天野祐吉 隠居大学(養老孟司)
少年時代からの趣味である昆虫採集も熱心に続けておられます
人体研究の専門家そして自然観察の達人ならではの視点から現代社会の問題点を語ってもらいました
「バカの壁」をぶち壊せ評判の良い本が売れまして、大変忙しくなって、20年振りにお会いしました
東大をやめて、18年になる 花鳥風月のどれかを生活に取り入れたほうがいい
ゴキブリ 人間は親の敵みたいにしているが、不思議だと思う 害は無いし、殺したってしょうがない チンパンジーが同じ反応をする(ゴキブリを嫌うのはチンパンジー並み)
動物、虫が多いのは生きやすいという事(大手町とかは住みやすいのか?)
生きやすいのはいろんな自然が入ってきている方が生きやすい
心配なのは虫が全体的にどんどん減ってきている、それが心配
木漏れ日を見ていると、埃が見えるように、沢山の小さな虫が昔は見えた
ミミズも最近はみない 地面自体が少なくなってきている
最近は蟻の巣の生き物図鑑ができた 蟻の宝を初めて知った 女王が先ず巣を作るが その時に必ず蟻まき一匹くわえてくる いつもくわえてくるから蟻の宝と呼んでいる
一番好きな虫は何かと必ず聞かれるが、虫は物凄い種類がいる 一説には3000万種類と言われる 3000万 女性がいてどれが好きかとは、とても言えない
数万の桁では見ている 東日本と西日本では生き物は違う 糸魚川静岡構造線 あそこを境に生き物はかなり違う 昔は島になっていたが、それがくっついていた(その前は大陸とくっついていた 1000万年戻ると判る 富士山ができたのは8万年前
人体の展覧会 人は基本的にはほとんど水 いろんなものに置き換えると人間に近い形で残るので吃驚する
人の死体をいじることはタブーになっているが、非常に例外的なのはヨーロッパ、特にギリシャでは、解剖を紀元前にやっている
大量な知識が基本的にはアレキサンドリア図書館に入るが、図書館は焼かれてしまう
キリスト教が広がってくる過程で、古代の学問が消えてしまう、潰されてしまう
いずれ誰でも死体になる 誰がそれをかたづけるのか かたづける人の立場をあまり考えない
お産も同様 家ではしない 東京都では亡くなる方の92%は病院で亡くなっている
皆さん方は要するに仮退院なんですよ 病院から出てきて、病院に帰るんですから
江戸時代は両方違っていた 今が異常な時代だと思っている
自分が生き物だとか、自然だという事が忘れてしまう
タブーが増えてきている(昔は電車の中でおっぱいを飲ませたりしていたが、今は全くなくて、それを高級になったと思っている) ある意味で生きずらくなってきている
どんどん自然から遠ざかろうとしている ある意味いいとこどりになっている
子供は、カブトムシが死ぬと、部品くださいとか、電池ちょうだい とかになってしまう
この年になるといずれ死ぬなと思いますが、自分が死ぬという事はどういう事になるかと考える
と、俺関係ない という結論になる 困る私はいない
自分は要するに死なない 自分が死んだ時は自分にはわからない
困るのは周りの人 あんまり強調するのはあまり良くない 小学生が自殺する時代だから
彼らが、俺死んでも困らないと言ってたら溜まったものではない
だから親孝行と昔はきつく言ったんじゃないんですか
周りの人のためにお前生きているだろうって 今は自分のために生きてると思っている99%
の人が、たぶん
死ぬことは考えたら、なんと俺は自分のために生きているんじゃないと判るんですよ
自分にとって都合の良いように人間て生きてきて、でも結局なんかそれをやっていると、いろんな問題、ひずみは起きてきて最後は、結局 壁を作って安全化してきても(PM2.5とか) 入ってきてしまう 全部繋がっているので 虫も、放射能も 結局は繋がっている 引っ越して逃げるわけないは行かない
今の人は自分て、周囲と切り離されて生きていると思っている (それが暗黙の常識)
田んぼ観たら、あの田んぼはお前の一部だろうというと、なんで自分の一部なんだろうと思うが、できた米を食べて、最終的に自分の身体の一部になる 海も同様、魚を食べたり、いろいろ恩恵を受けている 環境という言葉を作っちゃうと、それを自分の周りと言う事になるので、裏に自分ができてきてしまう 大気汚染 自分の肺の中に入ってしまう
空気は無ければ生きられない 空気は自分自身だと思わなくてはいけない
身体もドンドン変わってゆく
自然にふれるチャンスはなるべく造った方がいい そこが人間の原点
世の中は厄介なところ 一切ないのが花鳥風月 人間世界の良しあしがない だから和む
動物を家で飼う事は自然との接触の一部 猫は勝手気ままに生きている 猫を飼っている人は、猫に自分を投影してあのようにできたらいいなあと思っている
石田せん 踏切が大好きとのこと 踏み切りを待っているのが好き 周りを見渡して普段みえないもの、花を咲かせている草とか、が見えてきてホッとするという (他のことを忘れる)
自分の身体を素直に動かしている人が少しいる 自分の体はこういうものだと思って動かし方を決めているが、きまりきった動きになっている
皆さんが考えている身体は幽霊 実態はありませんよ (ラマチャンドラン 「脳の中の幽霊」)
と言っている
最近のMRIで脳みそがどう働いているかが判るようになってきて、脳を使っているところには血が集まる(どうして昔の人は頭を付かってない人を血のめぐりが悪いといったんだろうなあと思う)
最近もっと驚いたのは人の顔色 人間、3種類の細胞を目の中に持っている(色に関して)
短い波長 中間波長 長い波長 短い波長は他の二つと離れている 3等分されていない
赤に近いほうの2つの波長は、人の顔色の変化がそこの範囲で一番良く分かる
顔色を見る と言うが 顔色は実は色ではない(赤とか黄色とか)
顔色 (色としては無視する) 顔色が色の基準 基準はゼロ
世の中 楽に生きるには そういうもんだと思っていたほうが楽(納得いかないことが多い)
コップに水が入っていてそこにインクを落とした時にしばらくすると色が消えてしまうが、どうしてかと、学生に聞いたが、(分子運動とかで説明してくれると思ったら) 「そうしたらそういうものだと思っていました」 世の中楽に生きるにはそういうものだと思った方が楽
どういう風にしたら頭を使わないで済むかを、学校は教えているのではないか
幾何とか、代数とか、やり方を教わったら絶対自分では解けなくなる、一切教わらないで自分で解くことによって一生忘れられない
他の事もそうで、そういうものだとは思わない様にしてきた
疑問のままに取っておくのは体力がいる(体がちくちくする)
自然を見ているとすぐには答えが出ない 不思議だなあと思って見つめるかどうか
男は二つの系統に興味がある 生き物系 と機械系
自分で作る か 虫取りとか
こんなに豊かになったのでもっと余裕をもって考えたらいいのではと思うのですが
(そういうもんだなんて考えないで)