西脇久夫(歌手)・サトウハチローと私の人生
詩人・童謡作詞家・作家でもあるサトウハチローさんの誕生日 (5/23)生誕110年になります
今から約50年前サトウハチローさんの名曲 「小さい秋見つけた」をレコーディングして、大ヒットさせたのは、男声コーラスグループのボニージャックスです
この曲が大ヒットしたのをきっかけにボニージャックスは、その後、童謡や、唱歌、抒情歌の路線を進み、人気グループになったのは、ご承知の通りです
ボニージャックスのトップテナーの西脇久夫さんはそれ以来佐藤家に出入りして、サトウハチローをおやじのように慕うようになりました 生誕110年の記念の年に、親交の深かった西脇さんにサトウハチローさんの童謡はどの様な気持ちで歌っているのか、あるいはサトウハチローさんの人となりを伺います
ボニージャックスが「小さい秋を見つけた」の曲を、ある番組で見つけた これはいいなあと思った
ステージで歌うようになって、レコードを出したいという事で、話したら、NHKの記念番組のために伴くみこさん(昭和30年) 歌わせようとして、NHKから委嘱されて書いた詩だと伺った
この時にハチローさんが「長崎の鐘」をお書きになって以来、おとなの歌は書かないよとおっしゃって、NHKが子供の歌でも良いですという事で、これをお書きになったそうです
それからハチローさんの家に伺うようになった
昭和37年にレコーディングする その年にレコード大賞の童謡賞をとった
そのあと教科書に載るほどになった ボニージャックスの代表曲になってしまった
いつも炉端のまえで、ちゃんちゃんこを着て、チェインスモーカーで歯が一本欠けて、そこにタバコをひっかけていた
昭和33年にボニージャックスを結成した それまではスタンダードジャズを歌っていた
進駐軍のキャンプで歌っていた
「小さい秋見つけた」で賞をもらってから、抒情歌のボニージャックスと言われるようになるきっかけだった
ハチローさんがリサイタルにおいてメッセージを当人が読んでくれた
窓から外をみていたら、小さい空間のなかにも自分だけにも秋がある
本当は秋の初めではなくて、晩秋を歌ってるんだと言っていた(3番にある)
夏の終わりから初秋の頃だと思っていたが、実はそうではなかった
こんなに古くならない詩、曲は無いと思う 愛してやまない歌です いい歌は古くならない
中田 喜直さんが作曲 30年にできて 33年にNHKで伴さんが1回歌ったのを聞いて、それが良くて37年にレコーディングをした それまではハチローさんも、中田さんも忘れていたそうです
童謡を30曲以上歌ってきた 「空気がうまい」詩をいただく 飯田三郎さんに作曲してもらったりし ポンと詩を下さる
「モズが枯れ木で」 茨木の民謡だといわれていたが、実はこれはハチローさんが作ったものだと判った 「モズが枯れ木で」ではなくてタイトルなくて 「モズよ鳴くな」だった
「モズが枯れ木で鳴いている」 ではなくて「モズが枯れ木に」
「けれどもたんねいものがある」ではなく「けれどもたりねいものがある」
「鉄砲が涙で光っただ」ではなく「「鉄砲が涙に光っただ」だと言われた
レコーディングしてやりなおすわけにもかないので、ボニーが歌うんだったら良いだろうという事になる
童心 我々が観ていてハチャメチャな人だった 亡くなって40年(70歳) 生誕110年になる
母親に対する恋慕 ハチローさんは母親を慕っていた 、2万にもおよぶ詩のうち3千が母の関する詩である 14歳で親が離婚した 父と八丈島で暮らす
父から何十回となく勘当されてと言っていた
ハチローの詩にはメロディーを持っていた
歌謡曲から童謡へのきっかけは? 「長崎の鐘」は鎮魂歌(平和を求める) 弟さんが広島で被曝して亡くなる 前日に広島に入る 自分の中の体験を歌の中に入っている
青い空が詩の中にしょっちゅう出てくるが、青い空と言うのは先生が書く青い空は悲しいですねといったら、八丈島で青い空ばっかり見てたからなあとおっしゃった
「こよなく晴れた青空を悲しと思うせつなさよ」
母子の愛情とかをいっぱい詩に書いている これは愛情に飢えていたのではないかと思う