横尾忠則(美術家) ・「隠居してますます」(2)
状況劇場 唐 十郎さんの「腰巻お仙」のポスター。
60年時代、あの時代は今から思っても不思議な時代でした。
メディアに翻弄されながらいい意味で生きてきたというそういう時代だったような気がします。
当時業界で業界の感覚から外れているようで否定する人もいました。
ほかのジャンルの人たちが評価をしてくれて、そういった人たちと交流しながら仕事がどんどん増えてきました。
旭日旗、星条旗などが描かれていますが、10代の経験だったと思います。
実家が呉服商で、反物に貼り付けてあるラベルが、日本的なものと西洋的なものがミックスされているようなそういったサブカルチャー的なもので、東京へ出てきてモダンアートに世界に飛び込むわけですが、独学で来ているのでよくわからなかった。
自分の知っているものを絵にしようという事で、子どものころ経験した、メンコ、お祭り、見世物などをポスターに取り込んだ訳です。
デザイナーには共感されなかったが、ほかのジャンル、文学者、作曲家、映画監督、演劇の人などには気に入ってくれました。
そういった人たちと一緒に仕事をする様になりました。
大島渚監督の映画「新宿泥棒日記」にも主演することになりました。
出演してほしいと言われて吃驚しましたが、経験するのも面白いと思って引き受けました。
70年になって万博以降はバラバラに散って行って、アンダーグラウンド的なものは徐々に散っていきました。
1981年画家宣言をしました。
突然そんな気になりました。
1980年にピカソ展があり、それを見てグラフィックデザイナーではなくやっぱり絵画だなあと思いました。
やはりピカソに対する関心は非常に強いです。
過去の作品をどんどん捨てていって新しい作品をつくっていくという創造と破壊の繰り返しが凄まじい、毎日起こっているようなピカソの生き方が凄いと思って、ああいう生き方が出来ればいいなあと思っています。
キリコというのも自分の画風を確立したが、10年でその作風を捨ててしまって、作風を多様化していって、僕の性格にも似ていると思って、先輩の後を追いたいと思って、それでピカソ、キリコは大好きです。
2000年に入ってY字路を描き始めましたが、郷里に帰ったときに子どもの頃に三差路の突端に模型屋さんがありましたが、無くなってしまっていて写真を撮りました。
その写真を見たら不思議な光景に見え興味が湧きました。
これをテーマにしたものを描こうと思いました。
色んなY字路に出会いました、そこから始まりました。
精神世界に興味を持ったのは、1967年にニューヨークへ初めて行って、ヒッピー、べトナム戦争が盛んな時で、ぶらっと1週間のつもりで行きました。
自分が変わっていくような気がして、僕にとってのルネッサンスにしてしまいたいと思って、4か月近くニューヨークに居ました。
精神世界的なものに惹かれていきました。
現実とその背後に、もう一つ見えない世界があるんじゃないかと思って、いまでも興味があります。
曾我蕭白(そが しょうはく)の存在を知って吃驚しました。
非常に大胆な人間臭い、それを日本の風景の自然の中にその人物を登場させて、自然と人間が物凄い交流の仕方をしていて、その表現に驚きました。
それである展示会に参画することになりました。
寒山拾得(かんざん じっとく)という人はすさまじい生き方をした人ですが、それをテーマにして見ようと思いました。
寒山拾得は何故か箒を持っていて、箒を持っていたものを電気掃除機に替えて、巻物を持っていたものをトイレットペーパーに替えた絵を2,3点描きました。
昨今蕭白が人気があるのは、今は自然と人間が最も欠如した時代でもあり、人間性の回復とどっか結びつくんじゃないかなあと思います。
猫も大好きですが亡くなってしまって、野良猫が子ども3匹生んで野良猫はいなくなってしまって、2匹は事務所で飼っていて、1匹は家で飼っています。
猫とアートと僕は切り離せない関係なんです。
「タマ、帰っておいで」という本を出版します。
タマは亡くなってしまったので、帰ってきてほしいという事ですが。
タマの絵を描き始めて80枚ぐらいになりましたが、発表する気はありませんでした。
本にしましょう、展覧会をしましょうという事になりました。
文章は趣味で書いています、主にエッセーですが。
瀬戸内寂聴さんと往復書簡という形のエッセーで進めています。
小説では文学界に連載中ですが、いつ終わるかわからないようなものを書いています。
「原郷の森」というものです。
ツイッターは自分の気持ちを吐き出すつもりで書き始めました。
ツイッターは絵とよく似ていると思っています。
フォロワー数が31万9000人という事でびっくりしていますが。
今後については体と相談ですが、筆、ペンが持てる間は何かやってみたいいう気はあります。
画家は長生きするという事ですが、肉体を通して考える、感じるという仕事だから長生きができるのかなあと思います。