八王子森林パトロール隊との出会いとなる
草花の乱獲がまだある 珍しい花があると、写真を撮るのはいいが、持ち帰る人がいる
自然から学ぶという事はこちらから学ぼうという気持ちがないと学べない(大事なこと)