江頭宏昌(山形大学准教授)奥田政行(オーナーシェフ)・伝統野菜を守り育て味わう 2
伝統野菜はそれぞれどこのだれがどういう生き方でそれを持ちこんで栽培されるようになったとか、飢饉の時にその野菜を利用するために作り続けてきたとか、地域地域で生きてきてゆくための知恵とセットになっていることも多い
まったく新しい料理の世界がある
庄内の伝統野菜はだれもいじってないので、料理の常識ではないものをやっても許された、と言う事はある(他の地域では使っていないので、これを使ってやると、料理界の常識を覆すような料理を一杯作れた)
在来野菜と出会ったことによって、大学の先生とか文化人と友達になれた(奥田)
他の流通野菜にはない、ある種の癖、頑固さ、が伝統野菜にはある
自然界では苦味は 動物のためには毒と言われるが、苦味は食材の持ち味だと思ったので苦味を活かすような料理にしていった
ソースとかケチャップを使わないで、素材の良さを出そうとしてきた
オリーブオイルと塩を使っている(イタリアン料理のため)
イタリアンは戦いに明け暮れた国なので、保存食と新鮮なものをシンプルにスピーディーに料理すると、大きく二つに分かれる(共和国になったのは明治維新とほぼ同時期)
在来野菜 みずみずしさと香り (ソースを捨てた) 72度ぐらいのオリーブオイルで野菜をコーティングすると野菜の甘い香りが出てくるという事が分かった
口に入れるとオリーブオイルの膜がはがれて、食べて野菜が割れると初めて水がそのなかからはじける、 口の中の体温と出会って、野菜がいろんな香りを口の中に何重にも波のように、押し寄せてくるという、そういうところを狙って行った
講演は二人セットで行っている
2010年に辻静雄食文化賞第一回受賞者になる
庄内野菜にはかぶの種類がたくさんある
庄内で5種類、県内20種類ちかいかぶが残って伝えられている
山形県の人はたくさんのかぶを食べる 鶴岡市のほうやの書物の中に 「夏のさぶい年はかぶらまけ」という言葉が出てきた
米がとれない年は冬に備えて、カブの種を余計に蒔きなさいという事だった
かぶがどんなに優れている野菜かは丁寧に書かれていて、飢饉に役に立つ
寒くなっても生育が止まらずに、どんどん生育が進む コメが凶作だと判断できるのがお盆過ぎ
そこから収穫できる作物は少ない そばかかぶぐらい ひと冬越せる食べ物が確保できる
飢饉を回避できるようにかぶを大事に、命の保険として、食べてきたんだろうというのが私の結論です 丸い株もあれば大根のような株もあり いろもいろいろある かぶの王国と言っていい
あつみかぶが有名 焼き畑で作られる(窒素、リン酸、カリができる) 山間地で作られる
斜面で作られると水はけがいいので、カリッとした歯触りが出る
ほうやかぶは難しい野菜 火を入れると辛味、甘みがあり 歯ごたえがいい
ほうやかぶのピザ とっても美味しい 今まではせいぜい漬物、煮物にするぐらい
かぶは西洋種と東洋種があるが、庄内のかぶは西洋種になる
東日本は西洋種系(硬い 保存用に向いている 甘い、辛味もある)
西日本は東洋種系(柔らかい果肉 甘みが少ない 漬物用には向かない)
分布を調べたのが青葉高先生 かぶらライン(福井県から太平洋につながるライン)と呼んだ
そこを境に文化も違う
(奥田) イタリアのスローフード 世界大会に出場 スペイン 世界大会に2回
ダボス会議の政府主催の責任者に選ばれる(昨年)
庄内は今まで光が当たっていなかっただけだと思う(文化、食文化)
かなやごぼう(1mぐらいの長く、柔らかい 牛たんと合わせると美味い)
あかねホウレンソウ(根のところがメロンぐらいの甘さ)
和種のホウレンソウは根が赤かったが、病気に弱いとい言う事で、洋種系のホウレンソウに市場に流通している
県としても在来野菜に力を入れ始めた 「食の都 庄内」
在来作物をどうしてお金にならないのに作り続けてきたのかと聞いたときに、美味しいから作り続けたと言う事と 先祖代々伝わってきた種を自分の代で無くしてしまうのは、申し訳ないからという事もあった
今でも新しい、在来野菜が見つかる
じんごえもんいも (里芋) 室町時代から一軒の家で伝えられてきた
2005年 おじいさんが一人で作っていて、孫が会社を辞めて、弟子入りして地域を活性化しようと動いて、あれよあれよと言う間に広がった
後継ぎもないような農家に後継ぎができてきたり、していた